Ⅰ-ⅱ.山越え

009 炎の合図

 想像以上にあっさり出られた。

 砦で検問を行っている以上、王都を出る際にも検問があるかと思ったけど、特に身分証の提示を求められることもなかった。

 監視や尾行の気配も感じない。

 拍子抜けだな。

 ただ、気を抜くわけにはいかない。もうしばらく警戒は続けよう。

『行っちゃいましたね』

 何もない平原に向かって走り出したリリーが、四方八方を見渡している。生まれてからずっと城の中に居たんだ。何もない景色でも珍しいんだろう。

「そんなにはしゃいでたら、体力が持たないぞ」

 立ち止まったリリーがこちらを見る。

「はしゃいでるように見える?」

『見える』

「見えるよ」

『見えますね』

 リリーが頬を膨らませる。

 それ、癖なんだな。

 傍に行って膨らんだ頬をつつくと、眉をひそめたままリリーが俺を見上げた。

「だって、ここだけでも、こんなに広いんだよ。全部歩くのに、どれぐらいかかるかわからないぐらい。どれだけ歩いても、どこにも壁なんてない。世界がこんなに広いなんて」

 壁なんてない、か。

「世界はもっと広いよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

 リリーが自分の頬を両手で包み、きらきらと輝く瞳で世界を見回す。かと思うと、また勝手に歩き出した。

 どこに行くんだ。

「リリー」

「何?」

 放っておいたら世界の果てまで追いかける羽目になる。

「手を繋いで」

「はい」

 戻って来たリリーと手を繋ぐ。

「疲れたら早めに言えよ」

「大丈夫」

 本当に?

「イリス、危なくなる前に言ってくれ」

『了解』

 リリーが不機嫌になる。

 良く膨らむ頬だな。

 笑ったり怒ったり感動したり。感情がすべて顔に出るから、面白い。

 

 ※

 

 冷たい風が吹き荒ぶ平原。

 こんなに見晴らしが良ければ俺たちの動向なんてばればれだ。

 でも、誰かが近づいて来ればすぐに気づくことが出来るし、俺達との距離を詰めるのは容易じゃない。いくらでも対応可能だ。

 というか。

「亜精霊が少ないな」

「えっ?亜精霊って、こんなところにも居るの?」

「亜精霊なんて、どこにでも居る」

 亜精霊とは、魔力で生きる自然に反した存在。精霊に食われたとも精霊の成れの果てとも言われているものだ。見た目は生き物のような姿をしているのに、体力や魔力を消費し尽くせば跡形もなく消えてしまうのが特徴で、生き物に攻撃的なことから人間の敵として位置づけられている。

 生き物同様、自然界にはいくらでも存在しているものだ。

「エルは、亜精霊と戦ったことあるの?」

「あるよ」

 亜精霊狩りは冒険者の主要な仕事の一つだ。国が行う定期討伐に参加することもあれば、都市単位、個人単位といった個別の討伐依頼を受けることもあるし、僻地に発生した危険個体の討伐もある。

 ただ、こういった仕事をしていなければ亜精霊を目にする機会は滅多にない。城で暮らしていたなら、尚更、見たことなんてないだろう。

 例えば、遠くに見える白い影。あれはたぶん亜精霊だ。人間ではない二足歩行の生き物は亜精霊の可能性が高い。

 

 途中、集落の廃墟を見かけた。

「これって、遺跡?」

「遺跡って言うほどの価値はないだろうな。廃村ってところだろ」

「そっか」

 フォノー河に橋がかかる前、山脈を越えて王都を目指すルートとして使われていた名残だろう。新しいルートの構築によって、既存のルート上にある都市が廃れるのは良くあることだ。


 白いオペクァエル山脈を見上げる。

 南北に長く伸びる山脈は、春だというのに多くの雪が残っている。空には重い雲。天気も良いとは言えなさそうだ。

 王都は晴れて穏やかだったのに、山に近づくにつれて暗くなっていく。

 

「山道入口?」

 リリーが古い看板を読む。

 ここが、地図で示された場所か。

 山道は荷馬車がすれ違えるほどの幅があるとはいえ。轍の跡もなければ、馬蹄の跡も見当たらない。整備されているとは言い難い道だ。

「雪の精霊だ」

『こら。気にするなって言われてるだろ?』

 雪の精霊?まだ、この辺りに雪はないのに?

 雪が降る前兆かもしれない。

「リリー」

「何?」

 フード付きの毛皮のマントを出して、リリーに着せる。

「あったかい」

「昼までには村に着くと思うけど、あんまり体力を使うなよ」

「はい」

 まだまだ元気そうだな。

 自分のマントも出して羽織り、フードを被る。

 すごいな。流石、寒冷地で作られたものだ。思った以上にあたたかい。

 

「雪だ!」

 残雪を見つけたリリーが雪の塊に向かって走り出す。転びそうだと思ったら、案の定、転んで雪に埋まった。

『まぁ。大変』

 まったく……。

『大丈夫?』

「大丈夫か?」

 顔を上げたリリーが笑ってる。

「うん。平気」

 楽しそうだな。

 手を差し伸べてリリーを起こすと、リリーが雪をほろう。

「雪なんて初めて。こんなに冷たいなんて」

「初めて?冬は王都でも雪が降るんだろ?」

 山越えの装備を買った店で店主が言っていた。

「でも、城では降らないから」

 城と城下街も天気が違うのか?

「雪だ」

 降ってきた。

 まずいな。急がないと。

「きれい」

 リリーが空を見上げながら、くるくると踊っている。

「そんなことしてたら、また転……」

「あっ」

 倒れそうになったリリーを慌てて抱きとめる。

「気を付けろ」

 なんでこう学習しないんだ。

「……はい」

 返事をして体勢を整えたリリーが歩き出す。

 もう一度、地図を確認しておこう。

 詳細な道は書き込まれていないものの、要所の目印は書かれている。ここから道沿いに登って行けば小さな広場があるらしい。広場からは緩やかに下るようにして村へ進むと書いてある。なら、広場からオクソル村が見えるはずだ。はっきりと確認できなかったとしても、煙突から立ち上る煙ぐらいは確認できるだろう。

 確認できなかったら戻った方が良い。雪山での野営は経験がないし、危険だ。

『リリーシアが戻ってきましたね』

 顔を上げると、先を歩いていたはずのリリーが戻って来た。

「エル。上に魔法使いが居る」

「上?」

 この先に人影なんて見えないけど。

 魔力が見えたってことか?

「精霊じゃなく?」

「たぶん、人間だと思う」

 人間と精霊の違いもわかるのか。

「何人?」

「魔法使いの光が見えたのは二人。でも、普通の人はわからないから、全部で何人居るかはわからない」

 一般人の魔力は見えないらしい。魔法使いの魔力だけ見えるなんて、本当に便利な能力だな。

『見てくるわ』

「待て」

『行っちゃったわねぇ』

 そいつらも見える奴だったらどうするんだよ。利用者が少ないこんな道で魔法使いが二人も居るなんて、城の関係者に違いない。

 リリーが俺の方をじっと見る。

「どうした?」

「え?えっと……。やっぱり、金色って珍しいなって」

 光の色は、人によって違うんだっけ?

「さっき見えた二人は何色だ?」

「水色」

「どっちも?」

「うん。でも、全く同じってわけじゃないよ。濃さが違ったりはあるの。でも……。今まで、色なんて気にしたことなかったから」

「なんで?」

「だって、城の中で見かける魔法使いは寒色系ばっかりだったから。城下街でもそう。薄い水色とか、青っぽいのとか、紺色っぽいのとか……。だから、魔力って青系の色なんだと思ってたんだ」

 青系の色。

 水色は氷の精霊の輝き、青は水の精霊の輝きだな。紺色までいくと闇の精霊に近い気もする。

「でも、エルとエイダは全然違う。色も違うし、輝きの大きさも全然違う。二人とも、すごく強い輝きだよ。こんなの初めて」

 強い輝き。

 リリーの目に映る輝きの強さは、魔力の大きさに比例してるんだろう。色については、もう少し情報を整理する必要がある。

『エル!リリーシア!避けて!』

「エイダ?」

 幾筋かの氷の竜巻が舞い上がり、こちらに迫ってくるのが見える。

『魔法だね』

 竜巻なら……。

「まかせて」

 背中から大剣を抜いたリリーが勢いを付けて大剣を振りまわしたかと思うと、竜巻が二つに分かれて霧散した。

 なんだ、今の?

 魔法を斬った……?

『まだ来るよー』

 問題ない。真空の魔法を放って、残りの竜巻を消滅させる。

「え?」

 先に仕掛けて来たのは、そっちだからな。

「エイダ、リリーを頼む」

『わかったわ。無理しないでね』

 風の魔法で加速しながら進む。

 ……見えた。敵は二人。

 体の周囲に真空の魔法で防壁を張り、相手までの距離を縮めながら炎の矢を放つ。

 でも、向こうが放った氷の刃で炎の矢が消えた。更に炎の矢を複数放って、氷の刃を蒸発させる。

 少し分が悪いな。

 ここは冷気の精霊に祝福された土地。氷の魔法が強化され、炎の魔法の威力は下がりやすい土地だ。

 風の魔法を回転させ、それに炎の魔法を乗せて放つ。炎の竜巻は魔法使いたちに向かって放たれたが、ダメージを与えたような感触はなかった。

 無効化された?

 いや。魔法の炎は消えてない。

「ふふふ。面白いな」

 炎の中から銀髪の女が現れた。

「炎の魔法を扱うブラッドアイの冒険者。やはり、間違いなさそうだな」

「……」

 俺のことも調査済み。

 リリーを追ってる連中で間違いない。

「何故、リリーを追いまわすんだ」

「追いまわしてなど居ないぞ」

「は?」

「私は中立。見物に来ただけだ」

 中立って……。

 銀髪の女が、指先で魔法陣を描く。

 なんだこれ?

 見たことのない図柄だ。

 その魔法陣めがけて炎の矢を放ったけど、魔法陣を壊すには威力が足りなかったらしい。

「ではな」

 魔法陣と共に、女が消えた。

「メラニー、さっきの奴の気配は?」

『ない』

 そんな。

 本当に消えたって言うのか?

『昨日、私が追尾していた男も似たようなことをしていた』

 メラニーを撒いた奴と同じ?

 ……まさか、別の場所に転移した?

 空間転移なんて、人間には理論上不可能だ。

『気を付けてぇ』

 忘れてた。

 もう一人、居たんだった。

「さっきの竜巻は、お前か?」

 全身をローブで覆い、深いフードで顔も全部隠した奴。

 腹の立つ装いだな。

 大地の魔法で相手の足元を狙う。局地的な地割れで足元をすくわれた魔法使いに向かって、魔力を込めた炎の刃を投げつける。

 相手は、それを氷の盾で防いだ。

 厄介だな。

『エル、動くな』

 反射的に止まる。

 なんで?

 理由を聞く間もなく、俺の横を炎をまとった風が通り抜けた。

 ……リリー。

 真っ直ぐに走り抜けたリリーは紅蓮に輝く剣で氷の盾に激しい一撃を加えると、数歩引いて俺に並んだ。

「ごめん。壊せなかった」

 壊すつもりだったのか?

『ここは、氷の祝福が強いからね』

 ひび割れた氷の盾に向かって炎の矢を浴びせると、氷の盾はあっけなく消えた。

 赤い炎が揺らめく剣。

「その剣、エイダが入ってるのか?」

「うん」

 剣には精霊を宿すことが出来る。

 でも、条件があって……。

 今度は目の前に巨大な氷の壁が現れた。さっきの氷の盾とは比べ物にならない大きさだ。

 けど、リリーは身長より高い壁に怯むことなく、勢い良く大剣を突き刺した。

 攻撃は氷の壁を穿ち、開いた穴から広がった亀裂によって、氷の壁が粉々に砕ける。

『おー』

『すっごぉい』

 ……嘘だろ?

 たった一撃で、あの壁を壊すなんて。

「くそっ」

 男声の大きな舌打ちが聞こえた。

 フードの男めがけて風で編んだロープを放ち、男を縛り上げる。炎の矢を放とうとしたところで手に電撃が走った。ロープ伝いに雷の魔法を使ってきたらしい。

 器用な真似しやがって。

 集中が途切れて風のロープが消える。でも、放った炎の矢の攻撃は、すべて入った。

 続けて前に出たリリーが男の胴体に向かって一撃を繰り出す。

 けど、その攻撃は相手を傷つけることなく途中で止まった。

「命令だ。私の目の前から去れ!」

 命令?

 ローブ姿の男がリリーの腕を掴む。

 そして、左手を掲げた。

 まずい。何か魔法を使う気だ。

 距離を詰めようとしたところで、周囲に轟音と地響きが響く。

 この音、どこから……?

『上だ』

 上?

 坂の上から巨大な雪の壁が押し寄せてくる。

 雪崩だ。

「リリー!」

 まずい。巻き込まれる。

「エル!逃げて!」

「馬鹿!何言ってるんだ!」

 風の魔法で詰めようとしたところで、目の前に氷の壁が現れる。

 分断された。

『エル、飛べ!』

 風の魔法で飛び上がって、リリーに向かって風の魔法で編んだロープを放つ。でも、ロープはリリーを掴むことなく霧散した。

 これも効かないなんて。

 氷の壁の上に足をついて、リリーに向かって飛ぼうとしたところで、突然、腕を引かれた。

「エイダ?なんで……」

 リリーの剣に宿っていたはずなのに。

『私の役目は、あなたを守ることよ』

 顕現した炎の大精霊が俺を抱えて上空に飛ぶ。

「待て、」

 足元を雪の塊が通過する。

「リリー!」

 雪崩が長い黒髪を覆い隠す。

 そんな……。

『エル、落ちついて』

 放とうとした炎の魔法が消滅する。

 魔法は精霊の協力がないと使えない。エイダが俺の炎の魔法を操ったんだ。

『リリーは大丈夫。イリスが付いているわ』

「イリスに何が出来るって言うんだ」

 いくらリリーを守る約束を交わしていようと、魔力がないなら共倒れだ。

『氷の精霊なら雪の中でもリリーを守ってあげられるはずよ』

 本当に?

 雪崩は一瞬で地面を雪の更地に変えた。

 足元にあるのは真っ白な雪。

 ここからじゃ埋まってる場所さえ探せない。

 落ちつけ。

 落ちついて、助ける方法を考えるんだ。

『エル。ここでは炎の魔法を使ってはいけないわ』

「なんで」

『雪と氷の精霊たちを、まだ刺激するつもり?』

 ……そうだ。

 精霊は自然そのもの。自然に敬意を払わずに魔法を使うことは許されない。

 ここは冷気に祝福された土地だ。自然に反した方法で雪を溶かすようなことをすれば、ここの精霊たちと敵対してしまう。

 エイダが俺を雪の上に下ろし、顕現を解く。

 落ち着け。

 落ち着いて……。

 魔力を集中して、周囲を探る。

 

 

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