第20話 百円の対価②

 阿木館は気が進まなかった。

 しかし、有沢の情熱も冷めぬままここまで来てしまったのだから仕方ない。


「環斗君、百円が欲しいんだが、この願いを叶えてはもらえないか?」


「いいけど、対価を払う人は?」


「はーい、私が払います」


「財産を百円くらい失うけど、いいの?」


 環斗君はちゃんと確認を取る。対価を払う人物にどのような代償を払わなければならないのか、そこまで説明して合意を求める。

 その合意を得て初めて願いを叶えるのだ。


「もちろん、構いませんとも」


「百円相当の何かがなくなるけどいいの? お金とは限らないよ」


 有沢は少し考えた。


 環斗君の忠告は、百円玉ではなく百円の価値のものを失うかもしれないということを意味している。

 もっと言えばバッグの紐だけなくなったりするかもしれないということ。

 そうであった場合にはバッグの修理費は百円どころではない。


「あ……」


 有沢は急に怖くなった。百円相当の体の一部だったらどうしよう。その領域まで思考が及んでしまった。


 有沢は怖気づいた。百円相当といえど、万が一にも体の部位が一部持っていかれたとしたら、どんなに些細であっても大変なことになる。


 阿木館の言うとおりだ。無闇に危険人物と接触するべきではない。


 いまなら引き返せる。


 しかし、有沢は覚悟を決めた。自分も枕木町の一員でありたいなどと無意味なことを願ってしまったのだ。

 若気の至りとでも言うべきか。枕木町でやっていくための覚悟を抱くつもりでこのギャンブルを受けることにした。


「お手柔らかにお願いします」


 ゴーの返事。


 しかし自分の言葉に激しい後悔をする。

 まだ代償は払っていないが、いまの言葉で手が持っていかれるのではないか。

 手の柔らかい部分がえぐれて血が噴き出すのではないか。

 あるいは目の角膜?

 心臓の弁?


 そんな恐ろしい想像に有沢の顔はみるみる青くなっていく。


「分かった。はい、叶えたよ」


 阿木館が握った手を開くと、そこには百円玉があった。


 有沢は悲鳴をあげていない。


 有沢は手を確認し、体中を確認した。

 次にハンドバッグを隅々まで確認する。

 所有物すべてをいちいち確認するのは面倒だったので、財布の中身を先に確認した。


「百円、きっちり……」


 有沢の財布の中身から一枚の百円玉が消えていた。


「ありがとうございました」


 なぜか有沢が環斗君にお礼を言った。

 阿木館も環斗君に軽く礼を言い、二人は彼の家を後にした。


「はあ、ドキドキしたぁ……」


「まったくだ。私は君が怖いよ」


 阿木館は大きくため息をついた。

 それは深呼吸と判別がつかないレベルの深い息だった。


「あ、百円返してください」


「駄目だ」


「えーっ!? ケチ!」


 有沢が若干釣り目を作って膨れた。

 阿木館はゆっくりとだが、しきりに首を左右へ振っている。


「環斗君が叶えてくれた願いを無にする行為は環斗君を怒らせるかもしれない」


「え? もしかして呪われたりするんですか? それとも環斗君まで報復とか?」


「いやいや、前例がないから怖いんだ。そりゃあ杞憂きゆうかもしれないが、相手が人智を超えた超危険人物だってことを忘れてはならないよ。だからもう怖いことはしない。いいね?」


「はーい」


 有沢は素直にあきらめた。


 たかだか百円ぽっち。しかし、今日の彼女が獲得した経験には、百円なんかを遥かに凌ぐ価値があったように思われる。

 そのことを有沢は一人で納得し、ますます危険人物に対する興味を深めるのであった。

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