49 渡し舟 わたしぶね ただいま。 ……うん。おかえりなさい。
渡し舟 わたしぶね
ただいま。
……うん。おかえりなさい。
真っ白な朝靄の中を一艘の小さな舟が渡っている。
視界は真っ白で、舟のほかになにも見えない。
その舟はまるで水の上というよりは、空の中をゆっくりと進んでいるようだった。
「向こう岸はまだですか?」菜の花の姫が問いかける。
「まだです。もう少しかかります」
長い丈竿で舟を漕ぎながら年老いた(優しい顔をしている)船頭がいう。
「ここはなんという名前の川なんですか?」
その小さな白い手を伸ばして、目に見えない真っ白な水面に触れながら、菜の花の姫はいう。
「あまのがわという名前の川ですよ。姫様」
ゆらゆらと小さく揺れている舟の動きに合わせて、その小さな体を自分も動かしているお付きの桃枝がいう。
「あまのがわ?」
「はい。あまのがわ。天上を流れている川という意味ですよ」と桃枝はいう。
「天上を流れる川」
と菜の花の姫は言う。
「夜になると、この川にはまるで鏡のように空の星が映り込んで見えるんです。それがまるで星の川のように見えるので、あまのがわと言う名前がこの川にはつけられているんですよ」
と小さくあくびをしてから、桃枝は言う。
「なにか歌を歌ってください。桃枝」
にっこりと笑って菜の花の姫はいう。
すると桃枝は小さく笑ってから、その顔を少しだけ上に向けて、目を閉じて、少しの間、なにかをじっと考えるようにして、沈黙する。(それはまるで眠っているようにも見えた)
それから目をそっと開けた桃枝はゆっくりと菜の花の姫の小さな顔を見て、
眠い目を擦りながら
朝早い時刻に
朝靄の中で
小さな舟の上にのり
水の上で
過ぎし日の都の暮らしを懐かしみ
思いを馳せて
見えぬ水面に
その日々を写し見る
桃枝はそんな歌を小さな舟の上で歌った。
「姫様。続きを」
桃枝は言う。
「えっと……」
といって、目を瞑り、静かに心を落ち着かせてから、少しして目を開けて、
初めての長い旅に出て
今までの暮らしを懐かしみ
新しい風景を眺めるなかで
今までの自分の
本当の小ささを知る
そんな歌を桃枝に続いて、菜の花の姫は歌う。
「よくできました」
菜の花の姫の歌を聴いて、にっこりと笑って桃枝は言う。
菜の花の姫は桃枝の歌を聴いて、その歌を自分の頭の中で繰り返してみる。
「桃枝。この歌の題名はなんというんですか?」菜の花の姫は言う。
「そうですね。渡し舟です」
自分の後ろにいる船頭さんを見て、小さく笑ってから桃枝は言う。
「良い歌ですね」
菜の花の姫は言う。
「ええ。我ながら思いつきにしては、なかなか良い歌ですね」
と舟の舳先に体を預けるようにしながら、桃枝は言う。
それからしばらくして、船頭が「つきましたよ」と小さな声でいった。
「え、どこどこ? どこに向こう岸があるの?」
菜の花の姫は言う。
よくみると、そこには確かに朝靄の中にかすかに見える岸があった。
白い靄の中から古い木で作られている船着場が見える。
ぎいぎいという音をたてながら、菜の花の姫は小さな舟から先に舟から降りていた桃枝の手を借りて船着場の上に足をつけた。
「気をつけて」と舟を出すときに、年老いた船頭はいった。
「どうもありがとう」
とにっこりと笑って、菜の花の姫と桃枝は声を揃えて、そういった。
二人は少しの間、朝靄の中に消えていく小さな船と船頭の姿を見送った。
舟が見えなくなると、二人はくるりと体の向きを変えて、ゆっくりとした足取りで大地の上を歩き出した。
「あ、今、鳥が飛んでいったよ。白い鳥」
とぱたぱたという鳥の羽ばたく音だけが聞こえる靄のかかった目に見えない空を指さして菜の花の姫は言う。
「白い鳥? 本当ですか? 確かに音は聞こえましたけど、姿は見えませんでしたよ」
空を見ながら、桃枝は言う。
「本当だよ。白い鳥だった。小さな鳥」
菜の花の姫は言う。
「本当に?」
「本当だよ」
その少し赤色に染まったほほを膨らませて、菜の花の姫は言う。
菜の花の姫と桃枝は歩きながら、楽しそうに、そんな会話をする。
二人は手を繋いで歩いている。
その後ろ姿は、どこか本当のお母さんと娘のようにも見える。
「いつ着くかな?」
菜の花の姫は言う。
「まだまだかかりますよ。長い旅になります」桃枝は言う。
「どのくらい?」
「さあ、それは私にもわかりません。私にとってもこれは初めての長い旅ですから」
とにっこりと笑って桃枝はいった。
「でも、いつかはきっとたどり着きます。こうして足を動かして、歩き続けていればね」
「うん。そうだね」と菜の花の姫は言う。
「向こうに着いたら、私たち、幸せになれるかな?」菜の花の姫は言う。
「なれますよ。絶対に幸せになれます。私たち」
菜の花の姫を見ながらにっこりと笑って、桃枝はそういった。
「姫様。道中お勉強をしましょう。まずはこのお国の成り立ちからお話ししますね」桃枝は言う。
「えー!」
となんだかすごく嫌そうな顔をして、菜の花の姫はそういった。
鳥の巣 とりのす 終わり
鳥の巣 とりのす(仮) 雨世界 @amesekai
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