八十四日目・夜

 夜になっても俺は自分の部屋でチェアに沈み込み、電気もけず昼間の話を反芻はんすうしていた。


『――この家じゃあ昔から、男の子が亡くなる事案が発生しとるんですよ。同じ年頃の子が、ほぼ同じ症状でね』


 広瀬ひろせという刑事さんの一言は、正直今の俺には受け止めきれない。玲央れおを亡くすのみならず美桜みおまで失踪しっそうし、立て続けに襲いかかる不幸で明奈あきなまで精神を参らせてしまった今の状況で、一体誰が俺を支え、救ってくれるというのか。

 しかもその端緒たんちょになっている玲央の死が〝昔から発生していた〟などと聞かされては、正直怒りにも似た感情がこみ上げてくる。

 救急隊員も〝やっぱり〟と漏らしていた以上、刑事さんの話は信憑しんぴょう性があるだろう。そしてその刑事さんと火戸ひどさんが知り合いだったことも重要だ。火戸さんに刑事さんから向けられた一言が『やっぱりこの子は――』だった以上、火戸さんもこの話を知っていたに違いない。


 思えば、自治会のメンバーを始め町内の人たちは最初から様子がおかしかった。時折感じた〝よそものへの忌避きひ感〟は、気のせいじゃなかったんだ。彼らは明らかに何かを知っている。知っていて、あえて俺たちに伏せている。

 こうなってくると、火戸さんご夫妻が何故俺たちに優しくしてくれるのか、その行為にすら何か裏がありそうな気がしてくる――


「――ダメだダメだ。塞ぎ込んだら余計にマイナスにいっちまう」


 俺はそこで初めて部屋の明かりをけた。時計を見るとちょうど夜七時を過ぎた頃だった。クロノアのエサはもうあげたからいいとして、トイレの確認と掃除をしなきゃ――

 俺は最上さいじょうさんの荷物が散らかったままになっている部屋に足を踏み入れる。開きっぱなしのスーツケースの上に脱ぎ散らかした私服、部屋の片隅に立てかけられた祭壇さいだんや小道具を尻目にクロノアのトイレの前でしゃがみこんで掃除を始めた。


 突然背後からカタンと音が鳴り、俺は驚きと恐怖のあまりに砂袋を放り投げて振り返った。そこには誰もいない。ただ壁に立てかけてあった三脚つきのカメラが倒れていただけだった。俺は逆だった神経と胸をで下ろし、あらぬ方向へと飛んでいってしまった道具を拾い上げてトイレ掃除を再開し――ふと思う。


 あのカメラで、最上さんは確か動画を撮影していたはずだ。もしかしたら、美桜がカメラに映り込んでいないだろうか。あの子がどこに消えてしまったのか、手がかりがないだろうか。

 確認だけさせて貰って、終わったら元に戻せばいい。現場を保全すると約束はしたが、何を隠す訳でも壊す訳でもない。それに美桜の発見に繋がる何かがここに収められているとしたらそれを今ここで見なければ、それこそ俺は一生後悔してしまうだろう――


 俺は自分を正当化する言葉を次々と並べ立て、トイレ掃除もそこそこにカメラを手にした。いわゆるコンデジと呼ばれている種類の良く見かけるカメラで、三脚のほうが圧倒的に重い。俺は本体からSDカードを取り出し、自分のPCに挿し込んで中身を確認してみた。


 最初は移動の新幹線の中で外の景色を写しているファイルだった。車内の様子は聞こえるが彼自身は何も話していないので、後で編集して入れる用の風景映像なのかもしれない。


『はい、テンドーチャンネルの〝テンドーダイレクト〟が始まりました~。もう皆さん知っていると思いますけれどね、霊能師れいのうしである私最上――』

『へえ~。電話でご依頼をいただいた時には聞いてなかったなその話――』


 ここらへんの動画は正直どうでもいい。美桜がまだ消えていない時のものだしざっと流して確認するだけで次のファイルへ――


『う~わ、こりゃあ雰囲気あるわ』


 映像の中の最上さんがそうつぶやきながら撮影した石碑――本来はその場面のはずなのだが、何も映っていない。ただの真っ黒な画面だ――いや、より正確にいうなら、レンズを何かがおおって映らないように邪魔をしているような――時々報道番組で軍関係者や警察関係者がカメラを手でおおって抑えつける感じの――黒一色のように思えて仕方がない。いずれにしても、これも美桜とは直接関係ないので、次のファイルを確認しよう。


『いや、雰囲気ありますね~この家。見た目は真新しいんですよ? 動画をご視聴の皆さんも分かると思うんですけど、外と中とじゃ全然印象が違うでしょ。でもねえ、何か空気がすごく重いんですよ、この家。こりゃ絶対何かありますね~。でもこの最上天道にかかれば――』


 彼が〝楽屋〟と称して荷物を広げていた部屋で自撮りをしつつ、そして部屋の様子をざっと撮影しながら自分のフォロワー向けにコメントをしているようだ。この時点で最上さんは俺や明奈が気づいていたキッチンの異臭に反応していなかったはずで、今も言及していないから、冷静に振り返ると彼は〝零感レイカン〟なのかもしれない……そう思いながら次のファイルを開ける。


『さて、お待たせ致しました。ただ今よりこの最上天道が、この家に巣食う悪い霊を退治して皆さんの安寧あんねいと平和を取り戻してしんぜましょう――』


 この口上から始まるサイズの大きな動画ファイルが今回のメインで、除霊じょれいの模様を撮影した映像ということになる。ここからは俺も実際にカメラの裏で明奈たちと様子を見守っていた。この時にはまだ美桜は俺の横にいた――

 蝋燭ろうそくに火を灯し、供物くもつさかきを捧げ、指を複雑なポーズに組んで縦横じゅうおうに振り、おごそかに咳払いをしてから、以前も聞いていた祝詞のりとのようで祝詞のりとでなさそうな文言もんごんとなえ始める最上さん。俺はヘッドホン越しにそれを聞いて、初めておぼろげに何と言っているのか分かるようになった。ただ、それがどういう意味なのかはまったく理解できなかったのだが、そういえば最上さんのチャンネルに何か解説があったなと思い検索するとやはりトップの概要動画にあった。


神仏礼賛しんぶつらいさん天道修祓言てんどうしゅうばつごん悪霊退散あくれいたいさん


 サムネにも〝厄除開運やくよけかいうん全部OK!〟〝となえれば幸せに!?〟とあるので、きっとこれだろう。俺は動画をクリックして観てみることにした。


『はい、テンドーチャンネルの〝テンドーダイレクト〟が始まりました~。もう皆さん知っていると思いますけれどね――』


 テンドーチャンネルはいつもこの決まり文句から始まる。


『さて、今回はですね、視聴者の皆さんから一番多くコメントを頂いた、僕の天道修祓言てんどうしゅうばつごんを細かく解説して欲しいということでね、皆さんにもこの言葉の意味をより深く知っていただいて困ったな~って時とか、もっと運勢を良くしたいとか、そういったほうでね、皆さんのお役に立てばいいかな~なんて思います、ハイ。あ、でも肩こりには効かんからね。僕もやったけど全然ダメでしたんでね、アハハ』


 とりあえずオープニングは飛ばそう。肝心の解説は――と、字幕付きで最後までとなえている映像があったので、それを参考に聞いてみる。内容はこんな感じだった。


 最後さいごつち上々下々じょうじょうげげに、天翔てんかけるどうてこそメイなり

 煌々こうこうたる東天とうてん燦々さんさんたる南天なんてん寂々じゃくじゃくたる西天せいてん粛々しゅくしゅくたる北天ほくてん

 七星ななほしつどいし六刃むつはひかりいつつ巡りて四天よんてんさん

 三界さんがいふち二君にくんたぬ、一葦いちいながれて無闇むやみてへ

 かえれ、かえれ、狭間はざまかみへ、神仏しんぶつたちの住処すみかなれば

 かえれ、かえれ、狭間はざましもへ、邪鬼じゃっきどもの住処すみかなれば

 かえれ、かえれ、狭間はざまそとへ、悪霊あくれいどもの住処すみかなれば


 しろくろに、くろしろに、反転はんてんすることかがみのごとし

 みずあぶらに、あぶらみずに、反発はんぱつすることきょくのごとし

 てんに、てんに、反目はんもくすることいくさのごとし

 かえれ、かえれ、狭間はざまの上へ、神仏しんぶつたちの住処すみかなれば

 かえれ、かえれ、狭間はざまの下へ、邪鬼じゃっき住処すみかなれば

 かえれ、かえれ、狭間はざまの外へ、悪霊あくれいどもの住処すみかなれば


 ――コホッ、ゴホン


 カメラに入っていた映像はここで最上さんが少し咳き込んでいたが、すぐに気を取り直して修祓言を続けてとなえている――ただ、ここから先が俺も違和感を覚えた場所で、やはり本来は違う文言もんごんが続いているようだったが、実際には一部の言葉が入れ替わっただけで、延々えんえんと同じところを繰り返している――そんな風に聞こえた。


 しろくろに、くろしろに、反転はんてんすることかがみのごとし

 みずあぶらに、あぶらみずに、反発はんぱつすることきょくのごとし

 てんに、てんに、反目はんもくすることいくさのごとし

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびくろうてつぶすまえに

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびゆわいてはらうまえに

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびまつりてささぐまえに


 しろくろに、くろしろに、反転はんてんすることかがみのごとし

 みずあぶらに、あぶらみずに、反発はんぱつすることきょくのごとし

 てんに、てんに、反目はんもくすることいくさのごとし

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびくろうてつぶすまえに

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびゆわいてはらうまえに

 かえれ、かえれ、きさまがかえれ、そのくびまつりてささぐまえに――


 ――あとはずっとこの繰り返しだった。

 途中から何か雰囲気が変わっているというか、殺伐さつばつとしている感じが出ていて気持ち悪い。よく見れば最上さんも口から泡を吹いて、恐怖に顔をゆがめながら文言もんごんとなえている。


『――!? な、なに、何なん、これ……!?』


 明奈の声が聞こえてきた。それと同時に画面に映っている二本の蝋燭ろうそくが勢いよく燃え始め、天井に届かんばかりの強さでパチパチとぜたような音を鳴らしている。今こうやって冷静に見てみると、よく火事にならなかったなと思えるくらい、それは大きな火柱だった。そして、最上さんは一心不乱いっしんふらん文言もんごんとなえているが、やっぱり今聞いても針の飛んだレコードのように繰り返し同じフレーズを言っているだけだった。さらに映像を見ていて気付いたが、この時はすでに祭壇さいだんの上にあった米や酒、塩などが爆発したように吹き飛んでしまっている。


『み、美桜……? あ、あんまりマジマジと見たら――』

『ヒッ』


 ここはブレーカーが落ちた場面だった。強い光源が蝋燭ろうそくの炎だけになって、壁にゆらゆらと影がうごめく不気味な場面を目の当たりにしたことを、今でもはっきりと覚えている――というか忘れられないシーンだった。


『う、うおあっ!?』


 俺の叫び声とともに、それまで唯一の光源になっていた蝋燭ろうそくが、二本とも同時にすうっと消えた――消えたという表現が適切なのか分からないくらい、それは瞬間的な出来事だった。まるで映像が雑に切り取られて最初から真っ暗闇の中でカメラを回していたカットを無理やり繋ぎ合わせたような、不自然な消え方だった。

 ――そして次の瞬間、最上さんのうめき声が暗闇の中に響き渡り始める。


『ゔあ゛……ゔゔ――あ゛……ぷ、ぷにょっ……ゴボッ――――ヨケイナ――――コトヲ』

「えっ――」


 この時、わずかに一瞬……それこそ十数分の一秒の刹那せつな――画面が稲光いなびかりのように青白く――いや、もっとはっきりと青く光った。家は部屋によってライトの色味いろみを変えているが、絶対にこんな光を発するものは置いていないと断言できる。火花が飛んだのであれば分からないが、しかし俺が戦慄せんりつした問題は、そんなことではなかった。


「いっ、今の――何だ……?」


 画面には、一瞬だけ喉に手を当てて上を見上げている最上さんの姿が映り込み、暗転すると再び見えなくなった。問題はその時一瞬だけ映り込んだ最上さんの背後に、白い肌をした何か――または白い布切れを巻き付けたような何かが立っていたことだった。そのさらに後ろに、子供の顔〝だけ〟が多数映り込んでいたような気がした。

 さらに不思議なことに、画面が再び暗転して見えなくなった最上さんや子供の顔と異なり、その白い何かは残像が数秒残ってゆるやかに消えていった。何が起きていたのか、俺には全然理解できなかった。明らかに自然の摂理に反した現象が、映像の中に残っていた。


『み――美桜はっ!? 美桜はいるかっ!?』

『え、えっ、み、美桜っ!?』


 そして俺の叫び声と、それに反応した明奈の絶叫が入ってくる。その時確か明かりが戻ったはずなのだが、画面は相変わらず黒いままで音だけ鮮明に入っている。俺や明奈がドタバタと走り回ったりふすまを開けたりしている様子が〝聞こえてくる〟が、視覚的な情報は何も、光すら映っていない――いや、これに似た映像を別のファイルで見た気がする。

 レンズを何かがおおって映らないように邪魔をしているような――時々報道番組で軍関係者や警察関係者がカメラを手でおおって抑えつける――あの感覚に似ている気がした。


『ぎゃああああっ!?』


 そして今度は俺の絶叫とともにガタガタンと何かが崩れ倒れる音、それに続いて明奈の声が遠ざかっていく様子が、やはり〝聞き取れた〟。


『み、美桜おおおっ!? どこにいるのっ! ママがいるから出ていらっしゃああいっ!!』


 その直後、いきなり画面がグレースケールの試験電波放送画面に切り替わり、〝ピーー〟と電子音が数秒鳴り響いたあと、一瞬だけ一面の花畑の映像が映り込んだと思った次の瞬間にはホワイトノイズが走り――映像が復活した時には、カメラが横倒しになってリビングの様子を撮影していた……時折俺の姿や慌てふためく明奈の足が映り込んでいたが、それ以外に異変は映っていなかった。

 ――やがて、バッテリーが切れたかSDカードの容量が一杯になったかで録画は終了した。


「――――な、何だよ今の――」


 モニターを通して見せつけられた異様な光景に俺はしばし固まっていた。そのせいか、俺は自分のPCからSDカードを抜き取ってカメラに戻すことをすっかり忘れてしまっていた。

 額と首筋、背中に暑さ由来ではない汗が流れ落ち、不快感に耐えきれず指で首筋をなぞったその時、スマホがメッセージを受信した。画面を確認すると、またもや意味不明の――今回は文章は読めてもそれを送ってきた理由と意図が分からない――一文が表示されていた。


 かえりたい


 相変わらず誰がどこから、何のために送ってくるのか分からないメッセージ。帰りたい――俺だってそうだ、平穏だったあの日々に――


「あんたは誰だ。俺も帰りたいよ」


 俺はそう返信し、スマホをデスクに投げ出した。デスクが大きな音を立て、痛みを訴えた。

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