第17話 お題:シュトーレン 「忘れられない思い出」
この時期になるといつも思い出す。
高校時代のクラスメートの事。
席が隣同士、という理由で話す様になった子。
親友、という程じゃなかったけど、放課後、時折一緒にお茶して帰るくらいの仲良し。
それでも学校で会うからか、お互いの連絡先は知らないという不思議な関係。
他の友達とはすぐに電話番号やトークアプリでIDを教え合ったのに、何故かその子には聞かれなかったし、私も聞かなかった。
そんな近いのか、遠いのか分からない、不思議な関係のクラスメイト。
その彼女がこの時期、一緒に良く立ち寄る駅前のカフェが併設してあるケーキ屋さんでお茶をした後、必ずひとつ買って帰っていたパウンドケーキみたいなお菓子があった。
当時、物珍しかったそのお菓子は、彼女曰くドイツのお菓子で中にドライフルーツやナッツがたっぷりと入っていて、毎日薄くスライスして食べるのがクリスマスまでの習わしで楽しみなのだという。
その事にへー、と思いながら値段を見て、私のお小遣いでは手が出ない遠い存在のお菓子だという事しか当時は結局分からなかった。
そしていつか大人になったら買って彼女が言っていたように、クリスマスまでそれをスライスして毎日食べてみたいな、なんて思っていた、の、だけど……。
それはいまだに果たせていない。
街中にジングルベルやクリスマスソングが溢れだす頃に、そのお菓子はパン屋さんやケーキ屋さんの店頭で最近良く見かけるようになった。
丸々一本売っているだけじゃなくて、ハーフや、すでにスライスしてある物が個包装されて売られていたりもする。
それに大手パンメーカーもいつの間にやら手ごろなお値段で各種サイズが展開され、全国販売している。
昔は完全にそこそこな贅沢品としての家族向けだったお菓子が、いつの間にやらお財布やおひとり様にも優しい仕様になっていた。
それでも毎年この時期になって彼女の事を思いだしながら、なんとなくそれを買う気持ちになれないまま、歳を重ねている。
首へ巻いたマフラーに口元まで顔を埋め、仕事帰りに家へ帰るのも侘しくてあてどなく街を彷徨う。
この時期イルミネーションに彩られた街は、その美しい明かりを見ているだけでも心が浮き立ってきた。だけども、一人で見るにはあまりにもそのイルミネーションは眩しくて、美しくて、――そしてもの悲しい。
街中には様々な店がひしめき合い、その明かりも人々を照らし、皆一様に浮足立っている空気をかもしだしている。
そんな皆を見るともなしに見ながら私の頭の中は、彼女の事ばかりだった。
何度も、何度も彼女があのお菓子を買って帰っている姿が脳裏に浮かんでは消える。
何故、こんなにも彼女の事を思いだすのに、それを私は買って帰る気にならないんだろうかとそんな事を今頃になって思う。
いつだって思い出すのは、あのお菓子が入った紙袋を手に持って幸せそうに笑う彼女の姿。
学生服に学校指定のコート、そしてマフラー。学生鞄と一緒にそのケーキ屋さんの紙袋を大切そうに持って彼女は帰り道微笑んでいた。
そして、記憶の中の彼女はいつも私に向けて小指を差し出すのだ。
『約束、ね』
そう言いながら。
その約束が思い出せなくて、そして、私はその『
彼女は、高校三年生の冬休みの間に家族の都合、という理由でどこか遠い所に引っ越していった。
先生はあまり詳しい事を教えてくれなくて、どこへ引っ越していったのか私は知らないまま。なにせ、本人に連絡する術が私にはなにも無かったから。
他の友達にも聞いてみたけど、誰も彼女がどこへ引っ越していったのか、そして私と同じように彼女の連絡先を誰一人知らなかった。
そういえば、と思う。
彼女が私達と一緒にいる時、一度もその手にスマホを持っていなかったような気がする。ひょっとしたら、持っていなかったから連絡先の交換をしていなかったのかもしれない。
高校は皆それなりに家から距離が離れていたし彼女と私の家は全く正反対の場所にあった。その為、彼女の家にも行った事がなくて、彼女が私の家に来た事も無かった。
その事に思い至り、改めて自分が彼女の事を何も知らなかったことを痛感した日でもあった。
でも彼女といる時間は穏やかで優しくて、思い出す彼女の顔はいつも笑顔だ。
それは酷く苦くて、痛い記憶。
彼女と一緒に過ごした時間が甘くて優しかっただけに、この時の記憶の味は酷く苦い。
そしてその日以降、私は彼女と良く行っていたケーキ屋さんに行く事もなくなり、そのまま高校を卒業。大学に入る為、一人地元を離れてしまった。
「あのお菓子、買ってみようかな」
ふと、何年か越しにそんな事を思う。
いつまでも彼女の事を引き摺っていても仕方がない。――というか、我ながら、六年も引き摺るだなんて情けない。
自分がこんなにも友達にさえも未練がましい人間だなんて思いもしなかった。
いい加減、吹っ切れなきゃ。と思う。
別に彼女だけが友達だった訳ではないし、今でも連絡先を知っている友達とは連絡を取り合い、年に数回会って遊んだりもしている。
それでも、彼女に「さようなら」も「また会おうね」という約束も出来ないまま、離れ離れになってしまったのは胸に痛い。
チリチリとした痛みに胸を焦がされながら、目についた小さなケーキ屋さんへ入る。
甘い香りが鼻孔をくすぐり、その甘さに何故か懐かしさを覚えた。
遅い時間だからケーキケースの中はもう残り少なくて、こじんまりとした店内には販売をしている人が一人だけいた。
その店員が明るい声で「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのに会釈をして、ぐるりと店内を見渡す。
小さな店内は可愛らしい飾りつけと、美味しそうなお菓子が所狭しと並べられていて、かなり好みの内装だった。そしてほどなく探していたお菓子は店内の一番いい位置に可愛らしいポップと飾りつけの中、デデーンと鎮座しているのを見つけ、私はそのお菓子に近づく。
可愛らしいポップに書かれている文字は『シュトーレン』。
あぁ、これだ。と思う。
あの時、彼女が買っていたのもこんな形で粉砂糖が雪の様にふんだんに振りかけられていた物だった。
瓜二つのそれに、私はいそいそと手に取ると、ずしりとした重量が腕に伝う。
こんなに重い物だったんだ、と思いながらレジへと向かい、清算し店員からこの店のポイントカードを受け取って店を後にした。
丁寧に包装され紙袋に入れられたそのお菓子は、確かに幸せな重さだっただろう。
あの時、彼女が嬉しそうに抱えていたその重さを今私も腕に感じながら帰路に着く。
今日からクリスマスまで彼女が言っていたように薄くスライスして、毎日食べよう。とびっきりの美味しい紅茶を淹れ、彼女との楽しかった記憶をお供にして。
そして、漸く気が付いた。
ずっとこれを買って食べなかったのは、買うと彼女の事を忘れてしまうような気がしていたからかもしれない。
親友という程仲が良かった訳ではないけれど、彼女との友情は掛け替えのない大切なものだ。
そして、その記憶はきっとこれからも薄れる事はないだろうと、漸く私は気が付いた。
短編読み切り集 誰かと誰かの小さな物語 鬼塚れいじ @onitukareiji
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