第10話 お題:サルミアッキ タイトル「好意は嬉しいのだけど」

 目の前には上司がフィンランドのお土産に、と買ってきた「サルミアッキ」という名称の飴が置いてあった。

 それを休憩時間に部署の人間一同でぐるりと囲み、さて誰が一番にそれを食べるか、という腹の探り合いをしている。

 もっとなにか他にもあっただろうという気配が各々からひしひしと伝わってきていた。

 だが、上司に悪気があった訳では無いというのは良く分かる。

 あのほわほわした部下にも、上層部にも愛されゆるふわなあの上司にそんな悪意があるとは思わない。

 大方その国で子供達や大人の間でも親しまれているお菓子、そしてそれなりに数が有る為みんなで分け合いやすい、持ち帰るのにもかさばらないという理由で買ってきたのだろう。

 今は色々と厳しい時代で、お土産を買うにしてもあまり高価なものなどは会社からNGが出やすくて、結果としてこの手の飴とかグミとかチョコレートなどを上司は良くお土産として買って帰ってくれていた。

 だから、今回もその流れでのお土産なのだろう。

 しかし天然でぽわぽわとしている上司は男という事も有ってかあまりお菓子について詳しくない。

 いや、男だからと決めつけは良くない。ただ、甘い物を嗜まない人間だからだろう。

 海外のお菓子についてなら尚更だ。

「みんな、どうした? 食べないのか?」

 じりじりとサルミアッキを中心に輪を作り、拮抗状態が続いている中突然後ろからのほほんとした上司の声が聞こえてきた。

 その声にみな一様に愛想笑いを浮かべ、口々に「いやぁ、今から食べようかと……」「美味しそうだなぁ~!」などと一ミリも思っていないだろう白々しい言葉をほとんど棒読みで上司に向けて伝える。

 その皆の様子にひょいっと上司は眉を持ち上げると、俺達の輪の中に入って来た。

「このお菓子はね。フィンランドの人たちの間では伝統的なお菓子だって聞いて。小さな頃から慣れ親しんだとても懐かしい味らしいよ。あちらの人たちは皆親切で、こぞってこのお菓子を勧めてくれたんだ」

 まだ開封さえもされていない飴が入った箱を上司はその手に取り、少し前に行った海外出張で出会った優しい人たちの事を思い浮べているのかその瞳が懐かしそうに細められ、目じりに皺がいくつも寄る。

 その横顔を見ていると、あの日本人の口には合わない、と言われるこの飴を食べないのも失礼に当たる気がして、それぞれ部署の皆で目配せをしあう。

 慣れればこの独特な味が癖になり、禁断症状さえも出るフィンランドの方もいるそうだという噂を耳にした事がある。

 ならば俺達だって舐め続ければ禁断症状とまではいかなくても、美味しいと感じたり、味に慣れて平気になったりするのではないか、そんな事を目配せし合う視線の中に込めて語らい合う。

 と、そんな俺達の緊張状態を分かってか分かっていないのか、上司はにこにこしながらその飴の箱を開け、丁寧にティッシュをデスクの上に敷くと、そこへザラザラッと人数分の飴を取り出した。

「……ぁ」

 誰かが小さく諦めの様な声を出した。

 そしてにこにこと笑いながら上司はその声には気が付かずに俺達を振り返ると、さぁどうぞ、と言わんばかりにデスクの上に出されたサルミアッキを一粒取ると俺の手のひらの上に乗せた。

「君はきっと気に入ると思うよ」

 悪意のない純粋な好意だけの笑みが俺を射る。

 そんな顔を上司にされては、秘儀! 後でゆっくりいただきます! という技も使えず、手のひらの上に置かれたまるで車のタイヤの様な黒々として艶のない飴を見つめる。見た目はどこからどう見ても飴には見えない。

 上司がいったい何を根拠に俺がこの飴を気に入ると思っているのかはさっぱりわからなかったが、微かに口の端が引き攣った微笑みを上司に返しその飴を口元へとゆっくりと持って行く。

 ふわりと薬っぽい匂いが鼻孔をくすぐり、これ、飴じゃねぇぞ?! と心の中の俺が叫ぶ。

 飴と言えばやはり甘い味と匂いを連想するが、このサルミアッキは噂通り飴への固定観念を覆してくる匂いをしていた。

 俺がそれを口にするのを躊躇しているその横顔に、相変わらず上司はにこにこと笑みを浮かべたまま視線を注いでいて、その視線がどうにも早く食べなさいと促している様に感じられる。

 俺、上司になにかしたっけな……。もし何かを仕出かしていたのならごめんなさい。許してください。もうしません。そんな全く身に覚えのない反省と謝罪を心の中で繰り返しながら、俺は意を決してその光さえも吸い込む様な真っ黒な塊を口の中へと放り込んだ。

 途端に周りからどよめきと、賞賛の声が上がり、上司も何故か嬉しそうな顔をして拍手をしている。

 やっぱり俺は上司になにかしたのかもしれない……。

 そんな事を思っていたら、数舜遅れて口の中に放り込んだ飴の味がじわりと舌の上に広がり、俺は思わず口を押さえ吐き出しそうになるのを必死になって堪える。

 強い塩味と、アンモニア臭。そして微かな薬の様な甘み……フィンランドの方達やこの飴が好きな人たちには悪いが、これは断じて飴ではないっ!!!!!

 そう俺の中の本能が咆哮した。

「美味しいかい?」

 上司がにこにこと笑いながら俺の横に立ち、俺の顔面が白くなったり赤くなったり、はたまた青くなったりする様を不思議そうな面持ちで見ながら、そんな聞かなくても分かるような事を聞いてくる。

 その笑顔にそれでも俺はぶんぶんと顔を縦に振り、口の中にどんどんと広がる塩味と、鼻腔を抜けていくアンモニア臭に悶えそうになるのを堪え、テーブルの上に置いてあるサルミアッキを掴むと俺の様子を笑いながら見ている同僚の口の中に次々に放り込んでやった。

 途端に俺達の部署は男女入り乱れた阿鼻叫喚の悲鳴と呻き、デスクとデスクの間でのたうち回る者が溢れかえり、地獄の様相を呈してしまった。

 一番最初にその飴を口へ入れた俺は、なんとか意地でその飴を噛み砕き、飲み込むと、ティッシュの上に残っていた最後の一個を手に取り、じりっと上司へと近寄る。

 さすがに目の前の状況に驚きを隠せず、いつものほわほわとした雰囲気が霧散しておろおろとしている上司の肩を叩き、俺は微笑んで見せた。

「き、君?」

「俺達だけで食べるのは忍びないので、上司もどうぞ一個」

 にっこりといつもは営業先の人間へ見せる笑み顔に張り付けて上司の口にその最後の一個を近づけていく。

 俺の顔にか、それとも近づいてくるサルミアッキの薬品臭にか上司の顔が引きつり、視線が左右に揺れ始めた。

「い、いや。私はいいよ。君達に買ってきたものだし、ほら、甘い物私は苦手で……」

「大丈夫デース。甘くないので上司でも美味しくいただけますよぉ~~。ほぉら、どうぞ~~~」

 ゆらりと張り付けた笑みで上司に迫り、じりじりと後ろに下がって逃げようとする彼を追い詰めて俺はその口の中に薬っぽい匂いのする真っ黒な石炭の様なその飴を押し込んだ。


 そして、上司の声なき悲鳴が部署の中へと響き渡り、その後、部署の皆が口の中の味が消えるまで午後の業務はまともにすることが出来ず、上司含む全員が残業となり社長からこっぴどく叱られる羽目となった。


 上司の好意はいつもなら嬉しいものだけども、たまにこうして困る事もあるのだと全員が学んだ。

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