第28話
ラルフロッド視点
アラベスク公爵、公爵夫人、カーミラ様が公式に我がハミルトン伯爵領を訪れる日が決まったのは、僕がシザンサスの花を添えた手紙を送ってから、一月ほど後のことだった。
「遊びにくる。」
という表現を当主である父は使ったけれど、それがこの国の貴族社会において、どれほど重たい意味を持つかは、僕も次期当主の兄さんや姉さんも、そして配下の人達もよく分かっていた。
公式の訪問、ハミルトン伯爵領での公式の顔合わせ。
それは同時に、
この領を、カーミラ様が生きる場所として見るという事であり、僕を伴侶として見るという事だ。
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空はよく晴れていた。
過剰な演出は避けつつ、
しかし失礼にならぬように整えられた街道。
領兵は正装だが、槍の穂先は天に向け、威圧感は抑えている。
父様の指示だ。
「歓迎とは、安心させることだ。威張ることじゃない」
まったく、この人は本当に貴族らしくない。
遠くに馬車の列が見えた時、
僕は無意識に背筋を伸ばしていた。
先頭はアラベスク公爵家の紋章を掲げた馬車。
続くのは護衛と侍従たち。
そして――
カーテン越しに、淡い色のドレスが揺れたのが見えた。
(……カーミラ様)
胸の奥が、きゅっと掴まれる。
馬車が止まり、
まずアラベスク公爵が降り立つ。
相変わらず堂々としていて、
それでいてどこか柔らかい雰囲気を纏った人だ。
そして、アラベスク公爵夫人が馬車から降りようとするところをエスコートする。
アラベスク公爵が、
「ハミルトン伯爵、久方ぶりですな」
そう言って父様に手を出すと、
「お久しぶりです。ようこそ、我がハミルトン伯爵領へ」
父と公爵が固く握手を交わす。
公爵夫人が、気品のある微笑みで、周囲を一瞥し、
「穏やかな空気の領ですね。来る前から娘が楽しみにしておりました。」
と、僕に視線を向けた。
「いきなりで、不躾ですが、ラルフロッド様をお借りしてもよろしいでしょうか?」
公爵夫人がそう言うと、母様と姉さんが、僕の背中をそっと押し、
「ラルフ君」
と促す。
僕は少し緊張しながら、馬車に近づくと、カーミラ様が、最後に馬車を降りてきた。
淡いクリーム色のドレス。
飾りすぎない髪。
けれど、確かに以前よりも表情が柔らかく、明るい。
僕はカーミラ様に手を差し出し、エスコートする。
「カーミラ様、お久しぶりです。お会いできるのを楽しみにしていました。」
「……ラルフロッド様」
カーミラ様が、僕を見て微笑み、僕に手を預けてくれた。
「遠路はるばる、ようこそ。お疲れではありませんか?」
そう言いながら、カーミラ様の手を握った僕の心臓はとんでもない速さで鼓動していた。
彼女は小さく首を振り、
「いいえ。ここに着いた瞬間、不思議と肩の力が抜けました。」
それを聞いて、
僕は心の中で、何度も父と領民そして後ろでニマニマしているに姉さんと母様に感謝した。
その後の数日は、
まさに「ハミルトン伯爵領を見に来た。」という言葉が似合うものだった。
領都の市場を歩き、
子供たちに囲まれ、
農地や工房を視察し、
夜は父と公爵が酒を酌み交わす。
印象的だったのは、
カーミラ様が特別扱いを嫌がらなかったことだ。
むしろ、
「ハミルトン伯爵家の皆さんや領民の方の日常を、自然に見せてください。」
と言って、
飾らない会話を望んだ。
領民たちも最初は緊張していたが、
カーミラ様が真剣に話を聞き、笑い、驚くたびに、少しずつ距離が縮まっていった。
三日目の夕方。
小高い丘の上から、ハミルトン伯爵領を見下ろしていた時、カーミラ様がぽつりと言った。
「……ここなら。」
「え?」
「ここなら、私、ちゃんと生きていけそうです」
風が吹き、
草がざわめく。
「王都では、いつも王太子妃である事を求められていました。でもここでは……。」
彼女は、こちらを見て微笑む。
「私であることを見てもらえる気がします。」
僕は、言葉に詰まった。
だから、ただ一つだけ、正直なことを伝えた。
「僕は、カーミラ様と一緒に生きたいです。」
彼女は一瞬驚いたように目を見開き、
それから、ゆっくりと頷いた。
「……はい。」
それだけで、
全てが報われた気がした。
帰り際、
アラベスク公爵は父様にこう言った。
「娘を、安心して預けられる場所だ」
父様は照れくさそうに鼻を鳴らし、
「安心だけは保証しますよ。幸せは、あの二人次第ですがな」
と答えた。
そして、
カーミラ様は馬車に乗る前、
そっと僕に囁いた。
「次に来る時は、遊びではありませんね」
僕は、笑って頷いた。
「はい。お迎えします。正式に」
馬車が遠ざかっていく。
胸の奥に宿ったのは、
不安ではなく、確かな未来だった。
婚約破棄現場の横でお菓子を食べている貴族の次男について 鍛冶屋 優雨 @sasuke008
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