第10話 サイレン
母さんは俺の退学のことを知ると取り乱した。そりゃそうか。ここまで頑張って働いて俺のためにお金を稼いでくれているのに、急に退学なんて知らされたら。
深いため息をつきながら、一人和室で寝転がる。昼飯は用意されていない。お腹は空いたが、作る気力もコンビニに買いに行く気力も湧いてこなかった。
だが、腹は減る一方だ。もう少し食べなかったら俺はお腹が空きすぎて、多分気持ち悪くなってくる。重い体を起こし、財布だけを持って、外に出た。俺に対する当てつけかのように空は綺麗に晴れ渡っていた。
春坂はどうしているだろうか。屋上にはきっと入れなくなっているだろうから、教室でやはり過ごしていると思うが、春坂が屋上に逃げ込んできた時のいじめっ子たちの執着を思い出すと、気分が悪くなった。
だが、もう、俺には関係ないことなんだ。春坂は、もう一生会うことのない人。俺と春坂はもう別々に歩んで行く。高校生の時二週間だけ隣にいた存在。あっちもすぐ俺のことなど忘れてしまうだろう。俺は春坂のことを考えるのをやめた。
コンビニの中に入る。手早くおにぎりとからあげクンを買い、店を出る。歩きながらからあげクンをつまようじで刺して食べる。なぜか味はしないが別に良い。腹を満たせればそれでいいのだ。
すると左からウーウーとサイレンが聞こえてきた。耳がはち切れそうなくらいでかい音だ。こんなに緊迫感のある音だったか、と思い直す。横断歩道を救急車に譲る。救急車はびゅんと風を切って、みたことない速さで俺の目の前を横切って行った。サイレンの音も徐々に小さくなっていった。
俺は、そこで少し不穏なことに気づいた。そっちは、学校の方向だ。そっちには学校と住宅街があって奥には山がある。
もしかして今の救急車は学校に行くやつなのかもしれない。冷たい汗が背中を伝った。嫌な予感がした。
後ろからパトカーもサイレンの鳴らしながらきた。何かあったんだ、と思った。
もし学校じゃなくても、学校だとしても、俺にはどちらとももう関係ないことだ。でも、この嫌な予感の正体を放っておいたらもっと、何か、大きいことが――。
そう考えながら走りだしていた。秋の風が頬を撫でる。
息を切らしながら着くと、学校にやっぱり、パトカーと救急車が止まっていた。救急隊員の人や、サイレンの音を聞きつけた近所の人、生徒が校門にいた。先生たちが生徒たちを今日は帰るようにと大声で促していた。救急隊の人たちの「通りますー!道を開けてください!」という声が大きく響き、近所のおばさんたちが道を開けた。
生徒たちのざわめきが俺の耳に届いた。
「誰?」
「知らなーい」
「ニュース載るかな?警察来てんだけど、やばあ」
「なんか二年の女の子らしいよ、春坂?って人らしい」
鳥肌が立つ。頭が真っ白になった。俺は人と人との間を抜けて、救急隊の運んでいる担架を見た。
紛れもなく、春坂だった。
「春坂っ!!」
意識がない。
「春坂っ!!!」
呼びかけたが、反応しない。
警察の人に俺は担架からはがされた。抵抗はしたが。
春坂が救急車に入るとばたんと後ろが閉められた。
意味がわからなかった。なぜ春坂が?何があった。
「君は、お兄さんか?」
警察の人に訊かれた。
「違います……」
小さな声で答える。
「なんかあったんですの?」
買い物袋を手にしたおばさんが警察の人に訊く。
「それがこの中学校の女の子が意識を失ったんですよ。階段から落ちたようで……。詳しいことはわかってないすけど」
だんだん頭が鮮明になってきた。警察の人の言葉を反芻する。
「あーそうなのー。可哀想にねえ」
階段から落ちた……。春坂の乗った救急車を見る。
また別のおばさんが話に割り込んだ。
「階段から落ちただけで、意識をなくすの?後ろから押されて落ちたとか……」
「まあ、可能性としてはない話ではないですけど、まだよくわかっていませんので」
若い警察官は少し怠そうに頭を掻いてから、じゃあ失礼します、と学校の中に消えていった。
後ろから押されることが可能性としてはない話ではない……。背筋がゾッとした。あのいじめっ子たちが春坂を階段から落とした?一瞬頭によぎった。もしそうだとしたら犯罪だ。
ごうん、と救急車が動き出す。俺は慌てて訊いた。
「あの、どこの病院に運ばれるんですか」
「ああ、あのそっちの大塚総合病院。意識がないからな、参ったな。多分脳をぶつけたんだと思うけど」
現場に残っていた救急隊員がそう言った。大塚総合病院の方角を見る。
さっきまで自分には関係ないことと言い聞かせていたのに、病院の名前まで聞いている。
いつのまにか涙が頬を伝っていた。溢れる涙を拭う。何があったんだ。春坂は死んでしまうのだろうか。
空からは、ぽつ、ぽつと雨が降り始めていた。
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