こぼれ言の葉

真夜中 緒

習作 多品治(おおの ほむじ)

 「ごめんなさい」

 母がその言葉を口にするのを、品治は何度聞いたろう。

 母はとても美しい人だったが、明るい笑みを浮かべない人だった。

 幼い品治に向ける笑みも、どこか虚ろで淋しげで、なんだか今にも壊れてしまいそうにも思えた。

 母は、父が殊更に望んで得た佳人だったが、中々子に恵まれなかったらしい。

 何年かしてそれでも品治が生まれたが、その次の子は流れてしまい、さらに次の子も死産だった。

 3人目の子の時の事は品治もよく覚えている。

 母の大きなお腹の中にいるという、品治の弟だか妹だかはとても元気で、品治が着物越しに母の腹に触れると、腹の中から品治の手に触れ返してきたものだった。

 「きっとお兄ちゃんが大好きなのよ。仲良くしてね。」

 母の言葉に頷いたことを覚えている。

 思えば品治が見た母の笑顔で、あれほどに明るく晴れやかな笑顔はあの時だけだったのではないか。

 その、三人目の子が死んで生まれてきたあとは、母はもう虚ろに笑うことさえしなかった。

 真琴が生まれたのはその3年後だ。

 母は真琴を産んで、死んだ。

 産声を上げる真琴を品治に任せ、父は母に取りすがった。

 美しい母を見初め、是非にと迎えとり、頑なに他の女を受け付けなかった父にとって、生まれたばかりの娘よりも、そして生まれたばかりの赤子を抱いて途方に暮れている品治よりも、死にゆこうとする母の方がずっと、ずっと大切だったのだろうと思う。

 「ごめんなさい…」

 母の最期の言葉はやはりそれだった。

 その一言だけをささやいて、母はもう動かなかった。

 父の嘆きは深かった。

 品治に言わせれば深すぎた。

 全てを拒絶したように嘆く父をよそめに、真琴はぐんぐん大きくなった。

 父に捨て置かれていた真琴に名をつけたのは祖父、育てたのは用意されていた乳母、見守ってきたのは品治だ。 

 真琴を守りながら育つうちに、品治は母が父の妻問を受けたいきさつを知った。

 母は猿女として宮中に仕えていたのだと言う。

 先々帝の頃に日輪が昼間に蝕まれることがあったのに対処できず、病中の帝が害されたとして、その頃筆頭の猿女であった母が猿女を下ろされたらしい。

 失意の母を熱心に口説いて、父は邸に迎え入れたのだった。

 そうして、最初から夫の邸に迎え入れられると言う異例の形で結ばれながら、母は中々子に恵まれなかった。

 品治という子を得た後も、流産や死産を繰り返した。

 猿女として劣ると役目を下ろされたこと。

 望まれながら子をあまり産めなかったこと。

 そんなことが母を委縮させていたのだろうと、大人になれば察しはつく。

 いっそ父がよそに子供を作ったなら、少しは母の気も楽だったのかもしれないが、父はひたすらに母に惚れ込んでいた。

 母を失った嘆きで、その母が命がけで産んだ子供を捨て置くほどに。

 母の死を嘆く父は、よく琴を弾いた。

 楽の多氏の中でも父の琴の音は群を抜いて美しかった。

 風が、雨が、光が、花びらが、この世の美しい様々がポロリと雫になって転がるような清らかに澄んだ音は、耳にすればどうしても聞き入ってしまう。

 琴の音は泉下の母へと囁くように、透明な悲しみを綴った。

 品治はどうしてもその音の向こうに母の「ごめんなさい」を聞いてしまう。

 母はいったい何に謝っていたのだろう。

 父に?

 子供たちに?

 多氏の一族に?

 あるいは、自身の出身氏族である比売田の一族や、亡くなったと言う前々帝にか。

 いったい母はなぜあんなにも謝らなければならなかったのだろう。

 子が生まれにくかったのは確かに不幸だが、それでも品治という嫡子は産んだのだ。

 複数の子が必要だったのだとしても、その責は母にだけあるわけではない。

 頑なに母以外には目を向けなかった父にも、問題はあったのだ。

 そして母が猿女の地位を下ろされた原因の帝はそもそも高齢で、死病の床にあったらしい。

 おそらく日輪の蝕があってもなくても、帝は死ぬはずだったのだろう。

 品治にはただ、理不尽にしか思えなかった。

 品治は祖父に乞い、懸命に琴を練習した。

 健やかに育つ真琴に、父の琴の音が、その向こうの母の「ごめんなさい」が、しみてしまいそうで嫌だった。

 琴だけでなく、学問も、馬も剣も弓も習った。

 父が真琴を守らないなら、品治が守らなくてはならない。

 琴も、馬も剣も弓も、品治はめきめきと腕を上げた。

 学問はそれなりだったが、できないと言うわけではない。

 そして品治が腕をあげても、あの父の美しい雫が鳴るような音色には到底届かなかった。

 真琴もまた品治に琴や馬を習う事を好んだ。

 歌は品治よりもよほど筋が良かった。

 真琴は17歳になると氏女として宮中に出仕した。

 出仕にあたり真琴は、役目を降ろされた猿女の娘ということを憚って、祖父の娘ということにされた。

 母によく似た、けれども明るい面差しの真琴は、玲瓏とした美貌に育っていた。

 出仕する少し前に生まれた品治の子を可愛がっていた真琴は、出仕した後も時折頂き物の菓子などを、品治にも分けてくれた。

 玲瓏とした美女ではあったが、真琴に帝の手がつくことはなかった。

 当代の帝は女性であったからだ。

 帝には二人の皇子がおられたが、そのどちらかに召されると言う事もなく真琴は20歳になり、百済の皇子扶余豊璋に下賜されると決まった。

 新羅に滅ぼされた百済を復興するために、扶余豊璋は百済へ帰るのだと言う。

 妃をなる女を下賜するという帝に、豊璋は美貌の真琴を求めたのだ。

 品治は百済出兵に当然従軍するつもりだった。

 真琴が王妃として参加する戦いに、兄の自分が行かないなどという事はありえない。

 だが、品治を父が止めた。

 そして父は百済へ渡り、負け戦の中で真琴を逃がすために死んだ。

 ずっと、母への悲しみにふけっていた父にも、娘を死なせたくない気持ちがあったのだろうか。

 胸のざわめきをおさえて琴をひくうちに、品治の琴の音が変わった。

 父のような雫が転がるようではないが、静かな水面に広がる波紋のような、染入る音色を響かせるようになったのだ。

 なんとか日本へと戻ってきた真琴だが、大切に扱われはしなかった。

 白村江の敗戦の象徴のような百済王妃の真琴を嫌い、代替わりした新たな帝は真琴を筑紫へと追いやったのだ。

 その、帝となった葛城皇子こそが、白村江の戦をおこしたようなものだったのに。

 自分はきっと、この仕打ちを忘れまい。

 忘れまいと思って、その日を迎えた。

 帝が死に、弟の大海人皇子が反旗を翻したのだという。

 迷いはない。

 品治は多氏を率いて大海人皇子につくと決めた。

 父を死なせ、妹を疎んじた先帝を品治が許すことはない。

 その先帝の臣どもが、尊からぬ母から生まれた皇子を担ぐのに、与する理由があるはずもない。

 心は決めるべくもなく、迷いはなかった。

 鎧を着、剣を帯びる。

 それから品治は愛用の琴を弾いた。

 ぴいんと張り詰めた糸が澄んだ音を響かせる。

 ぴいん

 ぴいん

 ぴいん

 一音、一音を確かめるように鳴らす。

 琴の音が品治の深い深い悲しみや怒りをただ静かにのせて、じわりと響いて消えてゆく。

 「馬の支度が整いました。」

 従者の声が告げる。

 「では、ゆくか。」

 最後に琴の糸を撫でるようにして、品治は庭へと出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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