第一章「私が再び羽ばたくために」

【バドミントン部になんて入らないから!】

「中の上、といったところかな」


 ぽつりとそう呟いてから、あたしは自嘲して口をつぐんだ。

 私立札幌永青高校えいせいこうこうの入学式が終わってから、数日が経過していた。

 この学校では、四月の第二週までが仮入部期間となっている。その間は、さまざまな部活を見て回り、活動を体験することができる。

 そんなわけで、高校に入ってからできた友人の石黒紗枝いしぐろさえと、今日までいくつかの部活を見学してきていた。

 陸上部とソフトボール部と、それからソフトテニス部。今日はサブアリーナで、バドミントン部の見学だ。

 そういえば文化部は見ていない。あたしは文化系部活に興味がないし、紗枝ちゃんもきっとそうなのだろう。

 彼女は色白なので、一見すると文科系の女の子のようだが、たぶんそうじゃない。さらさらとしたストレートヘア(あたしはくせ毛なので羨ましい)を頭頂部でまとめているところとか、制服のスカートから伸びるおみ足が、細身なわりに筋肉質なところなどにスポーツをしていた名残が見える(ちな、筋肉質なのはあたしも同じだ。身長は紗枝ちゃんのほうがあたしよりも少し高い。たぶん百六十くらい? 知らんけど)。

 とりわけももとふくらはぎが太い。動きの多いスポーツ、たとえばバスケットなんかを――。


「え? なに? 私の足になんか付いてる?」


 紗枝ちゃんの声で我に返る。しまった、思わずガン見していた。これではまるで不審者だ。


「もしかして、見えてた?」


 少し顔を赤らめながら、紗枝ちゃんが体育座りから正座に直した。


「あ、ごめん。そんなことないよ。綺麗な足だなーってそう思って見てた」

「ほんとに? 私結構足太いよ?」


 あたしと同じくらいだから太いね、と言いかけて、「そんなことないよ」と発言を差し替えた。

 目の前に誰かの足があると、筋肉のつき方を観察してしまうのは、現役時代についたあたしの悪癖だ。この癖のせいで、好意を持たれていると勘違いした男子に告白されたことがある。もちろん断ったけど。

 もうバドミントンはしないのだから、この妙な癖はいい加減にやめなくちゃ。

 気持ちを切り替えて、目の前で展開されている練習風景に目を向ける。

 部員数はざっと見たところ十八人。高校の部活動としては、特別多くも少なくもない。コートは三面。環境としては悪くない。奥のコートで試合形式で練習をしている二ペアが、たぶんチームの一番手と二番手だ。フットワークと空間の使い方が、他の部員とは一線を画している。

 キュッキュッ、というシューズが床とこすれるときにでるこの音が好きだ。意図せず、高揚感が高まってくる。


「紬っちは、中学時代バドミントン部だったんでしょ?」


 彼女は、あたしのことをなぜかこう呼ぶ。


「だね」


 これは、カミングアウトしていたことだ。

 バドミントン、という単語を改めて耳にして、風船から空気が抜けていくみたいに高揚感がしぼんでいく。


「じゃあ、やっぱり高校でもバドミントンを続ける?」

「どうかな。中学のときも、途中で退部しちゃってたし」

「いつまで続けていたの?」

「中三の夏までかな」

「中三の夏で終わるのは普通でしょ?」

「まあ、そうなんだけど。でも最後までやり切ってはいないんだ」


 ふうん、と納得できていない風な声で紗枝ちゃんが呟く。


「じゃあ、続けなくちゃね。バドミントン」


 今の話の流れでそうなるかな。普通。


「関係ないよ。続けるかどうかは別の話」


 そう、関係ない。続けるかどうかと、続けられるかどうかは別問題だ。


「どこ中だったの?」

旭川第一あさひかわだいいち


 ずいぶんと、質問が多い紗枝ちゃんである。

 思えば、彼女は初対面時からこうだった。他人と距離を詰めるのがうまいというか、臆することなくがんがん懐に入ってくるタイプ。ボクシングで言えばインファイター型だ。


「バドミントンの強豪じゃん」

「まあ、そうだね」


 旭川第一中学。北海道地区の団体戦を、ここ三年の間連覇している新進気鋭の強豪校だ。団体戦のみならず、個人戦でも上位を総なめしている。

 あたしもそこの、中核メンバーだった。

 だからこそ、あたしのバドミントンは夏で終わるはずはなかった。あと少しだけ、続くはずだったんだ。

 暑い夏の日だった。あの日のことは、あまり思い出したくはない。

 本音を言えば、今日だって見学に来たくなかった。

 バドミントンが嫌いだから。嫌いになるしか、なかったから。

 けど、なるべく多くの部活を見ようよ、と紗枝ちゃんから提案されていたので、ここだけ避けるわけにもいかなかった、というそれだけの話だ。


「どうして、紬がここにいるの?」


 そのとき、怪訝そうな声が降ってきて、座ったままで顔を上げた。

 女子高生が立っている。チェック柄のプリーツスカート。ブレザーの制服。胸元のリボンが緑なのだからあたしと同じ一年生だ。漆黒のボブヘアにアーモンド型の瞳。背はやや高め。

 とてもよく知っている顔だった。


「この学校を受験して、合格しました」

「そんなことは訊いてない。……というか、なんで敬語なの……?」


 その女子高生、歳桃心さいとうこころは、頭でも痛いのかこめかみ付近を押さえた。


「中学時代、北海道地区シングルス王者だった仁藤紬が、どうしてこの学校にいるのかと訊いているのよ」

「え! 紬ってチャンピオンだったの!」

「わっ、紗枝ちゃん声が大きい」


 案の定、複数の視線がこちらに向いた。騒ぎが大きくなるから黙っていたかったのにぃ。


「それを言ったら心だってでしょ? なんであなたがここに?」


 歳桃心。中三のとき北海道でシングルス三位の実績を持つ。どうしてこの中堅校にいるのか? という意味でなら彼女だって同じだ。


「親の仕事の都合で去年引っ越したのよ。それで今は札幌に住んでいるの。それで、通いやすいからここを選んだ。……なんか文句あるの?」

「いや、ないけど……。じゃあ、あたしこれで帰るから。あたしは、バドミントン部に入るつもりはないから」

「え? なに、もう帰るの?」


 荷物を持って立ち上がったあたしを、紗枝ちゃんが驚いた顔で見る。

 仁藤って、あの仁藤?

 本当に?

 どうしてウチなんかに?

 聞こえ始めた囁きを背に、あたしは体育館をあとにした。

「ちょっと待ってよ!」と紗枝ちゃんの声がしたが、立ち止まることはなかった。

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