組紐


 「イトに、これを」

 その日も、いつものように御膳を出した後に長い長い髪を梳いていた。

 幼様は、不意に袂から何かを取り出し、小さく可愛い手を突き出す。

 髪を梳かしていた柘植櫛を前掛けに置いて手を伸ばす。幼様の手が重なり離れると、そこには絹糸で編まれた組紐があった。


 幼様は紅色に染まった頬を袖で隠す。

「髪を梳いてくれた時に毛が抜けるでしょう? それを取っておいて、編んでいたの。お前の髪を結ぶのに使って欲しくて。いつも私のお世話をしてくれるお前に、御礼がしたくて。あまり上手に出来なかったけれど……」

 そうして顔をすっかり袖で隠してしまった幼様だったが、イトが黙ったままでいるのが気になったようだ。

 そっと目元を覗かせ、ぎょっとする。

 イトが両目から大粒の涙を流していたからだ。


「イト、イト。何故、泣くの? 私の髪は嫌だった? ごめんなさい。もっとちゃんとした物を渡せたら良かったのだけど……」

「いいえ、いいえ。違います。あたし、嬉しくて。幼様が、あたしの為に……」

 イトは前掛けで涙を拭った。


 髪が白くなり始めてから、梳いて抜けた髪でも捨ててはいけないと言い付けられていた。それは死んだ天の蚕様の守り布が、二百年を経た今でも立派に幼様を護り続けているからだ。


 幼様の髪はまだ毛先は黒いが、上手く編めば組紐くらいなら出来る。

 他の世話役達の目を盗んで隠し持ち、誰にも見付からないようにこっそりと、見え難くなった目でイトの為に編んでくれていたのだ。

 ああ、もしかしたら。


「本当は自分で髪を抜いたんですか?」

 そう問うと、幼様は頭から守り布を被り蹲ってしまった。


「だ、だって、みんなちっとも拾い忘れたりしないのだもの。そうするしか無いでしょう?」

 もそもそと白状する姿がいじらしく、イトはくすくすと笑い声を溢した。

 再び目元に滲んだ涙を指先で拭った。


「幼様。怒ってないから出てきて下さいまし。こんなに素敵な物を有難う御座います。あたし、すごく嬉しいんです。本当に嬉しいんです。さあ、せっかく整えた御髪が乱れてしまいますよ。幼様」

 母御の守り布から可愛らしい顔が覗いた。

 早くも古い紐を外して真新しい組紐で髪を結んでいるイトを見て、幼様はふふふっとはにかみ、何故かまたダンゴ虫に戻ってしまった。

 

   *

   

 幼様から白絹の組紐を貰って数日後、屋敷裏の井戸端で洗濯をしていたイトに、村長の娘ハナが声を掛けた。

 用事なら、いつもは乳母か姐や達を通す。少し驚いたが、それよりも気になったのは、ハナと姐やの後ろに控えていた下男達だ。


 イトが深々と頭を下げて用事を訊ねると、おっとりした声が降ってきた。

「土蔵の絹は、今はどのくらい白くなっているの?」

 土蔵の絹とは、幼様の髪の事だ。

 屋敷で働く者達は幼様をそう呼んでいる。

 イトは、誰にも見えないのを良いことに表情を顰めた。


「……今は、もう殆どが白くなっています。元のお色は残り三寸ほどでしょうか」

「そう。長さはどのくらい?」

「ええと、一町約109mよりは長いかと」

「お嬢様、それだけあれば充分かと」

「お前が言うならそうなのね。それじゃあ、みんなお願いね」

 意味の良く分からない会話に思わず顔を上げたイトは、下男達が走り去る姿を見た。

 ハナと姐やも、満足そうに微笑み合って踵を返す。

 用があって向こうから声を掛けたのに、応えたイトに「有り難う」も「御苦労様」も無い。

 イトはただ、半端になった沢山の洗濯物と共に、井戸端に置き去りにされたのだ。


 ふんっと鼻を鳴らして、洗濯の続きをしようとしゃがんだ。邪魔になる髪を背中に撥ねようとした時、イトの目に幼様の組紐が映った。

 暫し考えて、唐突に立ち上がる。

 走り始めた足が竹籠を蹴飛ばして、洗い物がひっくり返り土で汚れた。着物は村長家族の物だったが、拘わっている暇は無かった。

  

   

 

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