白絹
闇に覆われた山道を走る。
自分達を追う気配は無い。
最上の髪絹を手に入れた村の衆は、幼様の事など頭に無いのだろう。
幼様を背に走り続け、村境の道祖神が見え始めた辺りで立ち止まった。
鬱蒼とした山の斜面には、丁寧に草が刈られ踏み固められた道がある。その先に、一抱え程の石が置かれただけの小さな墓があった。
「幼様、着きました」
息も切れ切れに告げるイトの背中で、幼様が緩慢な動きで顔を上げた。
「……何も、見えないわ」
その言葉に、喉の奥がぐっと詰まる。
「大丈夫です。あたしが傍までお連れします!」
気を張って、態と元気な声を出した。
墓までは短い登りだ。
揚々と歩き出したイトは、だが、すぐに足を止めた。
墓石の上に、
今年になって、烏の群れが頻繁に見られていた。蚕達に悪戯をされないように、と言われていた事を思い出し、身を硬くする。
だが、この烏は何処かが妙だった。
イトは気付く。
脚が、三本生えている。
そこに居たのは、日の大神様の烏だった。
*
夜が明けて屋敷に帰って来たイトは、薪割りをしていた年嵩の下男に声を掛けられた。
「幼様は」
「母御様の側に弔ってきた」
そう返すと年嵩の下男は「そうか」と、薪割りを続けた。
イトは自分に当てられた部屋に入り、粗末な布団の横に置かれた小さな行李に懐から出した縮緬の小袋を大事に仕舞った。
不意に、何処かから歌が聞こえた。
機織り娘達の歌声だ。
髪絹を手にした娘達は張り切って、ハナの為に踏み木を漕いでいるのだろう。
イトの目に涙が滲んだ。
悲しくなどは無い。ただ寂しかった。
天の蚕の墓に現れた烏は言った。日の大神様は人の世に落ちた蚕蛾を長年探していたのだ、と。
二百年もの時を経てしまったのは、天から落ちてすぐに死に、その子供達はずっと光の限られた部屋内の、日の大神様の目の届かない所で育てられていたからだ。
幼様は間に合った。
御使いの烏に守られて、天へと帰って行った。
イトは、それを確かに見届けた。
幼様はきっと、大神様の御加護で命の廻りを全う出来るだろう。
イトはそれが嬉しくて、でも、もう会えないのだと思って、寂しくて仕方なかった。
*
秋の畑仕事が終わり、ハナの祝言の日がやって来た。
村中の者が屋敷に集まり、白無垢姿のハナに溜息を溢す。
村長も一人娘の晴れ姿に目頭を抑えた。
これから嫁ぎ先の大店へと向かうハナは、打ち掛けの様に無垢な笑顔を振りまいている。
賑わいの最中、イトは少ない荷物を抱えてそっと村を出た。
山道を夢中で走り、やがて天の蚕の小さな墓の前へ着く。
懐から縮緬の小袋を取り出して墓前に置いた。
「代わりにと頂いた卵ですが、あの村にこの子達は勿体ねえ。御使い様、この子達は御返しします。どうか日の大神様の下で大事に育ててやって下さいまし」
手を合わせて墓前から下がったイトは、どこまでも高く晴れた秋の空を見上げた。
押し寄せた気持ちに蓋をし、再び走り出す。
それきり、イトは村には戻らなかった。
*
下働きの小娘が居なくなった日、村長の一人娘ハナも姿を消した。
嫁ぎ先の大店の前に着いた時、籠の中はもぬけの殻で、残っていたのは天の蚕の白無垢だけだったと言う。
その白無垢も輝かんばかりの艶を失い、まるで役目を終えたかの様にくすんでしまっていたそうだ。
驚いた村長が狂ったように花嫁衣裳を掻き回すと、一匹の蚕蛾が地面に転げ落ちた。その蚕蛾は、茫然と崩れ落ちた村長の尻に潰されてしまったという。
その日を境に、絹の村は寂れていった。
何故か、蚕達が次々と死んでいったのだ。
絹のみで生計を立てていた村はすぐに立ち行かなくなり、稲さえも育たなくなった。
まるで日の大神様の御加護が無くなったかの様だ。
貧困と飢えに喘いだ村は、数年も経たずに絶えたのだった。
それから、数十年後。
白髪の婆様がふらりと隣村に訪れた。
かつての絹の村へ墓参りに行くと言う。
孫息子を連れに山道を矍鑠と歩く婆様は、長い白髪を後ろで束ねていた。
その組紐は、それはそれは艶やかで、美しい白絹だったそうな……。
終
白絹の村 Beco @koyukitochika
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