悪人さんいらっしゃーいって、愛しの殿下じゃないですか

第1話

「いらっしゃいませー」


 フフフ、来た来た。

 情報通り。

 悪人さんいらっしゃーい、なのです。


 ここはアークハイエス辺境伯家領の宿屋の一つです。

 アークハイエス辺境伯家領はバーナス、ホエスク、ミズロシアの三ヶ国と接する、我がユーカレット王国にとっての要地。

 しかも交易重視の姿勢を示しているため、国境通過手続きを極めて簡素にしてあるのですよ。

 するとどうなるか?


 辺境伯家領内に商人が大勢訪れるようになることは当然として、スパイや盗賊、流れ者なんかも多くなるわけですよ。

 あえて混沌とした雰囲気を演出しているともいいます。


 うちの宿屋『ツヅレ屋』は、身内では悪人ホイホイと呼ばれています。

 結構なランクの悪人さんがお泊りになるからです。

 何故か?


 よく考えてください。

 領内に宿屋が数多くあっても、宿屋内の避難口がある、領の門に近い地理的位置、密談していてもバレにくい壁の厚さ、庭が広く監視されづらい、若干高めの価格設定のためいつも空き部屋がある、御飯がおいしい、看板娘(わたし)が可愛い、という条件が揃っている宿屋なんかうちしかないんです。

 できる悪人さんほどうちに泊まりたがるという、巧妙な仕掛けです。


 まあ『ツヅレ屋』には、最新の魔道技術による盗聴装置が各部屋に設置してあるのですけれどもね。

 おかげで悪人さん達の計画は筒抜け。

 少々の悪事は見逃しますけど、一定以上の悪事はシャットアウトです。

 我が国と辺境伯領の治安は、うちの宿屋で保たれていると言っても過言ではありません。


 えっ、わたしですか?

 申し遅れました。

 辺境伯ダニエル・アークハイエスが長女、ナベラです。

 宿屋『ツヅレ屋』の看板娘兼店主をしております。


 どうして辺境伯令嬢が宿屋に関わっているのかですって?

 『ツヅレ屋』は辺境伯家が経営しているからですよ。

 こんな重要な宿屋を民間に任せるわけないじゃないですか。


『……王子が失踪という報告が入った』


 いつものように盗聴していると、ヘクター様が失踪という、聞き捨てならない情報が得られました。


「お嬢様、どうします?」

「スパイさんはこのまま泳がせときなさい。でもヘクター様が失踪?」


 ヘクター様はユーカレット王国の第一王子で、わたしの婚約者でもあります。

 王立貴族学校に通学する一七歳で、卒業後は立太子することになるでしょう。

 わたしのような可愛い子ちゃんが婚約者ということも合わせ、順風満帆の人生を歩んでいらっしゃいます。

 失踪する理由なんてないと思うのですが。


「ガセでしょうか?」

「いえ、ちょっと考えられないことではありますけれども、お父様には報告を」


 有能なスパイさんのもたらす情報は、しばしば正規ルートの連絡より早い場合がありますからね。

 無視はできないのです。

 それにしても気になりますね。

 続報を待たねばなりませんが……。


          ◇


 ――――――――――一〇日後。


「結論から言うと、ヘクター殿下が失踪したのは事実だ」


 お父様が神妙を装っていますが、どこか面白そうですね。

 愉快なイベントが起きたぞ、くらいのことを思っているのでしょう。

 不謹慎です。


「どういうことなのです?」

「最近面白くないと、殿下は側近にもこぼしていたようなのだ。それでふいっと姿を消したらしい」

「は? ではヘクター様はお一人で行方不明になったのですか?」

「おそらくな」


 面白くないから家出ということでしょうか?

 子供みたいですね。

 第一王子がそんなことでいいのでしょうか?

 また護衛にも問題があるのでは?

 ユーカレット王国の未来が心配ですね。


 いえ、ヘクター様はわたしの婚約者でした。

 他人事ではありません。


「ヘクター様も近侍の者も、自覚が足りないのではありませんか?」

「厳しいな。そなたの婚約者ではないか」

「わたしの婚約者だからこそです」

「男は旅に出たくなるものだ。今が許される最後の機会、という思いがあったのかもしれん」

「やはりお父様も誘拐ではなく、家出という判断ですか?」

「もちろんだ。王家の警護が甘いとは思えんし、大体殿下自身もかなりの剣の使い手なのだろう?」


 ヘクター様は貴族学校でもかなり優秀という話です。

 それは剣術においても例外ではなく。


「面白いことになったな」

「お父様ったら」

「いや、冗談ではなくてだな。殿下の器量を見定める貴重な機会だろう?」

「どういう意味です?」


 ヘクター様の器量を見定める貴重な機会?

 お父様の考えも聞いておきましょう。


「王都の門では身分照会がある。普通に考えれば、門で殿下は身柄を確保されるだろう?」

「そうですね。王都から外に出ようとするならば」

「王都に入ろうとする時はチェックが厳重だが、出る時は甘いのだ」

「なるほど?」

「俺のカンだが、殿下は旅に出ようとする」


 先ほどの、男は旅に出たくなる説ですね?

 それでお父様は面白がっているのですか。

 お父様のカンは結構当たりますしね。


「門番を誤魔化して外に出たとしても、世間知らずのボンボンが旅してたら普通におかしいと思われて捕まるだろ。つまり臨機応変に物事を考えられるほど、殿下は遠くへ行けることになる」

「……だからヘクター様の器量が試されると?」

「そうだ」


 旅の期間が長くなるほど、ヘクター様が優秀である証拠だとお父様は見ているみたい。

 確かに興味ありますね。

 ヘクター様が本当に旅がしたいというのならば、失踪が通達されて門の警備が厳しくなる前に外部へ出ているはずです。


 裏をかいて王都内にいることもあり得るでしょう。

 御学友に匿ってもらえば、そうそう見つからないでしょうし。

 しかし……。


「……お父様は王都外に出ていると考えているのですね?」

「俺が殿下ならな。王都内なら今後も視察で見る機会はある。しかし王都の外を庶民の目線で見る機会などないんじゃないか? これに勝る経験はない」


 なるほど。

 お父様はさすがですね。


「王都の外へ出ているとして。ヘクター様がどこに行ったかわかりませんか?」

「ハハッ、さすがにわからん。ヘクター殿下の趣味嗜好にもよるからな」


 ですよね。

 まったく困った婚約者様だこと。


          ◇


 ――――――――――さらに一〇日後。


 悪人さん達の情報と王都からの連絡を総合すると、ヘクター様はまだ捕捉されていないようです。

 ちょっと心配ですね。

 お父様は殿下やるなあ、なんて暢気なことを言ってますけど。

 偶発的な事故などに巻き込まれていなければよいのですが。


「いらっしゃいませー」


 あれ、珍しいですね。

 随分くたびれた形の男性のお客がおいでになりましたよ。

 『ツヅレ屋』は、悪人以外では比較的裕福な商人のお客が多いです。

 大体支払いに問題のありそうな方は、玄関の料金表を見て引き返すものなんですけれどもね。

 どんな方かしらん?


「あれっ? 君……」


 ヘクター様じゃないですか!

 オーラがなかったから、遠目じゃ全然わからなかったです。

 そしてわたしとわかった瞬間に王子オーラを全開にするヘクター様。

 うわあああああ、眩しい!

 惚れてまうやろ!

 急いで話のできる個室に案内します。


「ヘクター様、どうされたのですか?」

「えへへ、来ちゃった」


 格好いい上に可愛い!

 何だこの無敵王子は!


「ナベラこそ。扇で顔半分隠したところしか見たことなかったから、随分表情豊かでビックリしたよ」

「申し訳ありません。領では平民に扮して看板娘をやっておりますので」

「とても可愛らしい。ナベラの新しい魅力を発見しちゃったな。惚れ直したよ」


 どうしてこの人は歯の浮くようなセリフを連打できるんだろう?

 ヘクター様とわたしの婚約なんて、どう見たって政略でしょうに。

 ……わたしもヘクター様のことはお慕い申し上げておりますけど。


「それにしても宿屋兼食堂の看板娘? 僕をキュンキュンさせるためにやってるわけじゃないんだろう?」

「違いますってば。ヘクター様はわたしがこの宿屋にいることは御存じなかったのですよね?」

「もちろんさ。立地も構造も良さそうだったから、『ツヅレ屋』に決めようかと思っただけ」


 ヘクター様ったら悪人の発想!

 見るとこは見ていらっしゃるんだなあ。


「実はこの『ツヅレ屋』は……」


 悪人さんいらっしゃーいがどうのこうの。

 目を丸くするヘクター様。


「何と悪人ホイホイ。そんなものがあろうとは。ちょっと驚きだよ」

「ですから『ツヅレ屋』はアークハイエス辺境伯家の経営なんです。わたしが任されておりまして」

「今日は僕の知らないナベラの魅力をどんどん発掘してしまうなあ」

「も、もう。ヘクター様ったら」


 さらっと仰るんですから。

 素敵。


「ヘクター様が失踪されたという話はこの田舎にも伝わってきているんですよ」

「失踪? ああ、僕は失踪扱いになっているのか」

「何故第一王子ともあろう者が、こんな無責任なマネを?」

「ナベラに会いたかったからかな」


 言うと思ってましたけど!

 必ず言うと思ってましたけど!


「冗談を抜きにすると?」

「冗談ではないのだけれどもね。……そうだな。ナベラも来年は王都に上ってくるだろう?」

「はい」


 わたしも王立貴族学校に入学の年齢です。

 王子妃、そして王妃となるだろうわたしも社交が大事になってきますので、当然王都にまいります。


「僕は今、進級の単位は足りてるんだ」

「だから飛び出してきたのですか」

「一年後には卒業だ。今しかなかったな。一人旅を楽しむのは」

「一人旅……」


 お父様の言うことが当たっていました。

 これも人生経験なのでしょう。

 一年ぶりに会ったヘクター様は、随分大人になった気がします。

 ドキドキしますね。


「可愛いナベラを育んだアークハイエス辺境伯領に来てみたかったんだ」

「ありがとうございます。居城まで案内させますね」


          ◇


 ――――――――――アークハイエス辺境伯家居城にて。


 ヘクター様には湯浴みしていただき、皆で食事を取りながらの歓談です。


「いや、しかし殿下も追っ手に捕まらずにここまで来たとは、大したものだな」

「いや、辺境伯領に行くと、ヒントは出してきたのですけれどもね。密かに護衛がついているものだと思ってたんですよ。僕に気配を感じさせないのはなかなかだなと思っていたくらいです」

「わはははは!」


 お父様が上機嫌です。

 殿方はどこにツボがあるのかわかりませんね。


「どんなヒントだったんですか?」

「癒されに行くと、書き置きを残してきたんだ」

「わかりませんよ!」

「そうかな? 僕の側近や世話係なら、愛しのナベラに会いに行くとピンと来てくれなくては」


 もう、ヘクター様ったら。

 歯の浮くようなセリフを。

 好き。


「ハハッ。しかし道中殿下を待ち受ける者どもがいただろう? どうやって躱してきたのだ?」


 これは不思議でした。

 連絡が届くスピード以上に急ぐのでなければ、どこかで見つかって連れ戻されたと思うのですが。


「これ内緒なのですが、僕はこういう技が使えまして」

「あ……王子オーラを感じなくなりましたね」

「ほう、隠蔽スキルか」

「御名答です」


 何とヘクター様は剣術が達者なだけではなく、存在感を極端に薄くする特殊なスキルの使い手でもあったようです。

 確か魔法もお使いになれたはずですし。

 道理で簡単に辺境伯領に現れたわけです。

 さっき密かに護衛がついているものだと思ってたなんて仰ってましたけど、隠蔽スキルを使われたら追手だって見失ってしまうでしょう。


 それ以上に最初現れた時、本当にみすぼらしい庶民だと思ったのです。

 隠蔽スキルの恩恵だけでなく、庶民らしい仕草や振る舞いも研究してきたに違いありません。

 次期王の最有力候補が何の酔狂か、と思う向きもあるでしょう。

 実際のところ、本当にわたしに会うためなのではないでしょうか?

 顔が火照りますね。


「もう学校は休業期間に入るんだろう? 殿下はしばらくうちにいるんだな?」

「はい、甘えさせてください」

「もちろんだ。その代わり、ナベラを甘えさせてやってくれ」

「もちろんです」

「もう、何を言っているのですか!」


 恥ずかしいではないですか。

 お父様はニヤニヤしているし、ヘクター様はニコニコキラキラしているし!

 どうやらわたしが王立貴族学校入学のために王都へ行く際、ヘクター様と一緒にということになりそうです。


 それまでは領でのんびりですか。

 うわあ、何をいたしましょう!

 楽しみですねえ。

 アークハイエス辺境伯家領は多くの人が集う場所。

 かなり面白いところもあるんですよ。


「ヘクター様はどこか行きたいとか、何かしてみたいとかがありますか?」

「僕も『ツヅレ屋』で働かせてくれないか?」

「えっ?」


 悪人ホイホイで?

 これは意表を突く意見ですね。

 なるほど、将来王となるヘクター様にとって『ツヅレ屋』は、興味ある対象かもしれないです。


「看板娘のナベラを近くで観察したいんだ」

「まっ!」

「色っぽくない提案だと思ったが、そうでもなかったな」

「お父様!」


 アハハオホホと笑い合います。

 大好きなヘクター様と一緒に過ごせるなんて、楽しい毎日になりそうですね。

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