【レモンスカッシュ】

天野小麦

第1話 喫茶店

 5年前、地元の通りの少ない道で、小さな喫茶店を見つけた。


(喫茶黒猫…)


去年までは無かったはずだ。


だが、どうしても前に何が建っていたのか、思い出せなかった。


 スピードを緩めながら店内を覗き込む。


不意にその足が止まった。


 茶色いくせっ毛の女性が、奥のボックス席に座っていた。


背中しか見えなかったが、見覚えがあった。


(一応、確認するだけだし)


 私はそう自分に言い聞かせ、赤いペンキの塗られたドアを開けた。


 きっと私は、どうかしていた。




 風鈴の音が鳴り終わる頃、黒いスーツを着たウエイトレスがやって来て言った。


「いらっしゃいませ。お連れ様がお待ちですよ」


「え?」


 私が混乱していると、奥の席から声が聞こえた。


「おーい、エリ!ここだよー」


 白くて細い手が、あのボックス席から見えた。


私はその声に吸い寄せられるように、身体を動かした。


「…マイ?」


「久しぶり!最期にあってから何年経つかなあ」


 マイは10年前と変わらない、無邪気な笑顔を見せた。


「あ、うん。久しぶり…」


 私は彼女の明るさに思わず目を背けた。


「何か飲む?ここ、種類が豊富なんだよね」


「あ、うん」


 私はマイからメニューを受け取り、震える目を上下に動かした。


と言っても、さっきから同じ所を行ったり来たりして、結局一番左端の行しか見ていなかった。


「お決まりですか?」


 気付くとウエイトレスが伝票とボールペンを持ち、横に立っていた。


「あ、じゃあ…レモンスカッシュで」


「かしこまりました」


 私がふっとため息をつくと、前に座るマイが笑った。


「注文が苦手なの、変わってないね」


―――ああ


 言われてみれば高校の頃、確かに私は恥ずかしがり屋だったかもしれない。


・・・


 クラシックの流れるお洒落な喫茶店で、私はマイと2人きりの時間を過ごしていた。


年季の入った机と椅子に、所々キズが残るベージュの壁。


店内に飾られた白い花の香りを、ふんわりと鼻先で感じた。


「マイは今日、何でここにいたの?」


「え?なんか会いたいなーって思って」


「私がここに来ると思ってたの?」


「ううん、私が呼んだんだよ」


 マイはそう言って微笑むと、オレンジジュースをひと口飲んだ。


キラキラと輝く液体が、カラフルな道を走っていく。


私は誘導されるがまま、しばらく彼女の唇を眺めていた。


 それから少しして。


正気に戻った私はレモンスカッシュの存在に気付き、慌てて口をつけた。


 そんな様子を見て、背後の壁に取り付けられた古い時計が、チクタクと私を急かした。


彼女に言わなきゃいけないこと。


またもう一度会えたら、と心に決めていた。


 だが、結局私は真ん中の、当り障りのない選択肢を選んでいた。


「…呼んだって言ってたけど、私で良かったの?」


「うん。エリといるのが一番楽しいもん」


 マイはそう言った後、頬を少し赤らめた。


 気休め程度の会話と彼女の反応が、私の唯一の居場所になっていた。


たとえそれがグッドエンドに繋がらないと分かっていても。

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