第26話 ウィル
「ソフィア……ありがとう……」
彼女の亡骸をそっと寝かすと、再び剣を拾い上げて、静かに祈りを捧げる。
「主よ、どうか我が瞳に、希望を映す光をお宿しください」
ゆっくりと目を開け、ささやいた。
「神技解放……
ウィルの青い瞳が、金色に染まっていく。その目は暗い雨雲の下で、燦然と輝いていた。
「行くぞ! フィオ!」
地面を蹴り、目にも止まらぬスピードで接近してくる。結界を張ったけれども、それらは全て見破られ、破壊されてしまう。
「さすがにだめか……」
ウィルの神技は神の眼を開眼させる力。魔力の流れをより繊細に可視化させるだけでなく、数秒先の未来を見通すことができる。おおよその攻撃は当たらないと思った方が良い。
ソフィアが死に、魔力障壁が消えたことでアランの方へと再生の魔法が届くようになったので、右腕を再生させようとする。
けれども神技を解放した上に体を癒したウィルの速力はすさまじく、再生が終わるよりも速くにアランに接近し、剣を弾き飛ばしてしまった。そのまま回し蹴りを入れて突き飛ばすと、瞬く間に私の目の前まで迫る。
その魔剣で薙ぎ払い、防御結界を一瞬にして解体する。まずい、一度体勢を──
「すまない」
そう言うとウィルは、反撃の芽を摘むために容赦なく私の右腕を切り飛ばした。
「──ッ!」
残る左手に爛熟の魔法を宿し、最後の望みを込めたけれども、あえなくそちらも斬られてしまう。
そしてついに、ウィルの剣が私の心臓を貫いた。その瞬間、私の胸の中で、ガラスが割れるような音が響く。
素早く剣を抜き取ったウィルは、上方に飛んでいた私の右手をキャッチして、そのまま傷口ねじ込んでくる。アランを回復するためにその手に宿していた再生魔法は、私の傷と欠損をみるみるうちに治してしまった。
「な、何を……」
その直後、私の心臓は高鳴りながら動き出す。それと同時に、全身に痺れるような悪寒が走り、力が抜けていく。
「ウッ……グッ──!」
膝をついて倒れ込み、両手に咳き込みながら喀血する。
「ハアッ……ハアッ……ウィル……これは……」
「君の魔法を断った」
「えっ……?」
「改めて聞こう。フィオ、君は本当に虐殺を望むのか?」
「それは……」
ウィルからそう問われると、長らく沈黙を極めていた涙腺から、何故だか今になって、一筋の涙が流れ落ちる。
「だって……だって仕方ないじゃない……私は王だから、みんなを助けないと……もう後戻りはできないの!」
気持ちを落ち着かせようと、自分に何かを言い聞かせるほどに、かえって凍りついていたはずの感情が、動き出してしまう。胸を抑えながら、無意識に祈りの言葉をつぶやいていた。
「
「フィオ!」
その祈りをかき消すようにして、私の名を叫ぶ。
「もうやめるんだ。それ以上、自分の心を殺さないでくれ」
その金色の眼で私の心を捉える。
「君はそうやって無意識に、自身に向けて鎮静の魔法を使っていた。この地獄みたいな世界で、何とか正気を保つために」
「えっ……」
「でも強化召喚によって増幅したその強大な魔力量のせいで、出力が高まりすぎていたことに、君自身、気づいていなかったんだ。そしてその精神を回復させる力が過剰に働きすぎてしまった」
「……」
「その幾重にも重ねがけされた鎮静の魔法は、君に冷酷を強いた。そうして君の中に生まれてしまったのが、イゾルデの正体。どんな手を使ってでもみんなを救い出すという、そんな誓いの暴走が産み落とした悲劇の魔女だ」
その心眼が、私の過去を見通していく。
「そんな……そんなことない……今でも私は……この国の破滅を……願って……」
「それが本心なら、そんなにも悲しい顔はしないよ」
「……違う……違うの……私は……私はただ……王として──」
「ごめん、フィオナ」
ウィルは歯を食いしばりながら跪く。
「君がこんなになっていたのに、気づいてやれなかった……君がこんなになるまで、駆けつけてあげられなかった……僕は君の騎士なのに……こんな……こんなにも……」
ウィルの言う通りだった。鎮静の魔法を断たれ、麻酔が抜けた私の穴だらけの精神は、今にも崩れかけていた。もう、限界だった。
「私ね……マーシャちゃんのこと、殺したの……」
胸が張り裂けそうなほどにズキズキと痛み出す。
「たった一度擦り傷を治してあげただけなのに、聖女のお姉ちゃんって言って、私のこと慕ってくれた子。それなのに私は、マーシャちゃんのこと、殺しちゃった……こんなこと、本当はやりたくなかった……でも王として、甘さは捨てないとって……みんなを救う覚悟を持たないとって思って……それでどんどん殺していくうちに、後戻りできなくなって……それで……それで……」
罪の重さに耐えかねて、膝から崩れ落ちてしまい、私は情けなく咽び泣いた。
取り返しのつかないことをした。今更許されるはずもない。被害者はこの国の人々だというのに、こんなふうにかわいそうだと思ってもらえる権利なんて私にはない。
「フィオ、君にまだ元の心が残っているというのなら、僕と共に来てほしい」
「ウィル……と……?」
「ああ。ロザリアの民も、この国の人達も、みんな救い出すんだ」
「そんなの……どうやって……」
「異骸を操る力があるというのなら、もうレシェフの大結界にエネルギーを費やす必要はない。それでも資源不足は続くだろうけど、フィオの魔法があれば、作物もいくらか再生させられるはず。この国を異骸資源への依存から脱却させたら、みんなをちゃんと浄化してあげよう。それで最後は、元いた時代に何とかして一緒に帰るんだ。今度こそ僕らのロザリアを守る。この世界線も、僕らの故郷も、両方とも救ってみせる。全部元に戻したら、またいつもの離宮で、みんなとお茶でもしよう」
「……私なんかが……そんなこと……してもいいの……?」
「いいや、違うよ。君にしか、できないんだ。君だからこそ、やらなくちゃいけない」
「……」
「償おう。僕も一緒に背負うから。だからどうか、それを捨てて、この手をとってくれ」
やはりウィルにはバレていた。私が結界で作った短剣で、イゾルデごと自害しようとしていたことを。多分これは、一人では捨てられなかった。
「フィオ」
「……ウィル」
短剣を手放し、差し出されたその手をとろうとする。
全霊をもってして償おう。そう決意してウィルの指先に触れたその瞬間、視界が真っ赤に染まり、生暖かい何かが私を飲み込んだ。それを拭って目を開けると、自分の指は付け根から欠け、さっきまで触れていたはずのウィルの手がなくなっていた。そして背後には、あの若い眼帯の神父が不敵な笑みを浮かべていた。
「おや、おかしいですね。勇者様の魔力であれば、もっと高い出力になるはずなのですが……」
ウィルの体を、真っ赤な術式が侵食していく。何かを悟ったウィルは、自らの胸を、その魔剣で貫いてしまった。
「ウィル!?」
「ハアッ……ハアッ……エルク……これは……君の仕業か……」
「いかにも。召喚の儀の折、勇者様が確実に魔女を倒せるよう、祝福を仕込ませていただきました」
「祝福……だと……」
「魂を魔力に変換させる捧霊術を、条件起動式で強制する術。術式の起動条件は『愛する者に触れること』です。そして術式の内容は『全霊をもってしての自爆』。かつてこの世を震撼させたシリアル・キラー=メイジが編み出した最高に悪趣味な魔術ですよ。しかしまさか、断魔の剣でご自身を貫いて解除なさるとは、さすがは勇者様です」
「僕を召喚したのは……最初から……」
「はい。いざとなったらこうして人間爆弾になってもらうつもりでした。国の存亡がかかっている訳ですから、私どもも手段を選んではいられません」
早く助けないと、このままでは死んでしまう。急いで再生魔法を使い、ウィルを回復させようとしたけれど、一向に血が止まらない。
「ウィル! その剣を抜いて!」
その剣の力のせいで、ウィルの体に私の魔力が全く通らない。
「早く! ウィルが死んじゃう!」
ウィルは静かに首を横に振る。
理由は分かってた。この剣を抜けば、自爆の術式が起動してしまう。そうなれば私も、間違いなく巻き込まれる。
「愛する者に触れこと……か……」
何故だか笑みを浮かべて
「全く……こんな形で君に気持ちを伝えることになるとはね……」
何度も何度も再生魔法をかけた。
「
どれほど祈りを捧げても、届きはしなかった。
ウィルの心眼に、一瞬だけ魔力が集中する。ハッとして何かを視たような表情を見せると、すぐにその力は失われた。
「フッ……そういうことか……」
笑みを浮かべたウィルの顔はどんどん安らいでいき、その震えた手を私の方に伸ばす。
「フィオ……そこにいるか……」
「いるわ! 私はここよ!」
その手を掴み、強く握りしめた。
「大丈……夫……僕はまた……君の元へ……」
「しっかりして! 今私の魔法で──」
「フィオ……ありが……とう……」
そう一言告げると、彼の目から光が潰えた。
「ウィル! だめ! 死なないで……! 私を……置いてかないで……そんな……こんなのって……」
祈りを捧げ、再生の魔法をかけ続けたけれども、それは本当に、ただの祈りでしかなかった。
どうして魂は、再生できないのだろう。
「フィオナ!」
アランが私の方に駆けつけてる。
「もうやめるんだ! これ以上はお前が危ない!」
「だって……だって……」
「そいつは死んだ! もう魔法じゃどうにもならないんだ!」
アランにはっきりとそう言われたことで、現実を突きつけられる。鎮静の魔法が断たれた私の裸の心は、今にも壊れてしまいそうだった。
失意のどん底に突き落とされ、虚無感に包まれながら俯いていると、どうしてか突然、胸の内から澱んだ魔力が込み上げてくる。先ほどの祈りのせいだろうか。もうどれほど魔力があってもウィルを生き返らせることはできないというのに、神は今さら私に膨大な魔力を施してくる。
こんなの、抑えきれるはずがない。
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