第24話 白兜

「勇者様……!」

「ゆ、勇者様だ!」

 人々がその剣士を崇める。彼は浴びせられる黄色い声援の中、黙々と辺りの異骸を斬り倒していく。

 私の側まで吹き飛ばされた異骸の兵は、斬られた腕の再生力が弱まっている様子だった。

 私が再生魔法をかけてやると、流石に効いてくれたが、普段より魔力を持っていかれた気がする。呪いのような力だろうか。魔法の通りが悪い。

 なるほど、おそらく私の部隊が全員ここまで辿り着けなかったのはこいつのせいだろう。少なくとも二個中隊はやられたと見積もった方が良い。

 傷ついた異骸のみんなに向けて再生の魔法の範囲を広げようとすると、それを阻むようにして白いヴェールのようなものが展開される。

「させません!」

 声のする方に振り返ると、少し小柄な白魔法士の女が長い杖をかざしていた。

「……魔力障壁か」

 私の魔法の射程が制限されている。こいつも良い腕だ。おそらくはこの白兜しろかぶとのヒーラーだろう。

「次から次へと、隠し玉が多いのね」

 その剣士は兜の下から私を見つめる。

「……君が魔女か」

「ええ、そうよ。はじめまして」

 避難民の安全を確保すると、ゆっくりと辺りを見回した。そこらじゅうに転がっている死体を目にすると、拳を握りしめながら

「……いったい何人殺したんだ」

「ああ……そうね。そう言われてみれば、いつから数えなくなったのかな……」

 最初にこの手で殺めた罪のない子のことは、今でもはっきりと覚えている。私を聖女のお姉ちゃんと慕ってくれた、愛らしく元気な女の子。爛熟の魔法で、なるべく痛みのないように塵にしてあげた。あれはどんな手を使ってでもみんなを救い出すという決意が揺らがないようにするための儀式でもあったのだと思う。

 けれども次第に数が増えていくと、命を奪うという行為は、それこそライン作業のように、単調で味気のないものに変わっていった。一人目の殺しと、百一人目の殺しは、全くもって別物だ。殺せば殺すほどに、負の感慨は薄れていく。

 だから何人殺したのかなんて問いは、私の罪の意識を揺さぶるものには到底なりえない。きっともう千人ほどか、あるいはもっと大きな数になるだろうが、もはや私にとってはただの数字ある。

「ねぇ、勇者さん。勇者さんはさ、やっぱり友達とか、沢山いるのかな」

「……何の話だ」

「私は沢山いたよ。本当に沢山の人が私のことを慕ってくれていた。多分数にしたら一万は超えると思う」

 そう言いながら異骸になったみんなの顔を見てみた。

「でもさ、やっぱり全員の顔は覚えてあげられなかったんだよ。結構努力したんだけど、流石に多すぎたの。知ってるかな。人間の脳のキャパシティを考慮すると、顔見知りになれる人数はせいぜい150人程度が限界なんだって」

「……」

「同様に殺した人の数も、それを超えたあたりからは、意味のない数字になっていくんだよ。新しい人を殺せば、前に殺した人のことなんて、どんどん忘れていっちゃう」

 今度は私の足元に転がっていた敵兵の死に顔に目をやってみたけれど、やっぱりこの先も彼のことを覚えていられる自身はなかった。

「それで最初の質問に戻るけど、確か『何人殺したのか』だったよね。覚えてはいないけど、たぶん今からあなたも殺すことになるから、殺した数は一人増えることにはなると思う。でもそれは所詮、私にとっては繰り返されるn+1の一つでしかない。だからそんなことを聞かれても、私の良心は、もうこれ以上、痛まないんだ」

「……そうか」

 少し俯きながら、そう静かに返事をした。てっきり激昂でもして自分を奮い立たせるものかと思っていたけれど、やけに冷静な奴だ。

 少し間をあけてから再び私と目をあわせると、もう一言、静かに告げてきた。


「すまない」


「……はっ?」

 何を謝罪しているのだろうか。全く理解ができず、調子を狂わされてしまった。するとそいつは剣を握りしめながら


「君は悲しい人……なんだな……」


 そう言われると、息が詰まってしまった。今まで凍りついていたはずの私の感情が何故だか揺らいでしまう。

 直後、その剣士は地面を蹴り、私の方に飛び込んできた。動揺のせいか、反応が遅れてしまい、接近を許してしまう。

 振り下ろされる剣に向けて、ギリギリのところで結界を張る。この威力であれば十分に受け止められるはず。そう思ったのも束の間で、彼の剣は私の結界を少しずつ霧散させてしまう。

 結界の構造が崩されている。これは物理的な作用ではない。異骸の再生が遅れているのも、この力のせいか。おそらくは高度なアンチ魔法の類だろう。

 結界の崩壊を悟った私は、近くの死体から剣を拾い上げ、白兜の剣撃を受け止めた。結界で勢いを殺していたため、何とか私の力でも抑えることはできたが、もちろん力の差は歴然で、そのまま押し込まれそうになる。

 しかしそれを見たアランが斬撃を放ち、応戦してくれた。このタイミングならば相手は避けるしかない。体勢を立て直そうとすると、アランの斬撃は途中で何かに阻まれてしまう。

「勇者様! 背中はお任せください!」

「ああ、助かるソフィア!」

 結界だ。それも私のそれに迫るくらいに透き通った純粋な結界。

 アランの攻撃を封じ込まれると、いよいよ私の剣にひびが入りはじめる。

 まずい。一度後方に下がり、薔薇の結界で接近を拒んだ上で体勢を立て直すべきか。いや、こいつの剣の前ではそれも分解されてしまう可能性がある。

 ならばこの攻撃は再生することを前提にこの身で受け、爛熟の魔法で奴を崩すべきか。この距離ならば射程圏内ではある。しかしこの剣を受け、一撃で殺されないとも限らない。そもそも剣士を相手に私が近接戦をしかけるのはあまりにリスクが高すぎる。

 危機を感じたところで、地響きが聞こてきた。白魔法士の結界を突き破り、黒竜が突進を仕掛けてくる。そのまま土煙を上げながら剣士に追突し、吹き飛ばしてくれた。

 何とか難を逃れた私は辺りに結界を張り直す。アランも側に駆け込み、私の前に立ってくれた。

 流石に竜の一撃ならばひとたまりもないだろう。しかし巻き上がった土煙から、何かがこちらに飛んでくる。地面に落ちたそれを見ると、ニールの首が転がっていた。

 その剣士は剣圧で塵を払うと、左肩をおさえる。流石にダメージはあったようだ。しかし白魔法士がすかさず治癒魔法を施し、傷を癒してしまった。

「アラン、あいつ、やれる? 私の結界が効きにくいみたいなの」

「任せろ。やるしかない」

 アランが剣を構えると再び突っ込んできたので、薔薇の結界で行手を阻む。

「グッ──」

 そのまま捉えることができたが、全身を包み込んだ甲冑は強固で、傷は浅かった。だが動きは封じた。アランが飛び込むと同時に結界を解除し、進路をつくる。

 白兜がアランの剣を受け止めるとそのまま切り返して応戦してきた。剣術の実力は五部といったところだろうか。中々勝負がつきそうにない。ならば一つ、何か綻びをつくってやれば均衡は崩れるはず。

 アランが切り込み、白兜が後ろに下がってそれをかわしたタイミングで、薄く高密度な複層結界をその剣撃の先に置いた。すると結界はアランの攻撃で破壊され、白兜に向かって破片が飛散していく。それらを打ち落として身を守っている間にアランは踏み込み、一太刀を浴びせた。

 けれどもそいつは傷を追いながらも即座に反撃してくる。アランが振り下ろされる刃を剣で受け止めるとしばらく押し合いになったが、不意にその白兜が刀身をいなしながら回し蹴りを入れたことでアランは転倒してしまった。

 ここで追撃を許す訳にはいかない。私は彼を守るようにして結界を張る。しかしそのチャンスには目もくれず、私の方へと突っ込んできた。

 アランが即座に立ち上がり、それを追おうとしたが、白魔法士の結界が現れ、阻まれてしまう。

 私も薔薇の結界で接近を拒もうとしたけれど、その透明の結界を感知しているか、一瞬でそれを切り崩す。

 防御結界を展開しようとしたものの間に合わず、懐に潜り込まれてしまった。振り上げられた剣撃を受けたことで私の仮面は剥がれ、空高く飛んでいく。

「クッ──」

 大丈夫だ。まだ意識はある。防御結界を今度こそ展開しきり、囲い込むことで足止めをしながら、すぐさま再生魔法で傷を癒す。断たれた肋骨は繋がり、顔を深く抉った切り傷も塞がっていく。

 何とかカバーできた。そしてその剣士も、結界の中に囚えられている。このままその密閉空間を維持し、解毒魔法で酸欠に追い込めさえすれば勝機はある。

 何としてもこいつを殺して、みんなを救い出そうと睨めつけた瞬間、その剣士は構えていた剣を下ろした。


「フィオ……ナ……?」


「……えっ?」

 今この人は、私の名を呼んだだろうか。イゾルデではなく、フィオナと、確かにそう言った。

 彼はゆっくりとその兜を脱ぐ。そしてはその素顔が目に入ると、私は思わず息をのむ。


「……ウィ……ル?」


 その穏やかで利発な眼差しは、かつて私が最も慕っていた、大好きな騎士のそれだった。

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