第16話 図書館

 メイシアを陥落させ、囚われていた異骸達も解放する。住人がいなくなり、空っぽになったこの街の図書館で、私は一休みすることにした。

 体を休めつつ、この時代の情報を収集するのにちょうどいい。メイシアはアカデミアの街でもあったので蔵書はかなり充実している。国立大学の敷地に建てられた中央図書館は巨大な塔となっており、円状の壁に沿って大量の書物が整然と並べられていた。最上階には禁書の棚もあり、一冊一冊に鎖がつけられ、持ち出されないようになっていたが、全部アランにぶった斬ってもらった。

 私は使えそうな本を取り出し、一階中央の机に持っていく。めぼしいものを集め終わると、横積みにした本の山の中で淡々とそれらを読んでいく。

 本は良い。心を穏やかにしてくれる。幼い頃から本の虫だった私にとって、読書は人生の息継ぎのようなものである。もちろん今回はこの時代の情報収集が目的ではあるけれど、それでもここ最近は戦いばかりだった私にとっては、束の間の安息である。

 しばらく読み耽っていると、日が傾いてきた。夕色の斜陽が本棚や机が落とす影を伸ばしていく。

 左手で本を読みながら、もう片方の手の平に結界を展開させ、薔薇の花をつくる。その頭に親指を押し付けて血を滲ませると、透明な花弁は赤く色づいていく。花を机に置き、魔法で傷を治してからまた次の花を作る。気づけばそれが自分の手癖になってしまい、本を読み終える頃には辺りが赤い薔薇で一杯になっていた。血と夕日を取り込み、真紅に輝く結界は我ながら中々に見応えがある。

「フィオナ、何だそれは? 魔法の実験か?」

 退屈そうにしていたアランが訪ねてきた。

「ああ、いや、これは手遊びみたいなものよ。綺麗でしょ?」

「まあ綺麗といえば綺麗だが……これ、全部あんたの血だろ?」

「まあ……そうね」

「なぜこんなことをする? 自分への罰のつもりか?」

「罰……ああ、そうか……そうなのかな……」

 あれだけの人を殺しておいて、こんなにも穏やかな時間を過ごしていることへの後ろめたさからくる行動だろうか。無意識に自分を痛めつけていたのは、罪の意識によるものなのだろうか。その辺のタガは外れていたとは思っていたけれど、今さら奴らに同情でもしているのだろうか。自分の気持ちがよく分からない。

 いや、自分の気持ちなんてものは分かる必要ない。私はロザリアの王として、なすべきことを冷徹になしていくだけだ。

 そんなことを考えながら再び無意識に薔薇の結界を構成しようとすると、アランがそれを止めるようにして私の手首を掴んだ。

「あんたならそんな傷、すぐに再生できるってのは分かる。けどだからといって痛みに慣れすぎるのは危険だ。他人の痛みも分からなくなっていくからな」

「……分かった」

 結界を解くと、ようやく手を放してくれた。他の薔薇も飛び散り、赤い粒子が辺りを漂っていく。

 怒っている訳ではないと思うが、どうも空気が重たくなってきてしまったので、話題を変えることにした。

「アランは何か読まないの? 息抜きにはちょうどいいわよ?」

「俺は字が読めない」

「あ、そうなんだ。じゃあ今度読み書き教えてあげるよ」

「いや、そんなもの、俺には必要ない」

「そう? むしろあなたにこそ必要だと思うけど」

「どういうことだ?」

「アランは生きる目的がなくて嫌気がさしてたんでしょ? でも文字が読めれば世界は広がるし、きっと生きることもいくらか楽しくはなるはずよ」

「そうなのか?」

「本を読めば、昔の偉人とか、奇人とか、面白い人とたくさん対話ができる。逆に自分が本を残せば、いつか未来の誰かさんとも対話できるかもしれない。読み書きというのは、そうやって過去と未来を行き来することなの。この時代や次元以外の世界にも没入できちゃう。だからもし死ねない体になったのだとしても、読み書きができればきっとそこまで退屈しないはずよ。何と言うか、暇を楽しむのにも教養が必要なのよ」

「そう言われると少し気にはなるな」

 私が読み終えた本をおもむろに手に取った。

「これは何の本なんだ?」

「軍事教本ね。将校向けのやつ。この時代の戦術を知っておけば今後の戦いでも相手の手の内が読めて良いかなって思ってたのだけど、私の時代と比べてそんなに大きな進歩はなかったわ」

「戦術論なんて、お姫様がよく知ってるな」

「お姫様だからこそよ。帝王学の一つとして叩き込まれてるわけ。それに生まれた当時はまだ大戦中だったから、こういう知識は人の上に立つ者として必要な教養だったの」

「なるほど。それでああいう攻略戦の指揮もとれるんだな」

「そういうこと。まあ今朝の砦攻略は知恵をぶつけ合うようなレベルのものではなかったけど」

「大戦を生き抜いたロザリアの人間からしたらそうだろうな」

 アランは本を閉じると今度は私の前にある本に目を向けた。

「今読んでるそれには何が書かれてるんだ?」

「これは人体の構造をまとめた医学書ね。こっちの方は私の時代よりも進んでいて興味深かったわ」

「フィオナは医学が好きなのか?」

「まあ嫌いではないけど、好きで読んでいるというよりは魔法の理解を深めるための実用的な科学知識ってところよ。私の聖魔法は人体や生命に直接作用するものだから」

「そうか。そういうのは聖魔法の魔導書には載ってないんだな」

「お、その通り。察しがいいわね。魔導書には魔法の使い方と効果については書かれてるけど、逆に言うとそれ以外はあまりかかれていない。原因と結果を繋ぐ原理がブラックボックスになりがち。聖魔法は特にそうでね、使い手なんてほとんどいないから、おとぎ話みたいな記録しか残ってないの。だから自分で研究して、原理を知り、応用を探っていかなくちゃいけない。そのためにも本当はもっと実験とかしたいんだけど、流石に人体実験は中々やれる機会がなかったのよね。そんな訳だから聖魔法の学習コストはとても高いわけ。まあ逆に記録が少ない分、デコードされにくいからアンチ魔法で無効化されることがほとんどない点が戦術上は優れていると言えなくもなくて──」

 アランがきょとんとしているのに気づいて、私は慌てて話を止めた。

「あ、ああ! ごめん。研究の話になるとついしゃべりすぎちゃうの。悪い癖ね。本当に」

 元の時代ではそんな悪癖をよく知るリアナが、私の話が止まらなくなるとそれとなく諭してくれていたのを思い出す。社交会なんかでやらかしそうになった時にはよく助けられたっけ。

「つまんない話しちゃってごめんね」

「いや、そんなことはない。楽しそうだ」

「えっ? そう?」

 アランが聞いて楽しいと思ってもらえるような内容ではなかったと思うが……。彼なりに気を使ってくれているのだろうか。

「ああ。フィオナ、喋ってる時すごく楽しそうだった。学がない俺には分からない話ばかりだったけど、学ぶってこと自体はきっと楽しいことなんだろうなって、はじめて思わされた」

「そ、そっか」

「俺も字が読めたらさっきのフィオナみたいに楽しめるのか? 何からはじめれば読めるようになる?」

 そう言って私の本にびっしりと書かれた文字に目を落とした。屈託のない眼差しだ。何とも素直な人である。

「ま、まあほら、最初はこんな堅苦しい本じゃない方がいいって」

「なら何がいいんだ?」

「そうね……それなら絵本とかどうかな。まずは簡単なものからはじめた方が良いと思うの」

「絵本か」

「これなんかどう?」

 私が運んできていた唯一の絵本を見せる。するとアランは表紙の絵を見つめながら

「これは……魔女か?」

「うん。この世界が恐ろしい魔物に支配されそうになった時、イゾルデという一人の魔女が現れて人々を救ってくれるお話。私の時代にも伝えられていた預言神話よ」

「どこかで見たことある気がするな」

「まあ童話としても有名だからね。私も小さい頃によくお母さんが読み聞かせてくれてね、懐かしくてつい取ってきちゃった」

「それで俺にも読み聞かせてくれると?」

「あ、ああ、別にアランのこと子供扱いしてる訳じゃないからね。単純に私が字を覚えたのもこのお話を読みながらだったから、入門にはちょうどいいんじゃないかと思って。さっきの医学書とか軍事教本とかと違って、お話として楽しく読めるし、続きが気になって勉強のモチベーションもあがるんじゃないかな」

「そうか……それなら……その……」

 私から目線を逸らすと少し言葉に詰まっている様子を見せる。

「ん?」

 私が首を傾げて尋ねるとようやく口を開いてくれた。

「教えてもらえると……助かる」

「フフフッ、そのつもりよ。そうじゃなきゃはじめからこんな話しないわ。全く、律儀なものね」

「でもフィオナには使命があるだろう? 今だって時間が惜しいはずだ。だから無理に俺に構いすぎるのも本当は良くないんじゃないか?」

「まあそれもそうかもしれないけど……じゃあそうね、ロザリアのみんなを天国に送って、あなたが最後の一人になったら、その時は本格的に教えてあげる」

「いやまて、解放を果たしたら俺はあんたに殺してもらう約束のはずだろう? その先の話なんて──」

「大丈夫。約束は守る。でも死ぬのがもったいなくなるくらいに、お話の続きを知りたくなったら、その時は少しくらい先延ばしにしたっていいじゃない?」

「ま、まあ、そうかもしれんが……」

「んじゃあそういう選択肢もあるってことにしておきましょう。それまでは簡単な音の結びつきなんかを教えてあげる」

「そうか……」

 こうは言ったものの、ただ単に全員を浄化した後に、一人になるのが寂しかっただけなのかもしれない。こうして世話を焼きたくなってしまったのは、この黒い大型犬のような騎士君に、いくらか愛着が湧いていたからだと思う。

 純朴な彼を見ていると、こうして勝手な都合で建前を並べて納得させている自分が、どうにも卑怯者に見えてしまう。

「よし、それじゃあこれも読み終えた訳だし、立てた仮説を検証してみようかしら」

 医学書をパタンと閉じて伸びをする。

「検証?」

「そう。やっぱり実験して検証しないと、実用にたる知識にはならないから」

「実験か……」

「うん。悪いけど、さっき生かしておいた神官さん達、呼んできてくれる?」

「またか?」

「それも兼ねて、ってところかな」

 私がアランを気にかけるもう一つの理由があるとするならば、それはもしかすると贖罪なのかもしれない。これほどまでに血塗られた手が、これっぽっちの善意ですすげるはずはないのだけど。

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