【修正】東の大賢者が死んだ ~幼馴染と試験勉強をしていたらいつのまにか愛のレッスンになっていた件~

小野シュンスケ

東の大賢者が死んだ

 高校二年生の初夏。大賢者が死んだ。


 背後から無数の魔法の矢を打ち込まれて、それでも魔法を使い続けた大賢者エマーリンは、息を引き取る間際にささやいた。


「生き延びてくれ、我が愛する……」




 * * *




「東の大賢者が死んだ」


 二年A組の教室に入ってそう告げると伊藤が奇妙な声を上げた。


「はああ? 白間しるま、寝ぼけてるのか?」


「いや」


 寝ぼけているというよりは、ひどい車酔いのような気分だった。大賢者の死の余韻がいまだに僕の身体の中に居座り続けていた。


「東の大賢者エマーリン」と「西の大魔女ニニアンナ」、二人の大魔法使いのうちの片方がとうとう死んでしまった。


「とある赤ん坊を逃がすために大賢者は異世界へのゲートを開いたんだが、敵対勢力の攻撃を受けて致命傷を負ってしまったんだ」


 その時の状況を伊藤に説明した。


「ほうほう、それで赤ん坊ともども殺られちまったってわけかい」


「いや、二人の弟子によって赤ん坊は異世界に渡ったらしい」


「弟子だと?」


「レイク&パーメラだよ。大賢者エマーリンとともに時々夢に出てくるんだ」


 伊藤はガバッと天を仰いだ。


「夢の話かよ! まったく朝から人騒がせな奴だな!」


 まるで連続ドラマか何かのように夢に見る。昨夜の夢ではついに大賢者が命を落としてしまい、かなり衝撃的な内容だったんだ。




 * * *




湊斗みなと


 同級生の女子が名前を呼びながらやってきた。


 スタイルはバツグンで、おそらくこの学校で彼女の名前を知らない者はいないであろう美少女。


「なんでしょうか、吹守ふいすさん」


 伊藤が丁寧に応対した。学園屈指の美少女に名を売るチャンスだと思ったのだろう。


「湊斗に用があるの」


 がっくりと項垂れる伊藤を無視して吹守はにっこりと微笑んだ。


「放課後、湊斗ん家に行ってもいい?」


 僕は頷いた。


「ああ、かまわない」


「じゃあ、いつもの時間にね」


 そう言うと、吹守はくるりと身をひるがえした。


 ふわりと舞ったスカートから白いふとももがあらわになった。


 伊藤の目は釘付けになり、僕は目のやり場に困ってしまった。


「白間、まさかおまえ吹守さんと交際しているんじゃなかろうな?」


 羨望の眼差し向けてくる伊藤に、首を横に振って否定した。


「恒例の試験前の勉強会だよ」


 吹守ふいす雨乃あめのという珍しい名前の幼馴染とは幼少時からの腐れ縁だ。


 学園一の美少女と呼び声の高い雨乃の欠点を上げるとすれば、勉強が苦手なところだろう。試験前にはいつも家に来て勉強会を開いている。


 特に理数系が苦手で、


「こんな数式になんの意味があるの?」


 なんて文句を言いながら数式と格闘している。


 文系が得意かと言われるとそうでもなく、


「行間を読めとか全く意味がわからない」


 とこぼしていたので分かりやすく説明した。


「同人誌だと考えれば間違いないと思うぞ。書かれてない内容を想像力をたくましくして補完するってのが行間を読むだ」


「湊斗のベッドの下にあるエッチな薄い本みたいなやつ?」


「うっ……ああ……。そういうことだ」


 僕の秘かな愉しみを知られてしまっていたのはショックだったが、それでも勉強会の成果なのかいつもそこそこいい成績が取れてしまうのが彼女のすごいところだ。


 その日の授業が終わるまで「俺も行っていいだろ?」としつこく食い下がる伊藤を断るのに骨が折れた。




 * * *




 玄関のドアがガチャリと開いた。


 スタスタスタと廊下を歩く足音がして、部屋の前で立ち止まった。


 ドアが開きTシャツにミニスカートというラフな格好の雨乃が入ってきた。


 雨乃はカバンから教科書とノートを取り出してテーブルの上に並べた。


「寝てた?」


「いや。ぼんやりしていただけさ。おじさんとおばさんは元気?」


「うん、元気にしてる」


 丘の上にある宇宙観測センターで働いている雨乃の両親は日本人じゃない。雨乃も髪の色は黒いが、容姿は日本人離れしている。たぶん外国人の血が混ざっているのだろう。


「はじめようか」


「うん」


 雨乃と僕は流れるように、試験範囲をおさらいしていった。


 学校一の美少女の雨乃は幼少の頃から幼馴染だ。


 いつも彼女は、時には天使のように、時には悪魔のように、人の心と体を幻惑する。


 成長するにつれ二人の距離は開き、試験の前に行われる恒例の試験勉強は、彼女を間近で見れる唯一の機会になってしまった。今この瞬間はきっと、大人になって振り返った時に、忘れえぬ思い出になっているに違いない。


 彼女を見ていると時々考えてしまう。これは現実なのだろうか、彼女は実在するのだろうか。もしかしたら僕の孤独が生み出した幻想なんじゃないかと。目の前の美少女が幼馴染で一緒に試験勉強をしているなんてあまりにも現実離れしているって誰だって思うだろ。


 そんな考えなど知る由もなく、彼女の視線は教科書とノートの間をせわしなく行き来する。


 三教科目を終えたところで、雨乃はうーんと伸びをした。


 なかなかのハイペースだ。集中力を発揮した時の彼女には舌を巻くばかりだった。


「休憩するか。何か飲み物でも持ってこようか?」


「ううん、だいじょうぶ」


 彼女はカバンの中かからペットボトルを取り出して口をつけた。レモン色の液体がピンク色のくちびるに吸い込まれていく様にドキドキした。


 ペットボトルをカバンにしまうと雨乃はテーブルにひじをついて両手の上に顎を乗せた。


「ねえ、子供の頃よく言ってたよね。大きくなったら異世界に連れて行ってくれるって」


 よりによってその話題を振って来るとは、僕は答えに窮してしまった。


「……」


「ねえ、覚えてる?」


「いちおう……」


「いつ連れて行ってくれるのかな?」


「大賢者になれたらって前提の話だったろ」


「50歳まで待てって言うの? おばあちゃんになっちゃうよ」


 あれは子供の頃の話で、都市伝説の中に50歳まで生きれば大賢者になれるっていう話があったんだ。幼かった少年は少女の前でかっこをつけてつい『大賢者になったら異世界に連れて行ってやる』なんてほざいてしまったのだ。まさに黒歴史といえる出来事だった。


「湊斗は十分素質があると思う。学校の成績はいいし、教え方だって上手だもん」


 学校の成績は大賢者になるための条件には含まれない。都市伝説にあったのは50歳まで「童貞」だったらというなんともいかがわしい内容だったのだ。


 少し間を置いて、雨乃は話題を変えた。


「友達に聞いたんだけど、男の子は好きな女の子のことをじっと見つめるんだって」


「それがどうかしたのかい?」


 じっとこちらを見つめる雨乃と目を逸らす僕。まるで心の中を見透かされているみたいですごくばつが悪かった。


 雨乃はそれ以上何も言わず、再び教科書に視線を戻した。


「続きやろう」


「わかった」


 それからは一気に残りの教科のおさらいをした。脳の神経が焼き切れるんじゃないかってくらい集中して。




 * * *




「終わったーーっ!」


 試験範囲を一通りおさらいし終え、開放感に包まれた。雨乃は白いきれいな両足をカーペットの上に投げ出した。


「暑いからTシャツ脱いじゃおうかな」


 と言ってTシャツに手をかけた。


「おい、やめろ」


 ほうっておくと本当に脱いでしまいかねないのであわてて止めた。するとからかうような瞳に出会った。


「何もしないの?」


「試験勉強をしたじゃないか」


 ぷーっとふくれっつらになった雨乃は膝を立てて体育座りになった。


 きれいなふとももと白いパンツがまるみえだ。彼女がスカートの裾をいじる度に、見えるふとももの面積が広がった。


 こいつ、わざと見せてるだろ。それならこちらにも考えがある。


「雨乃」


 僕は立ち上がり、雨乃の隣に移動した。彼女の顔に自分の顔を近づけていった。瞳をじっと見つめると、彼女も瞳をじっと見つめ返した。唇と唇が触れそうなほど近づいても、雨乃は瞳を閉じなかった。


 まるでチキンレースだ。


 勢いに任せてこんなことをしてしまったけれど、いったいどう収拾つけれはいいんだこれ。


 ためらっている僕に彼女は言った。


「しないの?」


 やってやるとも。後は野となれ山となれだ。


 唇を彼女の唇に押し当てた。


 高校二年生の初夏、大賢者が死んだ。夢の中でも揺るぎない現実の中でも。


 ピンク色のやわらかな唇が開き、二人の舌と舌が絡みあった。雨乃の唇はレモンの味がした。彼女の唾液はこの上なく甘い味がした。


 雨乃はずっと目を開いたままだった。僕も目を閉じるタイミングを逸して彼女を見つめ続けていた。


「ぷはああぁぁーーっ!」


 唇を離し二人して大きく深呼吸した。二人とも息をするのをすっかり忘れていたようだ。


「あはは」


 よほど可笑しかったのか雨乃は肩を揺らして笑った。


「あたしの中に湊斗の体液が注がれちゃった」


「その言い方はどうかと思うぞ」


 そういえば、いきなりキスをしてしまったけれど、今さらながら僕たちは告白さえ済ませていなかったのに気がついた。


 今度は逸らすことなく雨乃の目を真直ぐに見つめて言った。


「子供の頃からずっと好きだった」


「うん。湊斗がじっと見つめていたのは知ってたよ。男の子は好きな女の子のことをじっと見つめるんだよね」


「うむ……否定はしない」


「友達に聞いてようやく理由がわかったんだよ」


「そうか……」


「あっ!」


 視線をスマホに移した雨乃はあわてて教科書とノートを片付けた。


「もうこんな時間、帰らなくちゃ!」


 カバンを肩にかけて部屋の扉のドアに手をかけた。


「じゃあね。子供が出来ちゃったらよろしくね」


「えっ!?」


 どういう意味だ? いまどきキスで子供が出来るなんて考えてるわけじゃないよな?


 あるいは、この先そういう関係になると暗に匂わせているだけなのか。


 いつも彼女は、時には天使のように、時には悪魔のように、人の心と体を幻惑して去っていくのだ。


 吹守ふいす雨乃あめのという珍しい名前の幼馴染とは幼少時からの腐れ縁だ。


 僕は認めなくてはならない、初めて出会った瞬間から、いやそれ以前からずっと彼女に恋をしているというまぎれもない事実を。



【おわり】

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