36話 神格化される戦乙女

冷えた夜の空気が、ビルの中の湿った重苦しさを一気に吹き飛ばした。

幽香が私を背負ったまま扉を押し開けると、そこには霧の中、静かに待機していた一頭の馬がいた。


「……随分礼儀のある馬だな」


私は呆れたように呟いた。

幽香は馬の顔を撫でながら、くすっと笑う。


「可愛げがあるじゃないか。一緒に来るかい?」


馬は鼻を鳴らし、幽香の手に顔を擦りつける。まるで「当然だ」とでも言いたげな仕草だった。

「……気に入られてるな」

「まぁ、私の乗り心地がいいんじゃないか?」

「どんな理屈だ」


軽口を交わしつつ、幽香が私を支えたまま馬に乗る。私は背中越しに彼女の肩に寄りかかる形になった。

走り出した馬は霧なんかないかのように夜の郊外を走り抜けた。


いくつか点々と並ぶ廃ビルの前に馬を幽香は止めた。

「……廃ビルだな」


幽香が肩をすくめ、皮肉気に笑う。


「見た目に拘りがないのは君とそっくりじゃないか。あんないつ崩れてもおかしくないボロアパートに、君はいつまでも住んでいる」

「寝れればどこも変わらん。」

「だからといって雨漏りやら白アリまでいるんだ欠陥だらけにもほどがあるだろ?」

「そんくらいどうにでもできる。」

「ほう?それでは治す方法を聞こうか」

「ユーチューブ」


幽香は軽く笑い、私を背負ったまま建物の中へと入る。

中は外と違い塗装がしっかりしており、機材なども揃っていた。


「姫のお帰りだ」

「るっさい」


近くにあるソファにー私を座らせ幽香はナツキとの戦闘により負った怪我の治療をしようとした。

千理は私の姿を見た途端泣きながら駆け寄り抱きついてきた。


「葵ぢゃん゛ーい゛き゛て゛て゛よ゛か゛っ゛た゛」

「いだい!!痛み止めが切れてんだ!配慮をしてくれ」


私の背中には仄かに千理の温もりを感じるが少しばかりかその手は震えていた。


「出来の悪い師匠を持ったな。悪いな」


私は千理の頭を撫でた。


「そんなことない! もう……本当に心配したんだから……」

「その子が助けに行くと聞かなくてね。変わりに行ったのさ」


幽香は煙草を吸いながら私に経緯を話した。


「いいか。どんな状況だったとしても必ずまずは自分を最優先にするんだ。それは自分を守る為であり他人を守る事でもあるんだ。何か大きな犠牲があったとしてもそれは払うべき代償だ。たとえ私だったとしても同じようにしろ。私を見殺さないといけないならそれはそうするんだ。まずは自分を第一にいいね?」


私の言葉を聞いた千理は幽香に向い頭を下げた。


「すみません。私の我儘で、その怪我をさせてしまって」

「こんなもん、葵くんに殴られることにくらべれば大したことはないさ。君に手当の仕方を教えてやろう。こっちに来たまえ」

「はい。」


責任を負わせないため幽香は軽い冗談を言い千理に気を利かせた。千理が聞こえない程度の距離にいる今、私はヨークと向かい合った。

ヨークは腕を組みながら私を見た。


「お勤めご苦労だったな。首尾はどうだった?」

「うっさい。知ってる事は全て吐いてもらおう。全てだ。」


私はため息混じりに言い返した。


「何が知りたい」

「1つ目。エデンとは何か。2つ目なぜ私を頼ったか」

「エデンは端的に言えばカルト宗教だ。人間を実験し選ばれたものだけを選定し新世界を作るということが目的だ。お前を祭り上げ神格化してるな。」

「なぜそんな野蛮なカルト団体が生まれた。どうして私が関係する。」

「今地球は温暖化が進み、壊れ始めている。この先生き残るためには地球の再生が必要だ。その為には人類を減らす事も必要だと考えている。人類の選定が始まってる。お前はあの実験の成功している伝説だからというのもあるが教祖が問題だろうな。なんせ一ノ瀬湊翔なんだから」

「大方検討はつくがあのガキが湊翔なんだろ?」

「記憶がないのかワルキューレ。」

「実験の後遺症だ。実験前の人間の顔はほとんど覚えてない。やる事はきまった。エデンには早々に引き上げてもらい、指名手配も消してもらう。それでいいだろ?」


タバコをつけようとするがバッテリー切れのサインが灯っていた。ヨークは胸ポケットからタバコを出した。


「いるか?」

「ンゥ」


私は無言で手を伸ばすが、ヨークは意地悪く目を細め、タバコを弄ぶように揺らした。


「こういう時に言う5文字の言葉は?」

「あ り が と う」


私は面倒くさそうに返事をし受け取った

ヨークが火をつけた。


「お前に頼った理由だが、それはナツキだ。」

「どうしてナツキが出てくる。」


私は眉をひそめる。


「ナツキはエデンとは違う方向で神格化してるからだろ。」

「そんなわけないだろ。あいつは私を殺そうと」


振り返るがそんな素振りは一度もなかった。

あいつは私を更に強化する事しかなかった。

私を強いままの私に固執している。ヨークは確認の為の質問をする


「してないんだな。」

「してなかったな。」


私は冷静に答えた


「お前の弟はどうしようもできないがナツキは倒しさえすれば正気に戻るだろう。その為に膝の治療に手を貸してやろう」

「魂胆は分かるがどうして私やナツキにそこまで気に掛ける」

「償いだ」

「死んだ奥さんとお子さんにか」

「だったら今から私たちは対等だ。契約金は今回はなし、代わりに膝の治療。それで手を打とう」

「Danke schön」(ほんとにありがと)

「礼は全て終わったあとだ」


私はヨークから差し出された手を握りひとまず手打ちとした。

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