34話 地に堕ちた正義 前編

車内の空気は重く、鼻につく消毒液の匂いが漂っていた。

私は幽香と並んでパトカーの後部座席に座らされ、手錠をかけられたまま揺られていた。運転席には無表情な警官が二人。フロントガラスの向こうには、夜の霧が街の光をかすませている。

幽香がぼそっと呟く。


「私たちはまるで凶悪な犯罪者みたいだねー。葵君。」

「見たいじゃなくて奴らからしたら私らがハイジャックした事になっているんだ。凶悪なんだろ」


私は淡々と答えた。

向こうからすれば、ハイジャックを自演し英雄となろうとしたくだらない凶悪な犯罪者の位置付けだろう。話も聞かず連れてくとは教育がなってないと思った。


幽香が手錠をかけられた手を軽く動かしながら、助手席の警官に話しかけた。


「Na? Wohin willst du denn jetzt? Glaubst du echt, dass es in diesem Kaff 'ne ordentliche Polizeiwache gibt?“(で?これからどこへ行くつもりだい?立派な警察署がこんな田舎にあるとは思わないが)」


だが、警官は何も答えない。


「無視か。つまらないね」

「Halt die Klappe, du Verbrecher!」

(口を閉じろ。犯罪者が)


運転席の警官が短く言い放つ。その言葉には、抑えきれない苛立ちがにじんでいた。

幽香は肩をすくめた。


「Nun ja, es ist mir eigentlich egal, aber sei so freundlich und behandle Frau Aoi mit Sorgfalt.(まぁ、どうでもいいが葵君は丁寧に扱ってくれたまえ)」


パトカーは暗い裏路地へと入っていった。

やがて車が止まり、後部ドアが乱暴に開かれる。


「Steig aus, aber zackig!(さっさと降りろ)」


警官の命令に従い、私は車を降りる。だが、その瞬間、背中を強く押された。バランスを崩し、左足に力が入らないまま、私は地面に膝をつく。

金属が擦れる微かな音がした。目隠しをされているため視界はないが起きてる事は手に取るようにわかる。

後ろを振り向けば幽香の両手から手錠がするりと抜け落ちた。

目隠しはされているが感覚でわかった。

警官が反応する間もなく、幽香の手は警官の腰のホルスターへと伸び、一瞬のうちに銃を奪い取る。幽香は片手で銃を弄ぶように回し、流れるような動作で安全装置を解除すると、笑いながら楽しむような口調で言った。


「Ich habe doch gesagt, dass du Frau Aoi nicht grob behandeln sollst, oder? Bist du taub, du Wurm? Wenn ja, brauchst du deine Ohren wohl nicht mehr, oder」

(葵君は丁寧に扱うよういったがその耳は聞いていなかったのかい?ならいらないよねー)

「Bitte, bitte nicht! Ich flehe Sie an! Lassen Sie mich leben!」

(お願いだ、お願いだから撃たないでくれ! 頼む、助けてくれ!)

「Gib mir einen Grund, warum ich es lassen sollte. Schnell. Sonst drücke ich einfach ab, und wir schauen, was passiert, nicht wahr?」

(やめる理由を言えよ。早く。でなきゃ、このまま引き金を引いて、どうなるか見てみようか?)


警官は震えながら、脂汗を流し、言葉にならない声を漏らす。

正面のドアが開き、男の声が響いた。


「私の部下が失礼な真似をしてすまない。銃を離してやってくれないか?」


幽香の目がすっと細められる。

声する方向には、黒いスーツをピシッと着こなし、浅く結ばれたネクタイを緩める気配もない。きっちりとした短髪、鋭い灰色の瞳。その落ち着いた佇まいは、現場の警官たちとは一味違う男が私の元へ駆け寄り、私の目隠しを外した。


「初めまして、国際警察のフェルディナント・グラーフだ」


男は穏やかな表情で、私に手を差し伸べる。


「一ノ瀬葵……かの有名なワルキューレに出会えるとは光栄です。立てますか?」

「いらん。どけろ」


私はその手を掴むことなく踏ん張りながら立ち上がった。

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