第39話 初対面

 アマリに飢饉の可能性を訴えたことが評価されたのか。

 それとも言い出しっぺの法則か。


 私は、男爵家当主に連れられて伯爵邸を歩いている。

 今から飢饉の対策会議が行われるらしく、私も招集された形だ。

 任意なのか拒否権すら与えられていないのか聞く勇気はなく、ひとつ返事で受けてしまった。


「ミュラー、緊張しているか?」


 父よ、愚問ではないか。

 初めての会議、しかも伯爵様御前ごぜんの会議に緊張しない者などいるものか。


 リエもいないし、令嬢演技を崩すことは決して許されない。

 ……1か月後に控えるお茶会よりも厳しいかもしれない。


「はい、申し訳ありません」


 理解しているけれど、声が上擦うわずっていることを隠すことはできなかった。


 問題発言や言動さえしなければ、緊張ぐらいは許される。

 そうはわかっていても、伯爵様がどうしても怖かった。

 権力者であることは自らの生殺与奪せいさつよだつを握っていることと同義。

 それがとても恐ろしかった。


「謝れと言っているわけではないよ」


 ガチガチに固まる私の目線に合わせて、ケイリーは膝をついた。


「フラリアーノ様は寛大なお方だ。多少のミスは許してもらえる」


 ハネリウス伯爵当主フラリアーノ様。

 たった今から会う男性の名前を出して彼はたしなめた。


「ですが」

「大丈夫だ、20年ほど仕える相手だよ。私はよく知っている」


 20年。私にとっては未知の領域だ。

 20年も継続して誰かといられるなんて……うらやましいと思ってしまう。


「じゃあ行こうか」

「はい」


 背筋を伸ばし、視線を下げない。

 アルロッテに叩き込まれたことを復習しながら、父についていった。



 いつも会議が行われるという大部屋に入り、上座から4つ目の席に座った。

 伯爵様がまだ来ていないことに安堵し、軽く息を吐いた。


 私がなぜ呼ばれたのか、実はよくわかっていない。

 それがわかるまでは不用意に発言しないよう、心に決めた。


「男爵様、おはようございます」

「ああ、文官長殿、おはよう」


 クリーム色で統一された地味な風貌の男性が、ケイリーに話しかけた。

 文官長、らしい。

 貴族の下っ端のほうが格上、よって文官長は平民だろう。


 ちょっとばかし安心する。

 なぜなら、伯爵様は平民であっても実力次第で取り立てることが伺えるからだ。


がお世話になっております。なにか失礼はしておりませんでしょうか?」


 ……姉?


「会うたびに聞いているのではないか? 心配性だな」

「申し訳ありません、どうにも癖が直らなくて困ります」


 すると、ケイリーがこちらを向いた。

 文官長もつられて目が合う。


「そなたの2人目ののミュラーだ」


 ……姪!?

 つまり、この人は。


「初めまして、叔父様。ミュラーと申します」


 アマリの弟君。

 たしかに2人ともクリーム色で統一されているけれど、雰囲気は似ていなかった。


「はい、初めまして、ミュラー様。アイクと申します」


 姪に様づけする状況に違和感を覚えなかったことに、軽く目をしばたかせる。


「アイク殿、呼び捨てでも構わないが」

「いえ、遠慮しておきます」


 固辞するアイクに私は好感を持った。




「話は一区切りついたかな?」


 後ろからかけられた声にビビった。

 飛び上がるのを令嬢教育が必死に抑えた。


「フラリアーノ様、タンクレート様、いらっしゃったのですか」


 ケイリーは立ち上がった。


 前面に金髪と深緑の男性……つまり伯爵当主、その後ろにいるのは……ご子息だ、たぶん。

 年齢的に長男、つまり次期ハネリウス伯爵である。


「部下の初対面を私が無茶苦茶にするわけもいかないだろう」

「ですが、アーノ様」


 愛称呼び!?

 そんなに仲良いの……。


「私はお前より娘御に会いたいのだが?」


 いえ、あなた様はお父様とずっと喋っていてくださいませ。

 そんなことを言えるわけもなく、私は歩み出てカーテシーを披露する。


「挨拶が遅れまして申し訳ございません。またお会いできたこと、光栄に思います」


 討伐のときが初対面。

 なので今回で2度目である。


「久しいな、ミュラー。急に呼んでしまってすまない」


 申し訳ないとは思っているらしい。


「いえ、とんでもありません。お気になさらず」


 怖くて恐ろしくて、作法にかこつけて顔を上げなかった。


「それからこいつは息子のタンクレートだ。仲良くしてやってくれ」


 伯爵令息タンクレート様は、前に出て目を合わせた。


「タンクレートだ。よろしく」


 手入れをしていなさそうなパサついた緑の髪が長く伸びている。

 感情が見えない底深い黒目に、分家の令嬢が映る。

 同じ黒目でも、ケイリーとは全然違う。


 馴れ合うのはお嫌いかしら?


「お初にお目にかかります。ミュラーと申します。よろしくお願いいたします」


 その場しのぎの笑みを浮かべてみる。


「……リンクララの侍女候補か」

「はい。仲良くさせていただいております」

「思ってもないことを。君と妹はだろう」


 さらに笑みが深まるのを感じる。

 図星をつかれたのは初めてだ。


 どう対応するのか試すような瞳で射すくめられる。



 怯えが心の底から這い上がってくる。

 まるで、人間じゃないみたい。

 逃げ出したいのに、四肢が全く動かない。


 誰か、助けて!

 お姉様!!




「タンクレート様、お止めください」


 ケイリーが制止した。


 ようやく息がつけた。


 ……このまま有耶無耶に終わってほしい。

 わざわざ掘り返すことなく、静かに影になっていたい。


 この人は、怖い。

 伯爵様より、恐ろしい。


「次に会ったときに繰り越しだ、ミュラー。覚えておけ」

「……はい」


 ぶるぶると震えそうな四肢に力を入れて突っ立っていることしかできない私に、タンクレート様は最後に一べつをやって視界から消えた。


 始まってすらいないのに。


「アーノ様」


 なにも言わずただ見ていた伯爵様に、ケイリーが呼びかける。


「別にいいではないか、ケイリー」


 助けてくれなかった。

 期待はしていないけれど、なんとも言えない気分になった。


「では席についてくれ。会議を始めよう」


 ケイリーの右に座った。

 少しの間だけでいいから透明人間になりたいと願った。





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