第9話

 アリアは、シオを庇うように抱えるレミを見て、やれやれと肩をすくめる。その仕草には、レミの過保護ぶりへの呆れと、これから始まる検分への微かな期待が滲んでいた。


「そんなに心配でたまらないなら、専門家の目でしっかり診てあげなさい、レミ。あなたのその確かなお眼鏡にかなう逸材かどうか。ほら、シオ君、ちょっとレミに診てもらって。怖がらなくていいのよ?」


 アリア様に優しく、しかし有無を言わせぬ圧力で促され、僕は深く息を吸い込み、こわばる足取りでレミさんの前に立つ。彼女の真剣な眼差しに、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つのが分かった。隠しているものが暴かれるような、そんな予感が背筋を凍らせる。


 レミは

「はぁ…仕方ないっすねぇ、アリア様の言うことだし」

 とわざとらしく大きなため息をつく。だが、その一瞬後、彼女の纏う空気が豹変した。


「はいはい、シオくんこっち来て。ちょっと身体触るっすよー。力抜いてね。痛くしないから」


 その軽い口調とは裏腹に、レミの手つきは驚くほど繊細で慎重だった。彼女の指先がまずシオの肩、そして首筋へと滑る。その指は、ただ触れるだけでなく、骨格の構造、筋肉の質感、そして皮膚の下に隠された本来あるべきではない違和感の痕跡を探っているようだった。


「んー、やっぱりちっこいっすねぇ。ちゃんと栄養摂れてたっすか?この細さじゃうちの荒事なんて…」


 独り言のように呟きながら、彼女の指が鎖骨のあたりで僅かに止まる。


「…あー、鎖骨、これ昔やったやつっすね。ちょっと歪んでるけど…まぁ、このくらいならスラムじゃ珍しくもないか…」


 その言葉とは裏腹に、レミの表情には一瞬、痛ましげな色が浮かんだのを僕は見逃さなかった。


 周囲の空気には変化がないが、僕には二人の間に見えない、しかし確かな情報の奔流が繋がったような感覚があった。


 伝心の魔術。それはミストリアに身を置く者が最初に埋め込まれるという、思考を直接伝えるための秘匿性の高い魔術。その伝達範囲は、術者の魔術回路の強さに比例するという。


 レミ:(ふーん、見た目通り華奢だけど、身体の芯はしっかりしてる感じっすね…ただ、何か妙な緊張感が抜けてないような…怯えてる…?)


 アリアは優雅に腕を組んだまま、表情一つ変えずに、視線だけで応答を促す。続けろ、と。レミは心得たとばかりに、今度は指を滑らせ、シオの腕に触れた。肘から手首へ、そして左右の腕を慎重に、まるで奇跡の証拠でも探すかのように触診していく。筋肉の付き方、骨の感触…そこで、彼女の表情が凍りついた。


(嘘…でしょ…? この感触…骨の繋がり方、筋肉の付き方…左右で明らかに違う。まるで…一度失ったものが、そこから新たに生えてきたみたいに…? いや、でも治癒魔術で腕や足の完全再生なんて…教会でも数えるほどしか使い手がいないはず…!)


 内心で激しい衝撃を受けながら、レミはアリアへの念話を続ける。その思考の声は、もはや隠しきれないほどの驚愕と混乱で震えていた。


 レミ:(アリア様、これ…信じられないっすけど…右腕と右足、完全に再生されてる…! しかも、ただくっつけたとかじゃない、欠損部位が完全に元通りに…! これ…本気で治癒魔術でやったっていうんすか!? 私だって指一本再生するだけでも大変なのに、腕や足を!? しかもこんな綺麗に…! 一体どれだけの…!)


 レミは動揺を悟られまいと必死に平静を装い、今度はシオの足元、足首から太腿にかけても触れていく。服の上からでも分かる、神業としか思えないレベルで復元された四肢の感触。彼女は確信していた。シオの身体には、既存の治癒魔術の常識を遥かに超える、桁違いの才能が宿っていると。


 さらに、レミの手がシオの体に触れている間に、彼女は別の、より根源的な驚愕に気づく。シオの体内に渦巻く、魔術回路の気配。それはまるで、目の前に湖が現れたような、計り知れない何か。


(…ッ!? なんだこれ…魔術回路…感覚からして一年そこらしか使ってないようなの状態なのに! この力強さは何なんすか!?!)


 再び、レミはアリアに念話を送る。もはや冷静さを保つのは不可能だった。


 レミ:(アリア様! それだけじゃない! この子の魔術回路…使い込まれた形跡が少ないのに、圧が桁違いっす! この再生能力といい、魔術回路といい…この子、一体何者なんすか!? こんな治癒士、存在自体が規格外っすよ!)


 レミは咄嗟に驚きを押し隠し、無理やり作ったような明るい声を出す。


「ま、まぁ、若いんだし成長期かもだし…? とにかく、見た目よりは丈夫そう…っていうか、治癒の才能が桁違いなのはよーく分かったっす!」


 しかし、その声はわずかに上ずり、顔には引き攣った笑みが浮かんでいる。彼女はシオから一歩下がり、アリアに向き直る。その表情には、興奮と畏敬、そして強い懸念がありありと浮かんでいた。


「でも! だからって無茶させていい理由には絶対ならないっすからね! こんな…こんな規格外の子、保護しなきゃダメでしょ! 下手な任務なんかに出したらどうなるか…! ちゃんと育てなきゃダメっすよ、アリア様!」


 アリアは、レミから送られてきた極めて高度な部位再生の痕跡と規格外の魔術回路という情報を、自身の知識体系の中で最も近い最高レベルかつ極めて稀有な治癒魔術の才能として解釈し、内心でほくそ笑む。


 稀少? それはつまり、他に代えがきかないということだ。ベッケンはとんでもない宝、あるいは爆弾を見つけてきたものだ。この才能なら、計画が大きく前進するどころか、新たな次元へと移行するかもしれない。


「あらあら、わかっているわよ、レミ。そんなに声を荒げなくても。だからこそ、この子には特別な教育が必要なの。そこらの凡百の治癒士と同じ扱いにはしないわ。ねぇ、シオ君?」


 アリアはシオに向かって、全てを見透かすような、それでいて甘美な罠を仕掛けるような、意味深な微笑みを投げかける。


 僕は、レミさんの凍りついた表情、そしてアリア様の底知れぬ笑みに、全身の血の気が引くのを感じていた。レミさんの驚愕した表情、腕や足のことまで気づかれたか…。でも、治癒魔術だと思ってる? 魔法じゃなくて…?それなら魔法のことは隠し通せるかもしれない。


 この才能自体が注目されるのは…やっぱり怖い。


 この魔法こそが、僕からサルサを奪った元凶なのだ。そう考えるともうできるだけ使いたくない。少なくとも人を助けるため以外には、もう二度とあの力は使わないと決めたんだ。 幸い時間をかければ部位再生自体は治癒魔術でも再現可能……のはず、感覚的には。


 もし魔法が使えることがばれてしまったら、このミストリアでどう扱われるのだろうか。アリア様のような人は、間違いなくこの力を利用しようとするだろう。そうなったら、僕はまた、誰かの都合のいい道具に? 昔みたいに?


 いやだ。それだけは絶対に。だから、たとえこの先、たとえ誰かを見殺しにすることになっても、この力のことは隠し通さなければ。


 レミは、僕のそんな内心の絶望など知る由もなく、ただその規格外の治癒の力に畏敬とも言える念を抱き、それが危険な任務に使われることへの強い懸念を改めて表明する。彼女は再び僕の前に立ち、まるで壊れやすい宝物を守るかのように両手を広げた。


「ま、まあ! 何かあったら、どんな些細なことでもすぐ私に言うんすよ! アリア様が変なことさせようとしたら、このレミ・パジ―が盾になって絶対に守ってやるっすから! 絶対に!」


「レミ、余計なことを言わないの。シオ君を甘やかしてどうするの」


 アリアが軽く窘めるが、その口元にはシオという類稀なる才能を手に入れたことへの隠しきれない満足感が浮かんでいた。この才能なら、闘技場の負傷者対応という表向きの仕事だけでなく、もっと別の、裏の、血腥い仕事にも存分に活用できるだろう、と。


「ではシオ・コーリ、これからよろしく頼むわね。」


「はい、こちらこそ改めてよろしくお願いします。」

 と僕は頭を下げる。


 すると今まで静観を貫いていた人たちも僕に挨拶してくれた。


「よろしくお願いします。私はトリシャ。トリシャ・ルン。」


 先ほどの黒緑でショートの女性。あとやけに胸がでかい。重そう。


「よろしゅーねー。ワタシはクリム・エヴァ。クリムでいいよ~。それにここで一番歳近いからね!3歳差だよ。あと、お揃い!」

 と髪型を強調してくる。赤毛のポニーテールの女性。なんだか気さくそうな人だ。


「私はファーニル・ライラ……よろしくお願いします……。」と恥ずかしそうに頭を下げる。水色の髪を後ろでお団子にし眼鏡を掛けている。


 そして最後にレミさんが言う。


「最後に私はレミ・パジーです!よろしくねー!シオ君!!」

 と手を差し出すので握り返す。すると彼女はまたも僕を抱きしめるのであった。


「室長、11歳差はさすがに不味いかと。」


 何だか楽しそうな職場だ。

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