第11話「食事」

 *


 生きている時間のうち、どの時間が一番苦痛ですか、と言われた時、私は迷わず「食事の時です」と答えるだろう。


 それくらい、食事が苦手である。


 何が好きだとか、何が嫌いだとか、偏食だとか、何も食べないとか、一気に人の分も食べ尽くすだとか、そういうことではない。


 食事という行為そのものが、苦手なのである。


 食べ物を口の中に入れ咀嚼そしゃくし、飲み込むという一連の動作に、忌避感というか、嫌悪感に近い何かがある。


 外食なんて、もっての他である。


 他人とのコミュニケーション能力の欠片もないくせに、加えて苦手な食事をしなければならないのだ。しかも、テーブルマナ―や作法に則って、正しく、である。それらを間違えると、周りの人々から羞恥の視線を送られる。三重苦とはまさにこのことである。


 そう考えるだけで辟易してしまう。


 勿論もちろん


 人間は食べずにいれば、いずれ死んでしまう。


 学生時代は、寝ず食わずで小説を書き続けた結果、栄養失調で倒れ、救急車で運ばれるという事態に見舞われたこともある。


 いくら苦手とはいえ、人に迷惑を掛けるのは良くない。

 

 そう考えた私は、最低限の食べ物を摂りつつ、極力小説の時間を取りつつ、栄養失調や偏った栄養による生活習慣病にならない具合の極限を想定して、今は何とか一人で生活することができている。


 料理は、レシピを見ながらで良ければ、一通りできるつもりである。学生時代に一人暮らしを始める前、母に色々と教えてもらった。


 しかし、そもそも最終到達点の「食べる」という行為そのものに対してあまり良い印象を抱くことができないため、積極的に調理をしようとは思えないのである。


 まあ、だからといって既製品ばかり食べていると栄養バランスが偏って頭の回転が悪くなるので、調整が難しい。


 原因について、一つ思い至るものがある。


 実家にいた頃、つまり、幼少期から高校生の時期にかけての出来事である。


 父は、人目を憚らずに咀嚼音を出して食べる人であった。


 私はそれに対し、とてつもなく嫌悪感を抱いていたことがあった。


 父の口の中で咀嚼され、噛み砕かれてぐちゃぐちゃになった肉類が、油と共に喉に落ちる様を想像してしまい、一人トイレで嘔吐したこともあった。


 その頃はまだ家族で一緒に食事をしていたから、父の休みの日の毎食と、夕食が来るたびに、憂鬱な気分になっていた。


 なんて、そんな思いから、自分の口から出る咀嚼音に対する嫌悪感が結びついているのかな――などと分析してみたこともあるけれど、あくまで素人の想像の域である。


 本当に治療が必要だと感じたら、病院へ行こうと思う。


 今のところ、日常生活には支障はない。




(続)

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