第2話

「ん……もう朝か……」


 ちゅんちゅんと鳴き出す小鳥の声を聞いて目を覚ます。

 カーテンを開き木戸を開けば、眩しい太陽の光が視界に飛び込んでくる。


 ――俺が前世の記憶を取り戻してから、既に一週間が経過していた。

 体温計なんてものがないので自分の感覚に頼るしかないが、ようやく熱も下がって体調も落ち着いてきた。


 しっかしまともに栄養を取っていないせいか、病気の治りが遅い。

 治りかけの状態がこんなに長引くとは思ってなかった。

 今後のことを考えると、食事内容の改善は急務だな。


「憂鬱だけど……行くしかないか……」


 体調が治ったので、今日からはしっかりと会食に顔を出すように言われている。

 正直なところ今世の家族にはまったくといっていいほどいい思い出がないんだが……衣食住の面倒を見てもらっている以上、あまり下手なことをするわけにもいかない。


「クーン、体調の方はもう良くなったのか?」


「はい、おかげさまで」


 食堂に入ると、いわゆるお誕生日席にいる人に声をかけられる。

 比較的がっしりとした肉体をしている彼は、ラッツ・フォン・ベルゼアート。

 このベルゼアート子爵家の当主であり、俺の父だ。

 正直なところ、俺はこいつも母のサラも自分の両親だとは思えていない。


「そうか、今後は我が家に迷惑をかけないように」


 ……とまあ、こんなことばかり言われれば、情が湧かないのも当然だろ?

 とても病み上がりの実子にかける言葉ではないと思うんだが、父の発言を聞いても母は何も言わない。


 このラッツはかなりの癇癪持ちで、一度キレると手がつけられないからだ。

 ちなみにラッツに殴られると、そのストレスでサラも俺に暴力を振るってくる。


 そしてそんな光景を見て育ってきた兄達は、それを当然のこととして受け入れている。

 記憶を取り戻すまでは、当人である俺もそれが当たり前だと思っていた。

 こんなやつらを家族だとは思えというのが、土台無理な話なのだ。


 俺はさっさとその場を去るべく、食事を済ませることにした。


 今日の飯はポリッジのような薄い粥に葉野菜のサラダだ。

 新鮮な葉野菜を貴族パワーで運び込んで……などということはなく、普通に家の裏にある畑で自家栽培で栽培したものだ。


 この粗末な食事内容から察することができるだろうが、うちのベルゼアート家は非常に貧しい。

 貴族なのに食事に肉が出てくるのは稀で、飯は基本ポリッジか固い黒パンのみ。

 サラダが出ている今日は比較的豪勢な方と癒える。

 ちなみにドレッシングなんて大層なものはないため、塩をかけて食べるので非常に青臭い。


「……」


 食事の最中に会話はほとんどない。

 ラッツが会話を振っても、下手に怒らせないよう皆二言三言で会話を終わらせてしまうからだ。


 ラッツはつまらなそうにワインを口に含んだ。

 こいつは当然ながら酒癖も悪い。

 聞くところによると、借金までしているようだ。


 男の駄目なところを煮詰めたようなやつである。

 こんなやつが子爵を名乗るだなんて、世も末だ。


 ベルゼアート子爵領は、実は結構広い。

 領土面積だけで言うなら、南方の雄と言われるサザーエンド辺境伯領と変わらぬほどの広さがあるのだ。


 そんなに広い領地があるのになんでこんなに貧しいのかと言えば……ほとんど開拓が進んでいないからだ。


 子爵領は、四方を森に囲まれている。

 西側には凶悪な魔物の暮らす魔の森と呼ばれている場所があり、残る三方も魔の森ほどではないがそこそこ強い魔物の出現する森林地帯になっているのだ。


 大した特産品もなく、四方を魔物の出現する森に囲まれている。

 他の貴族領に向かうまでにはかなりの距離があるため移動も簡単ではないとなれば、わざわざ好き好んでやってくる物好きはいない。


 そのためうちの子爵家は余所とほとんど交易すらせず、商人も立ち寄ることなく、領民達が結婚をして子供を産んで徐々に徐々に人口が微増している状態だ。


「父上、それでですね……」


 さっきからしきりに長男のザックが昨日あった出来事について話しているのを聞き流しながら、現状について思いを馳せる。


 ベルゼアート子爵家が爵位を授かっているラーク王国では、基本的に男系の長子相続が主流だ。

 なので順当にいけば長男のザックが跡目を継ぐことになる。


 次男のペードはそのスペアで、三男のロウはそのまたスペア。

 四男のバーグラーと五男の俺クーンはスペアとしての価値がないため、成人すると同時に家を追い出される。


 現在俺の年齢は五歳。

 この世界では成人は十二歳なので、あと七年したら着の身着のままで家を追い出されることになる。


 それまでになんとかして力をつけなくちゃいけない。

 魔物が出現する剣と魔法の異世界であるこのドーヴァー大陸を身一つで生きていくには、力が必要だからだ。


「ごちそうさまでした」


 さっさと食事を済ませると、俺はそのまま書斎へと向かうことにした。


 この国では本は割と安価なものだったりする。

 なんでも転写の魔道具とやらである程度大量生産ができるかららしいが……子供の俺にそこまで詳しいことはわからない。

 なんにせよ、こうして気軽に本を手に取ることができるのはありがたい。


「魔法学基礎……これがちょうどよさそうか」


 実はうちのような貧乏な貴族家はたくさんいる。


 というのも、この世界における魔物は、かなり強い。

 いや、弱い魔物は根絶させてしまうため、強いものだけが残っているって言い方が正しいかな。


 人類が開拓できているのは大して強くない魔物が棲んでいた限られた領域だけであり、人が暮らす領域よりも魔物が生息している領域の方がはるかに広い、というのがラーク王国の実情である。


 ただそんな風にわりと殺伐としている事情のおかげで、この国は常に即戦力を欲している。

 そのため人間が魔物に抗う術である魔法に関する本は、国が補助金を出しているため貴族家には無償で配れるようになっている。

 貧乏であるうちでもある程度まとまった蔵書があるのは、それが理由だ。


 ちなみに余談だが、魔法の書は小さな村でもかなり安価で購入ができるため、この世界では識字率は非常に高い。


「しっかし魔法かぁ……なんだかちょっとワクワクしてくるな」


 魔法という言葉を聞いてときめかない男児はいない。

 自分が炎や雷なんかを出して敵を圧倒する光景を想像すると、むふふと子供らしからぬ笑みが浮かんでくる。


 勉強は嫌いじゃない。前世じゃあ実生活に使わなそうな古文漢文だって必死になって勉強してきたんだ。

 しっかり学べば戦えるだけの力を手に入るっていうんなら、いくらでもやってやる。


「タイムリミットもあるし、身を入れて勉強しなくっちゃな」

 

 俺は革張りの分厚い本をゆっくりと開き、魔法の書を読み始めることにした。

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