マムシ高地の戦い

第30話 敵前の甘いご馳走

 アカツキの「復讐」が終わってから三日後、第五中隊は予定よりもやや遅れながら指定されていた集合地点に到着した。

 既に第二大隊および第三大隊の各隊は攻撃準備を整えて高地頂上付近を完全包囲しており、第五中隊も手早く攻撃態勢を整える。休憩している暇などない。強行軍から即座の攻撃であった。

 攻撃予定時刻は一五〇〇時(十五時)。その前に砲兵隊による準備砲撃が高地の頂上にある陣地に向かって行われ、それが終わると同時に包囲部隊が高地への総攻撃を開始する。

 ……手筈だったのだが。

「砲撃こねぇな」

 アサキがボヤく。

 予定では一四三〇時(十四時半)から約三十分に亘って砲撃が行われる筈なのだが一向に砲弾は落ちて来ない。爆音どころか一つの落下音すらしないのだから本当に落ちていないのだろう。

「なんか問題でもあったんスかね?」

「砲撃無しで攻撃なんて嫌だなァ」

 何しろ砲撃が無ければ無傷の敵を相手にする事になる。これから攻撃する身としては勘弁して欲しいのは言うまでもない。

 そんな事を考えてながら今か今かと砲撃を待っていると、時刻は攻撃予定の五分前になっていた。やはり砲撃はない。こうなれば覚悟を決めるしかないだろう。

「命令あるまで総員待機」

 そう命令が降りたのは、攻撃予定時刻の僅か一分前であった。

 どうして中止になったのかは定かでないが、砲撃がなかった事から察するに砲兵隊の方で何か不具合があったのだろう。

 何かは解らないがとにかく準備砲撃無しの到着即攻撃という事態を避けられた事だけは間違いない。ありがたい話しである。

「どのくらい待機するんですか?」

 シラセに訊ねてみたが、当然ながら一下士官でしかない彼女にも解る筈がない。

「それは砲兵に聞いてみないと解らないなァ」

 もっとも早く攻撃したいわけでもなし。呑気に構えていると、攻撃はさらに延期という命令が出た。

 どうやら思っていたよりも大規模な不具合であったらしい。

「寿命が少し伸びたと思う事にしようぜ」

「ちょっと縁起でもない事を言わないでよ」

 キクリはそう言うが、しかしアサキの言う事は事実だ。少なくとも今直ぐに死ぬという事だけは免れたわけである。

「しかしお腹空いたッスね」

「完全同意」

 腹が減っては戦は出来ぬ。

 さりとて腹の虫で文句を言ってもご飯が降って来るわけでもなし。

 いちおう炊事班が汁物を作ってくれたが、何しろ持ち合わせの材料も調味料もない。一つの肉の缶詰で十人分くらいの出汁を取り、雑草だか菜っ葉だか判別の付かない物がぶち込まれただけの代物だ。

 この汁物をミキは「雑草汁」と呼んでいたし、口の悪い連中は「色のついたお湯」と呼称していた。もっと性質の悪い兵隊などは「小便汁」などと揶揄しているらしい。流石に食べ物を汚物に例えるセンスはミキにはなかった。

 もちろん雑草汁では腹も膨れないので、主食は引き続き湿気った乾パンだ。あまりにも湿気り過ぎて黴が生えていないのが不思議なくらいである。

 食えた物ではないので、ミキは汁の中に乾パンを入れてグチャグチャに潰した乾パン粥にして一気に掻き込む。食事をした、というよりも「胃に流し込んだ」と表現した方が良いような夕食だった。

 おそらくこれが総攻撃前の最後の食事となるだろう。必然的に「最後の晩餐」になる可能性も高く、それを考えると憂鬱で仕方がなかった。

「せめて甘露でもあればねェ」

 ボンヤリしつつ、ミキは近くに飛んでいた虫をシッと払った。

「虫多いッスね」

「そりゃあ森の中だからな」

 そんな事を話す。

「危ないな、これ蜂だよ」

 こんなところで刺されたら堪ったものではない。言いながらミキはシッと蜂を追い払う。

「蜂?」

「近くに巣でもあるのかしら。やたらいるわね」

「蜂の巣……」

 そこまで言って四人は顔を見合わせた。

 大慌てて周囲を捜索し、蜂が群れている所を発見。まずは落ち着いて湿気ていない枝を集めて束ね、燐寸で火を点けて松明を作る。

 無論、下手に目立たせると敵に見つかる可能性があるので、布で覆い隠すようにして作業した。これならば少なくとも高地からは見えない。

 さらに携行式の折りたたみ蚊帳を頭に被って接近し、下から松明の煙で蜂を燻し、続けてアカツキが「やいッ」と銃剣で巣を一突きに落とした。

 その巣をさらに煙で燻すようにして蜂を気絶させ、銃剣で巣をバラバラにする。

 小さくなった巣蜜をさらに一口大に切り分けてミキは迷わず口に放り込んだ。

 噛まずとも蜂蜜が溶けだして、濃厚な甘みが口の中全体を支配する。思わず目が潤み、鼻が垂れるほど感激してしまった。疲れた身体には甘い物が一番だ、などとよく言うがまさしくその通りで、咥内の甘みと一緒に元気が全身を駆け巡るような錯覚さえ受ける。

「あま~い」

「なに変な事出してるんだよ」

 そういうアサキの顔もミキと同じように綻んでいる。

 自分たちだけで独り占めなどという莫迦な真似はせず、出来得る限り多くに行き渡るように切り分けて部隊中に回す。誰も彼もが久しぶりの甘味に狂喜乱舞し、平気な者は蜂の子までモリモリ食べた。

 高地への決戦前にようやくひと心地着いた気分である。先ほどまで疲れ切っていた兵隊たちは何処へやら、今は誰もが元気と闘志に満ち溢れていた。やはり甘いものは強い。

 しかし待てど暮らせど攻撃命令は出ず、気付けば日も暮れだした。さては夜襲を行うのかと意気込んだが、日が完全に隠れる直前でまさかの野営命令が出る。どうやらこのまま一夜を明かすらしい。

 森の奥まで入り、なるべく高台からは見えないような場所にそれぞれ天幕を張る。

「軍曹殿、攻撃はしないんですかね?」

「うーん」

 やはりシラセも全く知らないらしい。

 何だか解らないが、とにかく一日でも二日でも命が伸びるのは有難い事だ。素直に幸運を受け入れ、ミキはすし詰め状態の天幕の中で眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る