願いが叶う場所

島波あずき

心話さん編

第1話 不可思議な現実

 目覚まし時計の音が部屋中に鳴り響き、僕は目を覚ました。今日は学校があるので、これ以上は寝ることはできない。


「……起きるかぁ」


 眠い目をこすりながら、仕方なく身支度を済ませて家を出る。


 今日の最高気温は三十五度。これくらいになると学校に向かって歩くだけで汗が出てくる。バスや電車で通学する人たちは冷房が効いた空間にいる時間が長いので良いが、僕の場合は家から学校までが絶妙な距離のため徒歩しか登校手段がない。


 真夏の暑さに耐えながら歩いていると、後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。


かなえくん、おはよー」


 後ろを振り向くと、ハンカチで汗を拭きながら向かってくる女子がいた。


「今日も暑いね」


 彼女は朝宮あさみやあい。一つ上の先輩。愛願先輩とは同じ委員会に入っていて、趣味が同じということからすぐに意気投合し、今では登下校を共にするくらいの仲になっている。


「海風があるだけ良いですよ。無風のときは本当に地獄ですし」

「それもそうだねー」


 そう言う彼女の髪の毛はずいぶん長く、見ているだけでこっちまで暑くなってくる。


「愛願先輩は髪切らないんですか?」

「ん〜、まだいいかな。あ、でも失恋とかしたら切るかもね!」


 地味に答えにくいことを言ってきた。


「友達が愛願先輩は人気あるって言ってたんでフラれることはないと思いますよ」

「それ本当? その友達、嘘ついてない?」

「嘘ついてないと思います。僕の中で一番信用できる友達なんで」

「ふぅん」


 なんだか納得のいかない表情をしている。


「それじゃあ、私が叶くんに告白したらオッケーしてくれる?」


 上目遣いでそう言ってくる先輩。正直、すごく可愛い。


「付き合いたくない、といったら嘘になりますね」

「なにそれ、素直じゃないなー。もっと普通に言えばいいのに」


 先輩は拗ねた表情でこちらを見てくる。ただ、素直に付き合いたいと言うのは恥ずかしいのでこれで勘弁してほしい。


 僕が愛緒先輩に恋愛感情を抱き始めたのは数か月前。一緒に過ごしていく中で普通とは違う感情が自分の中にあることに気づき、ある日それが単なる友達としてのものではなく恋愛感情という特別なものだと分かった。


「でもありがと、嬉しいよ。告白はしないけどね」

「え、しないんですか」

「しないよ。もしかして期待した?」


 それは当たり前。男であれば突然あんなことを言われたら少しくらいは期待してしまう。まぁでも、こういうところも先輩らしくて好きだ。


「別にしてません。それに僕は先輩に告白されるまでアピールを続けます」

「なるほど、告白されたい側なんだ。覚えておくね」


 どうせ告白なんてしないくせに『覚えておく』と言って期待させる。先輩の性格の悪さ垣間見える。


「お、着いたね」


 好きな人と一緒にいると長い道も短く感じる。そんな謎の効果によって、あっという間に学校に着いた。


「それじゃ、また放課後ね」

「はい。また」


 先輩と僕は学年が違うのでここでお別れ。次に会うのは下校の時なので、あと約七時間もある。こういうことを考えると毎回ため息が漏れるのだが、いくら先輩に会いたいと願っても時間は早まらない。できることは真面目に授業を受けることだけだ。


「はぁ、早く放課後にならないかなー」


 そう呟いて、僕は教室へと向かった。




 長い授業が終わり、ようやく放課後となった。僕は校門の前であい先輩を待っていた。そして約一時間後、先輩は小走りをしてやってきた。


「おまたせー、掃除が長引いて遅れちゃった。本当にごめん!」

「別にそんな待ってないんで、大丈夫ですよ」


 そう返すと、先輩はニヤリと笑った。


「またまたー。帰りのホームルームが終わってから一時間は経ってるよ? 気を使ってそう言ってくれたのは嬉しいけど、もう少し上手い嘘をつけるようになってほしいなー」


 と、僕をからかって先輩は歩き出した。


「頑張ります……」


 とはいえ、どんな嘘をついても先輩には見破られる気がするけど。


「にしても家に帰るだけで、一苦労だよね」

「遠いうえに、この暑さですもんね」


 隣にいる愛願先輩はハンカチで汗を拭っている。それを見て僕もそうしようと思ったが、残念ながらハンカチを持っていないので代わりにティッシュで汗を拭いた。


 すると突然、先輩が立ち止まった。ティッシュで汗を拭くのがまずかったか?


「どうしたんですか?」


 そう問いかけると先輩は僕の数メートル先を指差した。そこには──


「中学生かな?」


 道端に一人の少女が立っていた。海を眺めているのだろうか。近づくにつれて、少女の表情が見えてくる。何か寂しそうで悲しそう。そんな浮かない表情だった。


「ねぇ、一人で何してるの?」


 愛願先輩が少女に向かって優しく声をかけた。何かあるとすぐ行動する、それが愛願先輩の特徴。その行動力には毎回関心する。


 少女は突然声をかけられたからか少し戸惑っていた。


「海を眺めながら考え事を少し……」

「中学生?」

「はい、中学二年生です」


 中学生が海を眺めながら考え事か、なんかエモいな。ただ大事なのはそこじゃない。この子のさっきまでの表情、それは何か深刻なものを抱え込んでいるようだった。おそらくこの状況に立ち会わせた先輩なら「相談に乗るよ」とか言うだろう。


「よかったら話聞いてもいいかな? 相談に乗るよ」


 予想通り。さすが愛願先輩、期待を裏切らない。


「先輩、先に名前聞かないと」

「あ、そうだった。名前はなんて言うの?」

「心臓の心と会話の話でと言います」

「いい名前だね! 私は愛願でこの人はかなえくん。よろしくね」


 そうして僕たちは、近くの海水浴場まで移動し、心話さんの話を聞くことにした。


「それで、何かあったの?」


 愛願先輩と心話さんは歩道と砂浜の境目にある階段の段差に座っていたが、女子が二人いるところに座るのは少し気が引けるので、僕は階段から少し離れた砂浜に座って話を聞くことにした。


「お二人はがんしょうめつびょうというのを知っていますか?」


 それを聞いた瞬間、ピンときた。確か少し前から話題になっている病気だ。どうもその病気には他にはない不思議な特徴があるだとか。


「僕は知ってます。先輩は?」

「もちろん知ってるよ。結構身近な存在だから」


 いうほど身近ではないと思うが、先輩が言うならそうなのかもしれない。


「願消滅病の詳しいことは知ってますか?」

「願いが叶うと死んじゃうってことくらいしか……」


 僕の言葉を聞いた心話さんは突然スマホに話しかけた。


「AI、願消滅病の症状について教えて」


 その言葉によってスマホから音声が流れ始める。


『はい。願消滅病の症状は願いが叶ったとき消滅してしまうというものです。消滅というのは死を意味します。正確には願いの他に『夢』などが叶っても消滅してしまいます。なので最近では願いより『望み』の方が正しいのではないかとも言われています。ですのでまとめると、願いが叶うと命を落としてしまう。そんな病気です』


「えっと、今のは?」

「AIです。こういう難しいことはAIに頼るのがいいかと思いまして」

「な、なるほど」


 中学生がAIを活用してるだなんて。僕なんかまだスマホの機能ですら活用しきれてない機械音痴だっていうのにすごいな。


「でも僕、その病気のことはあまり信じてないんですよね。本当にそんなものがあるのかなって。何かの都市伝説的なものかと」

「そういう人も結構いるらしいよね」


 願消滅病は数年前に初めて発見された病気だ。この病気は身体に直接変化が生じるわけではなく、実に不気味な性質を持っている。それが『願いが叶うと死ぬ』というものだ。もちろん初めは研究者たちも「そんな馬鹿げたことがあるわけない」と思っていたらしい。でも研究が進んだ今では、それが当たり前になっている。症状があまりにも不思議なせいで未だに治療法は見つかっておらず『死の病』とも言われている。 


「そうですね。私も信じていませんでした」


 言い方が過去形ということは……。


「友達が願消滅病で消えるまでは」


 願消滅病はテレビで話題になっていたけれど、心のどこかで嘘だと思う自分がいた。そしてそれは心話さんもそうだったのだろう。


「私の友達のが消える前日、学校で聞いたんです。『明日お父さんの仕事の関係でお客さんの前で弾き語りができることになったの! やっと私の願いが叶う!』って。それで私もその弾き語りを聴くためにライブハウスに行きました。すごく綺麗な歌声でした。でも……」


 急に話が止まった。心話さんは俯いたままで、よく見ると身体が震えていた。それを見た愛願先輩は優しく声をかける。


「無理しなくていいよ?」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です……」


そう言って、心話さんは話を続けた。


「それで弾き語りが終わった後、美歌が急に倒れたんです。力が入らないって言って。そしたら美歌の身体はどんどん透けていきました。急いで救急車を呼んだんですけど、到着する何分か前に彼女は消えていなくなりました。今でも忘れません。消える瞬間の美歌の幸せそうな表情を」


 そして心話さんは「これが私が願消滅病を信じる理由です」と付け足した。


 なるほど。その美歌さんは願いが叶うことで消滅してしまった。でも願いが叶ったことで幸せにもなれたということか……。


「つまり考え事っていうのは、その友達のこと?」

「いいえ、それは自分の中で気持ちを切り替えることができました。もちろんすぐには立ち直れなかったですけど」

「それじゃあ、考え事っていうのは他のことなの?」

「はい、実は私──」


 その瞬間、海から吹いてきた強い風が心話さんの髪の毛をなびかせた。



「願消滅病なんです」



 正直、今まで願消滅病なんてよくある都市伝説のようなものだと思っていた。でも今日あったことによってその考えは大きく変わった。


 願消滅病になって消えてしまった友達の話。そしてなりより──


「心話さんが、願消滅病……?」


 目の前にいた少女が、願いを叶えることによって消えてしまうということを聞いてしまったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る