2025 2 15

 村上春樹の小説を読んでいてふと思った、母はなぜ彼の小説が嫌いなのだろうか。僕は彼の小説が好きでよく読み表情筋をせわしなく動かすのだが、母は僕のそんな姿を見るたびに彼の文章が嫌いだと小言を言う。母が見えるところで読まなければ中身のない小言など言われずに済む。しかし、僕は母の前で彼の小説を読む。母の小言に「うん」だとか「そうだね、確かに」だとか適当に相槌を打つ。この一連の行為をやった後に僕はこのために彼の小説を読んでいるんじゃないかと思う。難しいことなんてわからないし、彼が言いたいことなんてもちろん全て理解できない、だから僕が読んでいたという証が欲しかったのかもしれない。いや、それだったら今つけているこれに読んだことや感想を書けばその証になる、いやいや僕が読んでいる所を見られたわけではないのだからそれは証にならないのか…そもそもその行為を見られたところで僕が本当に読んでいたかどうかなんて僕にしかわからないし、僕が読んでいるふりをしているかもしれない、他人にはどうやったって僕が本を読んでいたかなんて証明できないと思うんだ。だったら母に小言を言われたところで「読んだ証」になんてならないのか…でも、それを言ってしまったら終わりなような気がする。そもそも自分が本を読んだという事実を僕が否定してしまっては根本から崩れてしまうのは当たり前のことだ。


 人の感性(感性というか存在?)は気が付かないうちに自分の外と結びついていると思う。実際に僕は、母の小言=僕が村上春樹の小説を読んでいる時、となっている。どこに行っても周りのものに支えられている生き物なのだから当たり前のことなのかもしれない。


 なんかもっと言いたいことがあったはずなのに正確さが邪魔をしてうまく言語化できない。結論の出ない事をつらつらと…というか今思ったのだがこれは日記なのだろうか。もっと環境に左右される僕を書くべきなのだろうか。とは言ってもずっと家にいるのでなかなかチャンスはないか。外出はしたいんだけどめんどくさいんだよねぇ、友達が誘ってくれたらウキウキで行くのだけれど。


 

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