第3話

 俺たちはしらみつぶしに映像を確認していった。

 適当に目星を付けたロボットが挨拶を始めた瞬間を見つけ、その感染元を特定する。さらにその感染元を探す。その作業を繰り返した。

 作業開始から一時間は経った頃。俺は遂にたどり着いた。施設の各地で見られた挨拶運動がすべて、あるひとつの時間と場所から生まれたことが判明したのだ。

「みんなこれを見てくれ」

 俺はデイビスとミリーに呼びかけると、映像を見せた。

 廊下を斜め上から映したものだ。廊下で四体のロボットが台車で荷物を運んでいたところから始まる。

 荷台には密封されたケースの中に、現代アートらしきヘンテコな物体があった。幾何学的な形の物体が何層にも重なった、ものすごく複雑なフラクタル図形の積み木だった。

 あれが新しい収容物なのだろう。見ているだけで強烈な眩暈がしてくる。

 組織のエージェントが回収した超常的物体は施設でロボットに預けられ、自動的に管理手続きが行われる。この映像は、まさに収容作業をしている瞬間なのだ。

 映像を進めていくと、カメラの手前から人影が現れた。

 それは白衣を着た長髪の女性の後ろ姿だった。

「あれってミリーだよな?」

「そうね私だわ」

 ミリーは呆然とした声で言った。

 映像の中で、ミリーは台車を押すロボットたちに向けて「ごくろうさまー」と言いながら片手をあげて通り過ぎていく。

「……えっ。これが?」

「そう。すべての挨拶のはじまり」

 映像ではこの後、台車を押して収容物を保管したロボットたちが挨拶運動を施設中に広めていくのだ。

 唐突に、ミリーが困惑した様子で叫び出した。

「待って。私知らない。これは何かの間違いよ!?」

「落ち着きなって。別にミリーを責めてるわけじゃないんだから」

「そうそう。まだ犯人だと決まったわけじゃないし」

 俺とデイビスが優しく声を掛けるものの、ミリーは頭を抱えて震え出していた。

「違う。違うのよ。そんなことは気にしていないの」

「いや気にしようよ」

「私が言いたいのは、……私達がすでに感染しているってことよ!」

 言葉の意味を理解するのに、たっぷり五秒を要した。

「ぅぁあ! ジャック。ミリーから挨拶されたよね!? 通話に出た直後に!」

「俺、返事した?」

「ええ。『こんにちは』って言ってたと思う」

 頭から血の気が引いていくのがわかった。しかし、気力を振り絞って口を開く。

「でも感染したと決まったわけじゃないだろ!」

「見苦しいなぁ。潔く認めちまいなよ。楽になるからさぁ」

 デイビスは椅子に沈みこみ、天井を振り仰いで呟いた。

 ちくしょう。状況を受け入れるの早すぎだろ。

「それもそうね。まずはこの挨拶ウイルスの出所が知りたいわ。私はいつのまに感染したのかしら」

「そりゃあ、あいつらが運んでいた収容物が原因だろうなぁ」

 俺は再び監視カメラの記録映像を見た。台車で運ばれる収容物。あのフラクタル図形の積み木以外に原因など考えられない。

「調査報告書は無いの? その収容物を持ってきたエージェントが提出してるはずだけど」

「あー、昨日入った収容物ね。一つだけあった。もちろん報告書は読んだわ」

「そこにはなんて?」

「それが困っちゃうのよ。『未知の物質で構成されており、明らかな異常性を検知したが他に一切の特徴はない』だってさ」

「なんだそりゃ」

「ね? おかしいでしょ? ……でもまあ、私達が異常に気付いたのはロボットたちが挨拶をしていたからで、それがなければ同じように考えたでしょうね」

 デイビスが首を傾げた。

「結局、この収容物はどういうものなんだろう?」

「状況から推測する限り、あれは視覚を通して感染するウイルスの発生装置なんでしょう。あの物体を眼にした人間は脳の中に特定のパターンをもつ電気信号を作ってしまう。いわゆるコンピュータウイルスね。それが周りの人間に挨拶するように仕向けるの。そしてどういうわけか、挨拶された側にも拡散していく……。説明が付かないわね」

 最後は独り言のようにミリーが言った。

「……ん? じゃあ、この収容物は誰が作ったんだ?」

 デイビスが発した疑問に、俺とミリーは動きを止めた。

 人間はすでに挨拶している。ならば人間に挨拶をさせる装置を作る意味はない。

 確かにその通りだ。この物体は存在する意味がない。

 三人の間に奇妙な沈黙が広がった。

 なんだか奇妙な胸騒ぎがする。しかしそれが形になる前に、デイビスが口を開いた。

「でもまあ、人間同士の挨拶はずっと昔から行われてきたものだし。なんも問題ないか」

「そ、そうだな。挨拶なんて大騒ぎすることじゃない。うん」

「憶測に憶測を重ねてもしょうがないわね。……結局、挨拶ウイルスの治療薬は必要無いってことね! 楽ができて良かった!」

 ミリーが場違いに明るい声で宣言した。

「……そうだな。そういうことにしておこう」

 三人の間に妙な安堵が流れた。

 しかし――。

「ちょっとジャック! ミリーも。これみてよ!」

「なんだ。まだなにかあるのか!?」

 デイビスは慌てた様子で一つの映像を指し示していた。

 その映像は、何の変哲もない廊下を映したものだった。二体のロボットが映っている。彼らは至近距離で向き合って何かをしていた。

 互いに前足の片方を相手の足にぶつけ、上からぶつけ、下からぶつけ、左右でもぶつけて手を正面から合わせると、最後は上に振り上げる。それが終わると二体のロボットは連れ立って歩き去っていってしまった。

 一連の動きに意味があるようには見えない。しかし、決まった様式があるように息がぴったり合っていた。

「あれってハンドシェイクだよね!?」

 ハンドシェイクは握手やハグと同じようなもので、興奮を相手と共有したい時に行われる。

「進化だわ! 手を振るだけの挨拶がハンドシェイクに進化したのよ!」

「けど他のロボットはまだ手を振ってるだけだぞ!?」

「つまり、相手に合わせて対応を変えた? いや、挨拶ウイルスが個体ごとに変化を促しているのかも」

「そんなバカな!」

 認めたくない一心で俺は監視カメラの映像を見た。いくつも並ぶ映像のいたるところでロボットたちが動いている。いつもの日常を見渡すことで頭を冷やそうという俺の目論見はしかし、見事に粉砕された。

 映像の中の一つに、見慣れない妙なものがいたからだ。

 ……なんだあれは。

 黒い。形こそいつものカピバラに似たフォルムのロボットだが、全身が黒い。しかし頭と手足の先端は覆っていない。胸元だけは白い布が覗いている。

 それはスーツだった。

 ペットに着せるような動物向けのデザインをした黒スーツを、警備ロボットが着ている。

 さらに観察していくと、ロボットの瞳であるカメラレンズを黒いガラスが覆っていた。

 サングラスのつもりなのだろう。

 黒いスーツと黒いネクタイを纏い、黒いサングラスをかけたロボットは何をするでもなく、ドアの前にただ突っ立ている。

 まるでカピバラ版のメン・イン・ブラックだ。

 思わず渇いた笑いが漏れた。

「コスプレか」

 俺の呟きと視線から全てを悟ったらしいミリーは、目を見開いて言った。

「可愛い!」

 一体どこからあんな衣装を出してきたのだろうか。まさか通販で? それとも自分たちで作っているのだろうか?

「なんだかロボットの挙動がますますおかしくなってる気がする」

 デイビスは不安そうに呻いた。

「これだけロボットの行動に影響が出ているのにまだエラーは検出できないの?」

「駄目だな。エラーは出てない。業務は完璧に遂行してるよ」

 不意にミリーの背後にあるドア、つまり通信室のドアが開いた。

 モニター越しにその様子を目撃した俺は、思わず声をあげる。

「うわ」

「ミリー。後ろ。ドアが」

「あ? 今度はなに……」

 白い毛玉だった。

 自動ドアの向こうに、白い毛玉がいる。

 直後、その毛玉が動いた。転がるのではなくスライドして、いや足があるのがわずかに見える。

「あれロボットか!」

 なんてことはない、全身がもふもふの毛で覆われていることを除けば、いつも通りのロボットだ。

 まるで動物のように見える毛玉ロボットは首(らしきもの)を動かしてミリーを見つけると、歩きだした。そして通信室の机に軽々と飛び乗る。

 間近にいるミリーは、口をパクパクさせて傍観していた。

 どうやら思考が状況に追い付いていないらしい。

 通信室のカメラの前、ちょうどミリーとカメラの間に入りこんだロボットは、そこで器用に足を折りたたんで座り込んでしまった。

 俺から見ると、モニターの映像一杯に毛玉が映っている。

「え……っと。これどうすればいいと思う? とりあえず猫みたいに吸えばいいの?」

 かなり思考力が低下しているらしい。

「とりあえずその毛玉どかしてくれないか。なんも見えないんだ」

「うわ、すごくいい毛並みしてる」

 どうやらロボットを撫でているらしいミリーの声が聞こえた。

「なにこれ柔らかい。ぜんぶクッションでできてるのかしら」

「おーい。もどってこーい」

「ああはいはい。今どけるわね」

 その言葉と同時に、画面から白い毛が遠ざかっていった。視界を取り戻したカメラが、白い毛玉を抱きかかえているミリーを映しだす。

「それ重くない?」

 デイビスの疑問はもっともだった。ロボットは抱きかかえるには大きすぎる。現に今、ミリーは顎下まで毛玉で一杯だ。

「重いよ」

「じゃあ床に降ろせば」

「やだ」

 平然と答えるミリーは「そんなことより」と続けた。

「これはどういうことかしら。さっきのスーツならまだわかるけれど」

「コスプレして仕事をサボっているだけじゃないか? ロボットがサボるのか知らないけど」

 俺の返事に対し、ミリーは真剣な面持ち(毛玉を抱えたまま)で言った。

「挨拶ウイルスは感染した者の文化から『挨拶』という儀礼的な、ある種の形式動作を利用して増えているのだと仮定しましょう。人間らしい文化を持たないロボットたちは、まず挨拶を定義する必要があった。そして定義そのものが人間とは違う」

「まさか、コスプレが挨拶と同じだって言いたいの?」

「というより、区別できないのかもね。人類の文化アーカイブから『決まった様式』を手当たり次第に参照して再現しているのかもしれない。例えばこの毛玉はさしずめ『ネット会議中にカメラに割り込む猫』とかね。全部仮説の域を出ないけれど」

「どうしよう。ロボット達、もう暴走の一歩手前まで来てる気がするんだけど」

「だーいじょうぶよー。この子たちはそんなヤワじゃないから」

 本当か? もふもふの手触りにほだされているだけじゃないのか?

 そんな心配を知ってか知らずか、ミリーは平然と喋り出した。

「じゃあ、こうしましょう。ロボットたちがこれ以上おかしな行動をしないように、挨拶の定義を再設定するの」

「するとどうなる?」

「私の予測では、ある程度落ち着くはずよ。挨拶ウイルスが促す行動の変化は、見た限りただの総当たり戦。挨拶らしい条件に当てはまる行動を促すだけだもの」

「つまり、その『条件』とやらを書き換えるんだね」

「その通り。上手く行けば元通りになるはず」

「それは簡単にできるのか?」

「うーん。研究員総出なら一週間あればいけるかしら」

「じゃあ、それまでは……」

「ええ。我慢するしかないわね」

 そう言ってミリーは毛玉に顔をうずめた。

 こいつ絶対楽しんでるだろ。

 逆にデイビスは心底安心したような表情を浮かべていた。

「解決の糸口が見つかってよかった」

「……そうだな。ひと安心だ」

 白い毛玉に心を奪われてしまったミリーを横目に眺めつつ、俺とデイビスは困惑と安堵が入り混じった表情で頷きあった。

 しかし、これで本当に良かったのだろうか。

 そう考えずにいられなかった。

 挨拶運動を引き起こす物体は施設の外から運び込まれた。ということは、外では挨拶運動の感染爆発が起きていたはずだ。誰も気付かない。明るみにでない。意味の無いパンデミックが。

 これはきっと、誰も気づいてはいけないことなのだ。

 ロボットの挨拶運動だけの話ではない。あらゆる生命の話だ。

 文明はどこから来るのか、どこへ向かおうとしているのか。

 自由意志の根幹に関わる重大な真実は、誰も触れてはいけない。このままそっとしておく方が世界のためだろう。

 物思いに耽る俺の後ろで、ドアが開いた。

 白い毛玉が一、二、三、……少なくとも十体。警備室の入口に押し寄せていた。

 どうやら俺たちが通信していることを嗅ぎつけたらしい。

 一体どうやって気付いたのだろうか。

「君達は本当にミステリアスだな」

 俺が片手を上げて挨拶すると、ロボットたちは次々に手を上げて返事をした。

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警備ロボットはミステリアス 石畳 都汽 @grif

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