第7話 ワールドイズマイン①
道長のオファーを受けてから一週間くらい経った週末のある日、私は再び彼の自宅を訪れていた。
今日はなにやらレコーディングをやるということらしく、私の歌をひたすら録音するらしい。
あの日彼から送りつけられた五曲の音源を、私はひたすら聴いた。
歌詞とメロディを暗記して、とりあえず伴奏が無くても歌えるくらいには仕上げたつもりだ。
彼の楽曲はとても良くできていると思う。これが高校生の仕事だと言うのであれば、驚くほどクオリティが高い。
ただそんな楽曲のことまで気にする余裕なんてない。
正直今の私は、お金がもらえれば何でもよかった。どうせローレルPにとって私は使い捨て――今回限りの縁なのだろうと、最初からたかをくくっていたから。
道長の住むマンションのインターホンを押す。すぐに彼が出てきて、私を中へ招き入れる。
彼の部屋は市内にある新しいマンションで、階層も高いし面積も広いし、家賃が高そうなことはひと目でわかった。
そこに一人で住んでいて、おまけに音楽に関するPCや機材なんかもかなり揃っている。私の歌を録音するための防音ブースもきっちり備えられていた。
月岡道長という人は、とても裕福な家庭に生まれた。
欲しいものを買い与えられ、学校には気分で登校し、将来は家業を継げば生活が立ち行く。
今日の生活を乗り越えることすら大変な私には、到底彼の人生など理解できない。違う世界の人。
羨ましいといえば羨ましい。けれども、それ以上に相容れない人だなと思う気持ちが強い。
このレコーディングだってそう。道長はびっくりするくらいの金額を私に提示してきた。
私の歌が欲しいと彼は言う。でもそれは口実で、本音は誰だってよかったはず。
お金さえ積めば靡いてくれる『歌い手』というのがたまたま私だっただけだ。
だからアルバイトだと割り切って私は歌うことにする。
「――というわけで、この間渡した曲はちゃんと練習してきたよな?」
「……うん、一応それなりには」
「じゃあぼちぼち録っていくとするか。ウォーミングアップはしたか?」
「ううん、そんなのやったことないよ」
私がそう言うと、彼はやけに驚いた表情を浮かべた。
「マジで言ってるのか……? いきなり歌いだしたら喉を痛めるじゃねーか?」
「そうなの? 確かに最初は調子でないけど、歌っているうちに良くなるから気にしたことなかった」
「お前なあ……。喉とか声帯とか声を出す器官が何でできていると思ってるんだ?」
「えっ、ええっと……内臓の一種……とか?」
「バカ。筋肉でできてるんだよ。アスリートも怪我をしないように準備運動をきちんとやるだろ? ボーカリストもちゃんとウォームアップをしないと、そのうち声が出なくなるぞ」
へえ、そうなんだと私は頷く。
でも、この先歌で食べていくことなどありえないだろうし、きちんとウォームアップをしたところで何かが変わるとは思えない。
とりあえず目の前にいる道長がうるさいので、言われたとおりにウォームアップをこなしていった。
声の準備運動と言う割には、普通に全身のストレッチをして、その後に口の中を動かすという滑舌練習みたいなことをした。
聞けば、リラックスさせることと血の巡りを良くするのが重要なのだとか。
「騙されたと思ってそれで一曲歌ってみろよ。防音ブースの中にマイクとヘッドホンがあるから」
「わかったけど……本当にこんなので変わるの?」
「いいからやってみなって。びっくりするからよ」
私は半信半疑で防音ブースの中に入った。
ヘッドホンを手に取り合図を送ると、道長は歌の入っていない楽曲の音源を流し始めた。
目の前にある高そうなコンデンサマイクにはポップガードがついていてやけに本格的だ。アーティストの一発録りを収録するYouTubeチャンネルで、こういうのを見たことがある。
プロ仕様の機材があるということは、やはり相当なお金持ちなのだ。月岡道長は。
楽曲のイントロが終わり、私はAメロの最初のワンフレーズを歌い出した。そしてすぐに、ウォームアップをやったことによる声の出しやすさに驚いた。
いつもは自転車で重いギアのまま無理やり漕ぎ出すような感覚だったのだけれども、今回は違う。
きちんと軽いギアから漕ぎ始めたおかげで、一番声量の必要なサビのところへ向かうに連れてスムーズにトップギアを入れることができたのだ。
「いい感じじゃん。その調子でもう一回同じ曲いけるか?」
一曲歌い終えると、ヘッドホンから道長の声がしてきた。防音ブースの中と外ではこのヘッドホンとマイクで電話のように会話ができるらしい。
「う、うん……」
「ん? どうした?」
「いや……なんでもない」
「そうか。じゃあレコーディング続けるぞ。ちなみにそのブースの中は空調が無いから、暑くなったら換気してな」
うん、と、返事をする前に曲が始まってしまった。道長という人は、どうもせっかちなところがある。なんでそんなに急いでいるのだろうか。このあと約束でもあるのかと思うくらい、彼は全てにおいて急いでいた。
防音ブースの中は初めこそ寒かったけれども、何曲か歌っているうちに暑くなってきた。本格的なスタジオにあるものとは違う、半分お手製のものなので、空調が効かないのは仕方がないらしい。いくらお金持ちでも、そこまでのお金はないようだ。
ヘッドホンからもう一度同じ曲が始まった。
一回目よりも緊張感がなくなり、軽快に歌うことができた気がした。ウォームアップをしたおかげなのか、高い声もロングトーンもすっと出てくる。
ローレルPの曲は不思議と身体に馴染んで歌いやすい。その理由は素人の私にはわからない。
不思議な気持ちのままレコーディングは進んでいった。
彼が妙に自信満々で私に自分の曲を歌ってほしいと言うのは、こうなることがわかっていたからなのだろうか。月岡道長という人は変な人だ。
「――よーし、今日はこんなもんだな。明日は残りの二曲も録るからよろしく」
「う、うん。よろしく」
「それで、はいこれ」
道長は銀行の名前が書かれた封筒を私に差し出す。
中にはもちろん、お金が入っていた。それも結構な額。
「えっ……? これは何?」
「何って、報酬だよ報酬。一曲につきいくら払うってこの間取り決めしただろ。今日は三曲録ったからその分だよ」
「で、でもこういうのって普通、全部終わった後にまとめて払うんじゃ?」
「まあ、確かに後でまとめて払うほうが手数料もかからないし面倒くさくないけど、すぐに欲しいんだろ? お金」
彼の言うとおり我が家の家計は困窮しているので、今貰える分が貰えるのはありがたい。
ただ、私の心の中を見透かされているような感じがして少し恥ずかしい。
「受け取らないのか?」
「受け取る。受け取るけど……」
「けど?」
「……ううん、なんでもない」
「変なの」
私は道長から封筒を受け取った。中身を改めると、取り決めした分がきちんと入っている。初めて自分の歌でお金を稼ぐことができた、記念すべき瞬間だった。
それと同時に、寂しさに似たような気持ちが私を襲う。
今日歌った三曲を、おそらく今後私が歌うことはない。
お金のためと割り切ったはずなのに、なんだか少しもったいなく感じてしまう。お金が貰えなければ、こんな仕事を請けようとも思わなかったのに。
この感情にどういう名前をつけていいのかわからなくて、とてもむず痒い。
それは私が相当な貧乏性だからだろう。と、その時の私は自分自身にそう言い聞かせた。
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