46 鉢田の戦い
「頃はよし」
頼朝は畠山重忠をはじめとして、江戸重長や河越重頼らをしたがえ、武蔵は押さえた。
そして実感した。
となれば、そろそろ「あの地」へと向かうべきである――と。
「頼朝さま」
「なにか」
ここで頼朝につき従って来た、千葉常胤が口を開いた。
上総広常とならんで、頼朝の「国」の有力者であるが、今となっては、その上総広常と争って、頼朝の
「ここは頼朝さまの
「……そうだな」
自分が言い出す前に、こういう風に言って来るとは。
頼朝にとって、歓迎すべき風潮だった。
これから自分が開く「国」に、頼朝の臣として仕えることを競い合うという風潮が。
「では向かおう」
今ならば、咲き誇っていよう、笹竜胆が。
あの青く紫のあの花が。
「かの地は、守るに
わが巣にふさわしい地だ。
この時点で頼朝は天下を取ることを企図していない。
むしろ、おのれの勢力を半独立状態にして、京や福原、そして他勢力から距離を置き、守りに徹することを考えていた。
それゆえの巣であり、鎌倉はまさにうってつけの土地であった。
*
こうして頼朝は鎌倉に入った。
だがその入府は一瞬に近く、彼はすぐに出陣することになった。
「平家の追討軍、か」
すでに幾重もの策をめぐらし、鎌倉という頼朝の巣に至るまでには、かなり勢いを失っていることだろう。
直接には、甲斐源氏の武田信義が動いている。
そういえば、信義の元にいる北条時政が、この前、武田が出陣し、駿河を制しに向かったと伝えた。
「背後の信濃も押さえた武田。義仲は上野で足利とにらみ合っている。今なら、駿河をその手にする好機ととらえたか」
頼朝はほくそ笑んだ。
彼は別の伝手から、駿河目代・
「福原、京より迫る、平家の追討軍に加わるか、連なり動くつもりか」
折りしもその平家の追討軍が、ちょうど駿河に入ったところだった。
ところがその動きは、
*
「今こそ駿河を攻め落としましょう」
範頼のその提案に、武田信義は乗った。
当年とって五十三歳の信義は、
子や孫に伝えられるべき、勲が。
「範頼どのの、言やよし」
信義率いる武田軍は、富士山麓を南下。
この動きに、駿河目代・橘遠茂は乗ってしまう。
これには、駿河に入った平家追討軍は、言うほどの兵力を保っていないと聞いたからだ。
近江や美濃、尾張において、有形無形の妨害があり、特に兵糧の提供はなく、あるいは夜間に
一方で武田軍は公称二万騎である。
「かくなれば、しかたなし」
橘遠茂は、追討軍を待たずに、甲斐源氏を
世に言う、鉢田の戦いである。
「進め! ここは
信義は敵影を認めるや、みずから抜刀して
このあたり、さすがに新羅三郎義光以来の武門の主といえる。
「やれやれ、向かうのはいいが、兵が乱れぬようにするのはこちら任せか」
「ぶつくさ言わない。戦ってくれているし、信頼されている証でしょう」
武田信義とその兵が突進していくのを見守りながら、範頼は亀の補佐を得ながら残りの兵を制御し、橘遠茂の逃げ道を読んで、彼を捕らえることに成功した。
「……よし。これで駿河目代は押さえた。平家の追討軍は、駿河で孤立する」
目代がいなければ、国府の機能を十全に活用できない。
特に、貯蔵されている兵糧や、これから納められる米を管理することが困難になる。
兵も鉢田で失い、集めようにも目代がいなくては、それもうまくいかない。
……つまり平家の追討軍は、自前の兵と兵糧で、甲斐源氏と勝負せざるを得なくなった。
そして甲斐源氏に勝利したとしても、万全の態勢を整えた、源頼朝と戦わざるを得ないのだ。
*
何とか渋る伊藤忠清をなだめすかして出陣したまでは良かった。
心配していた兵力も、七万まで集まり、あとは駿河の目代のところで現地の兵と合流し、かつ、兵糧を補給して、準備万端となった状態で、伊豆、相模と攻め入るつもりだった。
「相模の大庭景親や伊豆の伊東祐親も、坂東の兵を糾合して参りましょう」
とは、伊藤忠清の台詞だ。
かつての平将門の乱においても、乱の舞台となった坂東の将兵を集めて、官軍は勝った。
そのひそみに
ところが――
「兵糧が失せる?」
近江、美濃、尾張――と来たあたりで、その傾向が顕著となった。
そもそも、尾張には頼朝の母の実家である、熱田がある。
その熱田には、この以仁王の令旨をばら撒いた、源行家や、京から脱出した義円らが潜んでいるという。
「そいつらが兵糧を盗んでいるのだ」
伊藤忠清は憤慨して熱田へ向かおうとしたが、維盛がまあまあと押さえた。
「たしかな証もなく、神域を侵すのは気が引ける。それより、福原へ米と兵を送るよう、お願いしよう」
賢明な清盛なら、事態を把握して、増援補給に邁進してくれるはずだ。
忠清も維盛がそこまで言うならと抑え、福原へ使いを送った。
しかし、福原からは何も送られてこなかった。
「
さすがに維盛も不審に思い、忠清に調べさせたところ、どうやら美濃源氏や近江源氏が、維盛と清盛の連絡を断っているらしい。
「なんだと」
今度は忠清も憤慨よりは深刻に感じ、対策を講じようとした。
忠清は、みずから福原へ戻ろうとしたところに、とんでもない情報が飛び込む。
「院が?」
なんと、後白河法皇(院)が維盛の使いを京に留め置き、福原へ行かせまいとしているらしい。
おそらく、抜け目ない後白河法皇が、平家に打撃を与えるのはここぞと、捨て身の妨害をしているらしい。
「これは……まずい」
維盛は本気で撤退を考え始めた。
何しろ、鳴り物入りで平家の追討軍は発しているのだ。
この追討軍が失敗に終われば、もう二度と平家は追討軍を起こすことはできない。
迫り来る飢饉もある。
だが何より、「負けたではないか」と言われれば、もう何も言えなくなる。
だからこそ後白河法皇は――源頼朝は、こうして平家の追討軍を落とし入れようとしているのだ。
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