26 血戦

 北条政子はあいかわらず裸のまま泳いでいた。

 浜辺の義時はあきらめ顔で貝を拾っている。

 寝ている大姫が起きたら、何か遊ぶつもりなのだろう。

 心遣いがきめ細やかな男だ。


「さて」


 そろそろ泳ぎも終わりかと思い、もう一度だけと、潜る。

 裸体の政子を包み込むような海水。

 政子は、おのれが海の一部になったような感覚を味わいながら、潜る。


今宵こよいにでも、いくさか」


 いくさについてはよくわからない。

 頼朝も、よくわからないといっていた。

 みずからが将として、いくさするのは初めてだ、と。


「それでも勝つよりかは負ける方が簡単」


 山木の時は確実に勝ちを狙った頼朝だが、今、石橋山では負けを狙っている。

 というか、負ける方が自然だという方向に持ってきている。

 ……平清盛に勝つために。


「さて、そろそろ戻るか」


 急浮上。

 政子は、頼朝の負けをどう活かすか、それを瞬時に考えた。

 海面に顔を出す。

 大姫が起きたのか、義時が必死になってあやしている。

 集めた貝は、効果が無かったようだ。


「義時」


 義時。

 伊豆山権現。

 修験者。

 箱根権現。

 ……それらが繋がった。


「なるほど、わがつまは、それも計算づくか」


 政子は抜き手を切って、浜へと向かった。



「われこそは佐奈田与一義忠! それなるは大庭景親どのご舎弟、俣野景久またのかげひさどのとお見受けする! いざ、いざ尋常に、勝負!」


 石橋山。

 頼朝勢の佐奈田与一は、急峻――急斜面の高みにいることを活かして、大庭の先陣・俣野景久に突撃をしかけた。

 いかに寡兵とはいえ、与一は勇将であり、何より「しかけた」側であるので、完全に機先を制した。


「おおっ、われこそは俣野景久なり! 汝は佐奈田与一か、良き敵なり。お相手つかまつる!」


 しかし景久は叫びながらも、手指で危なげなく兵を配置し、迎え撃つ姿勢をととのえた。

 このあたり、のちに甲斐武田の襲来にあたって、一軍を与えられるだけの景久の冴えが見受けられる。


「かかれ!」


 与一は吶喊とっかんする。

 しかしその後は無言で敵に襲いかかった。

 今は夜。

 そして雨の中。

 声さえ上げなければ、誰が誰だかわからない。

 それにより寡兵であることを補おうとする、与一の策であった。


「こざかしい!」


 景久は舌打ちしつつも、与一の次のを読んで、長尾新五、新六の兄弟を呼び寄せた。


「いいか、あの佐奈田与一はかならずこの景久の首を狙いに来る」


 新五と新六は驚いたが、それが有効なであることを認めた。

 今、圧倒的な兵数の差が、頼朝勢と大庭勢の間にある。

 それを引っくり返すには、大庭勢のである景久の首を取ることだ。


「だからこその名乗り合いよ。おそらく、機を見て一騎打ちに持ち込むつもりだ」


 景久は、その時に与一を討てと、新五と新六に命じた。

 そして、与一を討てばこの戦いは勝てると告げた。


「おそらく、あの与一は頼朝の一の武者。これだけのことを任される男だ。逆に、その男を討てば、頼朝には、あとがない」


 将として冷静に戦場を俯瞰する景久。

 大軍であることを押し出せばいいところを、こうして策を練ってくるところに、この男の恐ろしさがあった。


「見つけたぞ、俣野景久!」


 ちょうど与一とおぼしき武者が、景久に躍りかかって来た。

 景久は新六と新五にめくばせして、「応!」と馬上、その武者と組み合った。


「われこそは、佐奈田与一義忠!」


 与一は勢いのままに景久に抱き着き、そのまま馬から地面へと景久をたたきつけた。


「……ぐっ」


 息がつまる景久。

 だがすかさず与一の顔面を殴りつけ、その隙に上下を入れ替える。

 与一も負けじと頭突きを繰り出し、上下を入れ替えようとする。

 急斜面ということもあり、ふたりは転げ、落ちていく。


「……新五、やれ! 新六も!」


 夜の雨の中、組み合い揉み合うふたりの影から、叫び声が聞こえた。

 新五は刀を抜いて近づくが、どちらがどちらか、わからない。


「上が景久、下が与一!」


 の与一がそう叫んだ。

 の景久は舌を巻いた。

 この男、どこまで機転が回る。


「上が与一、下が景久、間違えるな!」


 景久は景久で、与一の台詞をなぞって言い返す。

 新五がすぐに間違いに気づけるように。

 しかし新五に、一瞬の逡巡。

 与一は新五を蹴った。


「がっ」


「新五!」


 新五が突っ伏すのを見て、さすがに景久は動揺する。

 その隙に与一は短刀に手を伸ばす。


「何ッ」


 運命の皮肉というしかないが、与一は景久にたどりつくまで、岡部弥次郎という敵と遭遇し、その首をき切っていた。 

 短刀で。


「こ……これは、ぬ、抜けんッ」


 その短刀は弥次郎の血と脂で鞘にくっついてしまい、今この瞬間、鞘から抜けなくなっていた。


「お覚悟!」


 新五の弟の新六が、与一の背後から襲いかかった。

 これあるを期して、景久が一人ではなく二人伏せていたことが、奏功した。


「……佐奈田与一、この長尾新六が討ち取ったり!」


 新六が与一の首を取り、それを見た与一の郎党・文三家安は稲毛重成の兵に向かって吶喊し、そして討たれたという。

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