26 血戦
北条政子はあいかわらず裸のまま泳いでいた。
浜辺の義時はあきらめ顔で貝を拾っている。
寝ている大姫が起きたら、何か遊ぶつもりなのだろう。
心遣いがきめ細やかな男だ。
「さて」
そろそろ泳ぎも終わりかと思い、もう一度だけと、潜る。
裸体の政子を包み込むような海水。
政子は、おのれが海の一部になったような感覚を味わいながら、潜る。
「
いくさについてはよくわからない。
頼朝も、よくわからないといっていた。
みずからが将として、いくさするのは初めてだ、と。
「それでも勝つよりかは負ける方が簡単」
山木の時は確実に勝ちを狙った頼朝だが、今、石橋山では負けを狙っている。
というか、負ける方が自然だという方向に持ってきている。
……平清盛に勝つために。
「さて、そろそろ戻るか」
急浮上。
政子は、頼朝の負けをどう活かすか、それを瞬時に考えた。
海面に顔を出す。
大姫が起きたのか、義時が必死になってあやしている。
集めた貝は、効果が無かったようだ。
「義時」
義時。
伊豆山権現。
修験者。
箱根権現。
……それらが繋がった。
「なるほど、わが
政子は抜き手を切って、浜へと向かった。
*
「われこそは佐奈田与一義忠! それなるは大庭景親どのご舎弟、
石橋山。
頼朝勢の佐奈田与一は、急峻――急斜面の高みにいることを活かして、大庭の先陣・俣野景久に突撃をしかけた。
いかに寡兵とはいえ、与一は勇将であり、何より「しかけた」側であるので、完全に機先を制した。
「おおっ、われこそは俣野景久なり! 汝は佐奈田与一か、良き敵なり。お相手つかまつる!」
しかし景久は叫びながらも、手指で危なげなく兵を配置し、迎え撃つ姿勢をととのえた。
このあたり、のちに甲斐武田の襲来にあたって、一軍を与えられるだけの景久の冴えが見受けられる。
「かかれ!」
与一は
しかしその後は無言で敵に襲いかかった。
今は夜。
そして雨の中。
声さえ上げなければ、誰が誰だかわからない。
それにより寡兵であることを補おうとする、与一の策であった。
「こざかしい!」
景久は舌打ちしつつも、与一の次の手を読んで、長尾新五、新六の兄弟を呼び寄せた。
「いいか、あの佐奈田与一はかならずこの景久の首を狙いに来る」
新五と新六は驚いたが、それが有効な手であることを認めた。
今、圧倒的な兵数の差が、頼朝勢と大庭勢の間にある。
それを引っくり返すには、大庭勢の要である景久の首を取ることだ。
「だからこその名乗り合いよ。おそらく、機を見て一騎打ちに持ち込むつもりだ」
景久は、その時に与一を討てと、新五と新六に命じた。
そして、与一を討てばこの戦いは勝てると告げた。
「おそらく、あの与一は頼朝の一の武者。これだけのことを任される男だ。逆に、その男を討てば、頼朝には、あとがない」
将として冷静に戦場を俯瞰する景久。
大軍であることを押し出せばいいところを、こうして策を練ってくるところに、この男の恐ろしさがあった。
「見つけたぞ、俣野景久!」
ちょうど与一とおぼしき武者が、景久に躍りかかって来た。
景久は新六と新五にめくばせして、「応!」と馬上、その武者と組み合った。
「われこそは、佐奈田与一義忠!」
与一は勢いのままに景久に抱き着き、そのまま馬から地面へと景久をたたきつけた。
「……ぐっ」
息がつまる景久。
だがすかさず与一の顔面を殴りつけ、その隙に上下を入れ替える。
与一も負けじと頭突きを繰り出し、上下を入れ替えようとする。
急斜面ということもあり、ふたりは転げ、落ちていく。
「……新五、やれ! 新六も!」
夜の雨の中、組み合い揉み合うふたりの影から、叫び声が聞こえた。
新五は刀を抜いて近づくが、どちらがどちらか、わからない。
「上が景久、下が与一!」
上の与一がそう叫んだ。
下の景久は舌を巻いた。
この男、どこまで機転が回る。
「上が与一、下が景久、間違えるな!」
景久は景久で、与一の台詞をなぞって言い返す。
新五がすぐに間違いに気づけるように。
しかし新五に、一瞬の逡巡。
与一は新五を蹴った。
「がっ」
「新五!」
新五が突っ伏すのを見て、さすがに景久は動揺する。
その隙に与一は短刀に手を伸ばす。
「何ッ」
運命の皮肉というしかないが、与一は景久にたどりつくまで、岡部弥次郎という敵と遭遇し、その首を
短刀で。
「こ……これは、ぬ、抜けんッ」
その短刀は弥次郎の血と脂で鞘にくっついてしまい、今この瞬間、鞘から抜けなくなっていた。
「お覚悟!」
新五の弟の新六が、与一の背後から襲いかかった。
これあるを期して、景久が一人ではなく二人伏せていたことが、奏功した。
「……佐奈田与一、この長尾新六が討ち取ったり!」
新六が与一の首を取り、それを見た与一の郎党・文三家安は稲毛重成の兵に向かって吶喊し、そして討たれたという。
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