04 伊豆山権現

 頼朝が伊豆山権現の参道を登っていくと、見知った女人にょにんが立っていた。


「遅い」


 政子である。


「……特に約束してないが」


「約束すると、足がつくといったのは、頼朝どのではないか」


「……そうだな」


 宗時に「蛭ヶ小島に行ってはならぬ」と言われたその翌日に、政子は伊豆山権現に参詣に来た。

 そこで、やはり参詣に来ていた頼朝に出会った。

 何で、ということは言わずに、二人は自然に、境内にある適当な石に腰かけた。


「もう、会えないかと思っていた」


「嘘」


 政子は鋭い。

 頼朝は政子が泳ぐへきがあることを知っている。

 その泳ぐ場所が、伊豆山権現のあたりだということも。


「会いたいということで言った」


「そう」


 二人で座って、何となく過ごした。

 その日はそれだけだった。

 明くる日、同じような時間に政子は現れ、頼朝は石に座っていた。


「流人だから、時間だけはある」


 だから、待っていたという。

 一方の政子は、宗時に「暑い暑い」と言って、泳ぎに行くふりをした。

 義時には、ひとにらみしただけだ。


「それは面白い」


 頼朝も、兄の義平ににらまれると、肩をすくめたという。

 人形のような顔をしているくせに、こういう時だけは笑い、おどける。

 政子はそれを見て面白いと思い、もっと見てみたいとも思った。


「また、会おう」


 いつしか、それが別れの挨拶となった。



 大掾だいじょう兼隆かねたかが伊豆に流されてきて、山木郷というところに在所をかまえた。

 以来、彼を──


「山木兼隆」


と称する。

 政子にとっては、あまり関心もなく、「ふうん」と言って、特に近づこうとしなかった。

 そもそも伊豆という国は、摂津源氏・源頼政が知行国主を務める。

 従来からの豪族である北条家ならともかく、京で罪を得て流されてきた平家の傍流が、どうこうできる状況ではなかった。

 ただ、兼隆当人にとってはそうではないらしく、


「おれは、いずれ返り咲く」


 そう言っては誰彼ともなく声をかけ、金銭をせびり、米をねだり、酷い時は女を求めたりした。


「まったく、酷い男です」


 政子の妹は兼隆に声をかけられたらしく、不機嫌であった。

 こういう愚痴を言うときは、決まって政子のところに来る妹で、彼女は政子の歯に衣着せぬ物言いが好きだった。


「……頼朝どのが、六郎どのを通じて、京の三善康信みよしやすのぶどのに聞いたらしいけど」


 どうやら、京でもそういう振る舞いだったらしく、それで父から判官ほうがん検非違使少尉けびいしのじょう)を辞めさせられ、伊豆に流されたらしい。

 頼朝としては、京からの人間は警戒対象なので、それで家人けにん(と政子は思っている)六郎を動かし、情報を集めたのだ。


「……でもそれなら、ねえさまが京の父上に聞いた方が早いでしょうに」


「父上は、そういう話をわたしにはしないでしょう」


 情報を集めることに怠りはないが、そうやって調べていることを人に知られたくない性質たちの父だ。

 兄の宗時には伝えているだろうが、宗時はそれを政子に話したりはすまい。


「あえて言うとしたら、近づくなぐらいでしょうね、兄上は」


「そうそう」


 そう言って妹は政子に目配せした。

 行け、ということらしい。


「でもそのお腹、だいぶ目立ってきましたよ、ねえさま。お気をつけて」


「わかってる。恩に着る」


 そうしてしばらくしてから、宗時が政子の部屋の前やって来たが、妹が「着替えてる。来ないで」と言うと、引き下がった。

 ……妹たちには、甘い兄だった。



 頼朝と政子は、子をしていた。

 いつの間にかできていた、というのが二人の感想だが、とがめるべき父・時政がいないうちに、という心理が働いたことは事実だ。

 そういうわけで、目下の二人の課題は、時政をどう説得するかである。


「頼朝どの、いざとなれば、二人で逃げましょう。いや、そういうことをするぞ、とは言ってもいいと思う」


「逃げるとして、どこへ」


「どこでも。頼朝どのは、どこかは」


「……流人にそんなことを求めるな」


 政子の伝手は、時政の伝手であるため、使えない。

 であれば頼朝だが、それも流人であるため、逃げ込まれたら即、京への──清盛への謀叛である、

 誰が受け入れようか。


「……なら、山木は?」


「冗談言うな」


 それこそ頼朝と政子の弱みを握ったと有頂天になるだろう。

 そして、京へ注進して、復権へのとっかかりとするか、あるいは北条を膝下にするか、そんなところだろう。

 頼朝はそう語り、「やはり素直に御父上に話そう」と言った。


「言うの?」


「ああ、一緒に言おう。政子、以前にそなたは子を殺されるぐらいなら、御父上を殺すと言うたが……それぐらいの覚悟をもって臨もう。逃げるのは、そのあとでいい」


 頼朝は政子の手をぐっと握った。


「伊東祐親の時は、他ならぬ祐親の娘である、八重が言えば折れるだろうと思っていた。甘えていた。だが今度はちがう。ちゃんと、自分で言う。自分で御父上の反応を見る。その上で、どう行動するか考えて、決める」


「……わかりました」


 政子のはらは決まった。

 それにしても、この男頼朝は何でそうまで熱心になるのだろう。

 何か、どこか、もしかしたら、それは政子への気持ちというよりも、おのれ自身の……。


「行こう」


 実はもうすぐ、北条時政は帰って来る。

 時政は怒るだろうし、宗時の兄上も怒るだろう。

 義時は黙って首を振るだけだし、妹はきゃっきゃと喜ぶだろう。

 それでも、話をしよう。

 この人頼朝と共に。


 ……時に、治承元年。

 北条政子は源頼朝に嫁ぐ。

 その選択は、時政や宗時の反対を受けながらも、政子自身の強固な意志と、頼朝の譲らない姿勢により、通った。

 生まれてくる命の存在も大きかったろう。


「……これであとは、京の清盛入道が、頼朝どのを復権させてくれれば良いのだが」


「そううまくはいくまい。現状のまま、でも上々といえよう」


 頼朝はどこまでも冷静だった。

 そして、言わなかったが、清盛が死んだあたりで、その後継ぎが坂東の政情を安定させるために、頼朝をするのではとにらんでいた。


 ところが、事態は急転直下する。


以仁王もちひとおうの、令旨りょうじである」


 後白河法皇の第三皇子。

 その以仁王が平家追討の令旨を、全国の源氏に下したのだ。

 ……当然、頼朝にも。

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