最終章 終わらない黄昏時

終わらない黄昏時①

⚔️


「単刀直入に申し上げましょう」


 その女性は、表情の読めない眼差しで、淡々と言葉を紡いだ。黒いスーツに身を包み、黒の革手袋までしているせいで、生身の部分が首から上しか見えない姿に、暑くないのかなと疑問に思っていたら「通気性は割と良いんです、この服」と、こちらは声に出してもいないのに教えてくれた。


「村瀬叶斗さん。あなたを元の生活に戻すことは、可能です」


 その声は事務的でありながらも朗々としていて、ただとにかく事実のみを告げている。そんな迫力があった。


「それは眞弓も──ってわけじゃ、当然ないですよね」


 僕は黒スーツの女に尋ねた。喜谷一果きたにいちかと女は名乗った。喜谷さんはそれは当然と言うように頷く。


「一度吸血鬼になった人間を、元に戻すすべはありません。そんな方法があれば、も吸血鬼を殺す必要なんてない」


 喜谷さんの言葉は変わらぬ様子で、淡々としている。僕は乾いた口の中を舐めて、鼻からゆっくりと息を吐いた。


 あの倉庫での戦いの後、僕は眞弓に血を与えてすぐに気を失った。次に目覚めたのは、見知らぬ部屋のベッドの上だった。困惑する元気すらないまま僕が起き上がると、身体中に包帯が巻かれているのが分かった。冬夜に潰された左腕は、肩の辺りからすっかりなくなっていた。包帯の下がどうなっているのか知らないが、肩から首筋にかけてズキズキとした痛みだけがあった。その痛みが、あの倉庫での出来事が夢ではなかったことを悠然と語っていた。しばらくそうしていると、部屋の中にヒメちゃんが入って来た。手にはタオルが握られていたが、起き上がった僕を見ると、目を見開いてタオルを床に落とした。そして目に涙を浮かべてベッドまで駆け寄ってきた。


「良かった……! 叶斗さん、起きたんだ!」

「おかげさまで」


 少しだけデジャヴを感じる。そういえば椋島との件があった次の日の朝に、僕が起きたところに居合わせたのもヒメちゃんだったっけ。と言うか、ヒメちゃんがここにいるということは、えっとどういうことだ?


「ねえヒメちゃん、ここ──」

「叶斗さんはじっとしてて、皆のこと呼んで来るから!」


 そう言って、ヒメちゃんはドタバタと忙しない音を立てて部屋の外に出る。


「リコさん! 一果さん! 叶斗さん、起きました!」


 ヒメちゃんが慌てた調子で呼ぶ名前の中に、知らない名前が一人混じっていることに眉を顰めたが、呼ばれた二人はすぐに僕のいる部屋に入ってきた。そこで僕は、ヒメちゃんが呼んだ名前の中に眞弓がいないことに気付いて、どっと肝が冷えたが、その焦燥はヒメちゃんがさっきしたのと同じようにベッドに駆け寄ってきたリコがすぐに解いてくれた。


「叶斗ー、良かったー! 生きてたー! あ、あの雑魚吸血鬼は別の部屋で寝てるから安心して」

「眞弓は、生きてる?」


 リコはうんうんと首を何度も縦に振った。


「大丈夫。生きてる生きてる。そりゃ吸血鬼だからねー。ピンピンってわけにはいかないけど、そうそう殺しても死なないてー」

「そりゃ、そうなんだろうけど……」


 僕はひとまず、ホッと息を吐いた。正直、今すぐにでも眞弓の顔を見たい。けれど、リコが大丈夫と言うなら大丈夫なんだろうと、大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。うん、大丈夫。だが、僕はすぐに背筋を伸ばすことになった。リコの後ろにいた女性の顔が目に入ったからだ。リコよりも身長が少し低く小柄で、小さな顔に大きな眼鏡をしているのが目立った。叔母が親戚の葬式の時に来ていたみたいな真っ黒なスーツをピッシリと着込み、その手には手袋がはめられている。その服装には、何となく覚えがあった。


「あなたは──」

「喜谷一果と申します。以後お見知りおきを」


 喜谷さんは深々と頭を下げた。彼女の丁寧できっちりとした物腰に、やっぱり違うか? なんて考えた。あの人はその……恩人だし頼りにはなったけれど、見た目としては似合わない顎髭に、ともすれば大学生くらいに見える若々しさがあって、彼女とは少し毛色が違ったから。そんな困惑が僕の脳裏に湧いてすぐ、彼女は僕が頭に思い浮かべていた通りの名前を出した。


「魔狩り、真上忠次まかみただつぐは私の先生です」



☀︎


 喜谷さんは自らの名を名乗った後、僕らがどうしてここにいるのか、端的に説明してくれた。喜谷さんの話では、僕は約二週間もの間、昏睡状態にあったそうだ。リコが冬夜を踏み潰した後、僕ら二人を抱えて喜谷さんのもとへと運んだらしい。

 あの倉庫にリコが駆け付けた時に彼女が言っていた、ヒメちゃんのいる安全な場所というのが、喜谷さんのところだった。


「叶斗たちが家を出てからこっちは大変だったんだから」


 リコは椅子に座って脚と腕を組みながら言った。ベッドのそばにヒメちゃんが僕をのぞいた人数分の丸椅子を持ってきてくれていた。


「あいつらに家燃やされたんだろ。どうやって乗り切ったんだ」


 僕が尋ねると、リコは喜谷さんを横目で見た。喜谷さんはリコの視線にすぐに気付き、無言で頷いた。リコは改めて僕に目線を向けて答えた。


「正直、あたしもちょっと油断してた。叶斗が敵を追いかけたのは分かってたから、外からくる嫌ーな臭いも見過ごしちゃって。それで叶斗たちがいなくなってから家の中に押し入ってきた奴らに気付くのが遅れた。あの傀儡グールども」

「グール?」

「吸血鬼の血を与えられて凶暴化した者達です」


 知らない単語に首を傾げた僕に対して、喜谷さんが素早く答えた。

 僕は倉庫でも相手にしていた、目が真っ赤に充血していた男達の姿を思い出す。吸血鬼ほどではないにしろ、普通の人間よりも力が強く、頑強だった。なるほど、あれか。


「とは言え、基本的にはあくまで一時的な強化。ドーピングのようなものに過ぎませんが、多用すれば他の薬物同様、依存性があります。奴──魅神冬夜は、多くの傀儡グールを従えて潜伏していました」


 喜谷さんが、僕の知らないことを丁寧に補足してくれた。


「んで」


 リコはそんな喜谷さんを鬱陶しそうに睨みつけながらも、話を続けた。


「あいつら躊躇なかったねー。入ってくるなり、その辺にガソリンぶち撒けて火を付けて。異変に気付いてあたしが玄関に向かった時にはもう火の海」


 リコは両手を首の後ろで組み、背中を反らせた。



「襲ってくる傀儡グールどもの何人かは蹴り飛ばしたけど、まあこの娘の避難が優先でしょ」


 リコは隣に座っていたヒメちゃんの頬を人差し指で触る。ヒメちゃんは「んっ」と短く声を上げて迷惑そうに唇を噛んだが、リコを跳ね除けたりはしなかった。


「そんでヒメちゃん背負ってあの雑魚への呪いの言葉吐きながらなんとか家から脱出。でも外も傀儡グールどもがいっぱい」


 リコは長く長く溜息をついた。


「流石のあたしも、これヤバいかな? と思ったけど、叶斗との約束があるしね」

「約束……」

「何かあったらあたしとヒメちゃん、二人で逃げてほしい、そう言ってたでしょ」


 あの時は、こんなことになるつもりで言ったわけじゃない。


「そっか……ありがとう」


 僕はリコに向かって深々と頭を下げた。


「ちょっと、あたしと叶斗。それにヒメちゃんとの仲でしょー」


 リコはおどけるように今度は自分の両頬に人差し指を当てた。僕はふっと息を吐く。リコがこんなに信頼できる相手になるとは思ってなかったな。あの時はこんなことになるつもりで言ったわけじゃない。ヒメちゃんの事情も深くは知らない。でも、彼女にはせめて安全でいてほしかった。そう思った時、ヒメちゃんを任せられるのはリコしかいなかった。


「一度そちらに話を移しますが」


 喜谷さんが眼鏡の縁に手を当てて、口を挟んだ。


桜木緋芽さくらぎひめさん、あなたは吸血鬼の騒動に巻き込まれはしたものの、物理的に何かされたわけではない。未成年であることを考慮しても、ご自宅に帰ることをおすすめします。以前、お話しましたね」

「……はい」


 ヒメちゃんは喜谷さんの言葉に小さく頷いた。


「えっと、喜谷さん。それはでも」

「桜木緋芽さんには、村瀬叶斗さんが回復した際、改めて話をすると約束しました」


 喜谷さんは僕の言葉を遮ってヒメちゃんの方を一心に見つめて言った。


「ヒメちゃんは家には帰りたくない、と」

「存じています。ですから、場合によっては我々の伝手で児相、弁護士への相談も行い、桜木緋芽さんを魔と関係ない生活に送り返します」

「えっ」


 僕もヒメちゃんも、喜谷さんの顔を見る。その表情は依然として淡白としている。


「魔の起こした事件、その事後対応も我々の責任ですから」

「あの、我々というのは」


 また僕が言い終わる前に喜谷さんは答えた。


「私や先生のような魔狩り。非公式ではありますが、横の繋がりは固いです。いえ、先生はそうでもありませんでしたか──」


 喜谷さんは、そこで初めて表情を崩した。寂しそうに、それでいて苛ついたように眉を顰める。


「──私、家には帰りたくない」

「結構。仲間に、児童養護施設を営んでいる方などもおります。避難場所はいくらでもある。親が嫌でも、大人を頼りなさい。いえ、利用しなさい」


 あの人の話題に引っ張られたのか、喜谷さんの言い方が事実を述べるだけのものではなく、少し気持ちのこもったものに変わったように感じた。


「叶斗さん」


 ヒメちゃんが困った様子で僕を見た。僕はヒメちゃんを真っ直ぐに見て、首を縦に振った。


「じっくり考えてみたらいいと思う」

「ええ。私もそう推奨します」

「ただ喜谷さん、お願いなんですが」


 僕が喜谷さんに話しかけると、喜谷さんは鋭い眼差しを僕に向けた。その迫力に一瞬だけたじろぐ。椋島や冬夜より目付き鋭いな、この人……。


「もし、ヒメちゃんがあなたたちのお世話になるのだとしても、僕とヒメちゃんは連絡を続けても良いですか」

「そうですね。それもお話せねばいけないでしょう」


 そこで喜谷さんは言ったのだ。


 ──あなたを元の生活に戻すことは可能ですと。



⚔️


「僕が元の生活に戻れても、眞弓が一緒じゃないなら、意味はない」


 僕は自分の胸を押さえつけながら、言った。僕は少し考える。元の生活に戻る。それは今でも魅力的だ。でも、本当に可能か? 眞弓は両親を殺している。僕も椋島と冬夜を殺した。それだけじゃなく、彼らの手下である傀儡グールとやらとも、乱闘している。中には重症を負った者、もしかしたら死んだ者だっているかもしれない……。椋島の死が報道されていたことは知ってる。僕の罪は、法律に則って裁くことはできるかもしれない。けれど眞弓はどうだ。リコに椋島、冬夜たち──逃亡生活の中、多くの魔と遭遇した。人を殺す吸血鬼は、間違いなく世界に存在している。そしてあの人や喜谷さんは、そういう吸血鬼を狩る。吸血鬼が人殺しの罪で裁かれたなんて話、僕は聞いたことがない。喜谷さんやその仲間がどういう人たちなのか、僕は知らない。あの人は自分と同じような存在についてあまり話してはくれなかった。けれど、彼らの使命は魔を狩ることだ。眞弓も、リコも魔だ。きっと喜谷さんたちにとって、魔は法律で裁かれる存在ではなく、自分たちが裁くもの。もしも僕と眞弓を引き離そうとするなら──。

 ──僕はまた、いくらでも逃げてやる。


「そうおっしゃられると思いました」


 場合によっては喜谷さんを傷付けてでも、と覚悟を決めようとしていたものだから、僕は喜谷さんの言葉に少し拍子抜けした。


「私は話が長引くのが嫌いでして」

「えっと、はい……」


 それはなんか、見ていれば分かった。


「村瀬叶斗さん、魔狩りになるつもりはありませんか」

「え」


 それは、僕が思ってもいない言葉だった。


「でも僕は──」

「少し、頭が固いですね」


 喜谷さんはまた僕の言葉に被せて言う。


「あなたがやったのは吸血鬼退治です。人殺しではない」

「……」


 ──それは、そうか。この人にとっては、そうなんだろう。


「でも、僕はあなたたちみたいな」

「我々のような、何ですか?」


 喜谷さんは、少しだけ自嘲気味に鼻で笑った。


「そもそも我々の活動も非合法です。魔の存在は、公に認知されてはいない。……厳密には、政財界にも魔狩りの活動を支援している者もいますが、犯罪行為には相違ありません。ヤクザと同じです」


 僕が口を挟む暇もなく、喜谷さんは言葉を続ける。


「村瀬叶斗さん、あなたが選ぶのは、どちらがマシか。それだけです。このまま支援なく孤独でいるか、法律など踏み倒すの中に入るか」


 喜谷さんの目は本気だった。この人、本気で僕をあの人みたいな魔を狩る者、その世界に引き入れようとしている。喜谷さんはそこで一度言葉を止め、目を瞑って一呼吸した。


「それにあなたは私の弟弟子ですから」

「……え?」


 僕は思わず首を傾げる。リコもヒメちゃんも、喜谷さんの迫力に圧倒されていた。


「あなたは魔狩りとなるべく真上忠次の教えを受け、世にも珍しい使の訓練を受けた。師の教えに従い、村瀬叶斗は吸血鬼を追い、見事狩ったのです。どうですか?」

「どうですかって……」


 ――理屈は通っている、ような気がする。……本当か? 喜谷さんの勢いに気圧されているだけでは……。


「あなたの懸念はもっともです。仲間ではない、野良の魔狩りが相談もなく活動することに難色を示す老害……失敬、ベテランは少なくない」


 ……ちょっと、この人に対する第一印象が崩れてきたな。あの人や魔を狩る者のことになると少し、いやかなり感情が表に出ている。


「ですが、不肖の弟弟子による新米故の猛進、ということであれば納得はいただけるでしょう。……実際、私があの新宿の吸血鬼やリリー・カーネイジ・コールコデットの所在を見つけられなかったことが、あなたたちを苦しめた原因の一つとも言えます」

「ちょっと? その名前で通ってんの、あたし? 嫌なんだけど?」


 話を黙って聞いていたリコが手を挙げて抗議をする。だが、喜谷さんはリコの方を見向きもしなかった。リコは舌打ちをするが、すぐに諦めて手を下ろす。喜谷さんは立ち上がると、すっと深く頭を下げた。


謝罪します。今回のことはすべて、私の責任です。すみませんでした」

「いや、あの……」


 僕は当惑する。まだ全然話を呑み込めていない。疑問も山程ある気がするが、自分でも何が分かっていないのか整理しきれない。

 ――けれど、この人が誠実な人なのだということはよく分かった。


「いえ、こちらこそ勝手に申し訳ありませんでした」


 僕はベッドの縁に座りなおした。そして未だ頭を下げたままの喜谷さんに対して、僕もまた、深々と頭を下げた。


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