魔の残滓①
☀︎
僕は眩しさに目を細めつつ、ゆっくりと上半身を起こした。まだ体がダルい。どうも、体と頭が本調子ではない。この体調の悪さが、疲れからくるものなのか、精神的なものなのか自分でも判別が付かないな、などと考えていると──。
「あ、起きましたか」
僕の耳に、安堵を含んだ声が届いた。急にのことで、僕は一瞬だけ肩を震わせた。目を擦って声のした方を見ると、ヒメちゃんが椅子──書斎にあったやつだ──に座ってこちらを見ていた。
「おはようございます」
「ん、ヒメちゃん?」
「はい。昨夜、寝室に入ったきり出てこなくて。リコさんが何度か起こそうとしたらしいのですが全く起きず」
そこでヒメちゃんが頬を緩めて笑った。
「あの方──眞弓さんがとても心配そうにしていまして。どこか傷がついてないかとか、自分が血を飲みすぎたんじゃないかとブツブツ言いながら一階と二階を行ったり来たりしてて」
「眞弓が?」
そういえば、ラブホでリコに襲われて気を失った時、リコは眞弓がおろおろとして鬱陶しかったみたいな話をしていたのを思い出した。あれはリコのかましだと思っていたけど、ヒメちゃんがそんなことをするとも思えない。僕の見ていないところで、彼女は僕が思っている以上に僕を心配してくれているのか。
そんな様子、眞弓は僕の前では決して見せやないけれど、そうだとするなら正直、悪い気はしない。
「それでヒメちゃんが見ててくれたの?」
僕が尋ねると、ヒメちゃんがコクリと頷いた。
「そっか。ありがとう」
「いえ、お疲れでしたね」
それから暫く、僕もヒメちゃんも黙りこくった。多分僕ら二人とも、昨夜の出来事について直接的に話すのを避けようとしているのだと思った。
「三人はどこで寝たの?」
僕は単純に疑問に思ったことを口にして、静寂を破った。
「三人ともリビングで」
「ごめん」
「謝らないでくださいよ。あ、二人とも起こしてきますね」
ヒメちゃんが思い出したように立ち上がる。
「そういや今何時?」
「もうお昼過ぎです。実は私もお昼前までは寝てました。私が叶斗さんの様子を見に来る前はお二人がこちらにいまして」
「二人とも?」
「はい」
寝ている僕を目の前にして、お互いに口喧嘩をしている二人の様子が頭に浮かんだ。
「大丈夫だったのかな」
「どうなんでしょう。お二人ともその、仲は良くないですよね」
「まあ、色々あって」
リコは僕を襲っているし、眞弓はリコを一度殺しているし。そんなことまでヒメちゃんに言う必要はないと思うけど。
「じゃあ、行きます」
「あ、うん」
ヒメちゃんは少しだけ小走りで部屋を出る。そのまま階段を降りる音が聞こえた。それからバタバタと足音が近付いて来て、勢いよく寝室の扉が開いた。
「叶斗!」
僕の名前を叫びながら真っ先に部屋に飛び込んで来たのはリコだった。僕が手を挙げて意識があることを示すと、リコは大きく息を吐いて、床にへたり込んだ。
「良かったあ。あたしのせいで叶斗死んじゃったかと思った」
「もしそうであればお前も俺が殺していた」
リコから遅れて、眞弓がヒメちゃんと肩を並べて開けっぱなしの寝室の扉の向こうから歩いて来た。リコはそんな眞弓をキッと睨み付ける。
「は? そもそもあんたが血を吸い過ぎたんじゃないの?」
眞弓はその問いには答えずに、リコを睨み返した。眞弓の隣で、どうしたものかとヒメちゃんが目を泳がせている。
「えっと。大丈夫。大丈夫だから」
僕も彼女たちのやり取りを見ていて背筋の冷える思いだったので、慌ててベッドから脚を下ろして、立ちあがろうとする。だが、その瞬間に眞弓とリコは僕の方を睨んだ。
「まだ起きちゃダメ!」
「まだ寝ていろ馬鹿者!」
二人ともほぼ同時に僕を怒鳴る。僕は二人に気押されて、無言のままベッドの上に体を戻した。
そんな僕を見て眞弓は深く頷いて、ツカツカとベッドの前まで歩いて来た。
「先程、小娘が粥を作った。持ってくるからここで食え」
「一人で食べるのが無理なら、あたし食べさせてあげるー」
リコがニコニコとした様子で手を高く上げて、口を大きく開けた。
「あン?」
眞弓が眉間に皺を寄せてリコを睨む。リコも眞弓を睨み、眞弓を馬鹿にするように舌をベッと出した。やっぱり夜中もこの二人、こんな調子だったんだろうな。
眞弓はリコから顔を背けると、大きく溜息を吐き、僕の目をじっと見つめてきた。その表情は怒っているようにも、今にも泣き出しそうにも見えた。
「貴様が飯を食って力を付けねば、俺もこの夢魔も満足に食事が取れんだろうが」
「そうだね」
眞弓の言う通りだ。二人の為にも、僕はこんな風に寝て過ごしてばかりもいられない。休息はしっかりと取って、すぐにでも回復しないといけない。そう思うだけで、少しだけ元気が出てくるような気がした。
結局、一階からヒメちゃんがお粥を持って来てくれて、リコとヒメちゃんが寝室に残って、眞弓が一階に戻った。ヒメちゃんはお粥を熱々にして持ってきてくれていて、お粥を息で冷ましたながら飲み込むと体全体がポカポカと温められる心地で、それでまた気持ちが少し落ち着く。僕が食事を終えると、ヒメちゃんが食器を片しに一階に戻り、代わりに眞弓が息を切らした様子で寝室に入って来た。額には細かい汗が浮かんでいる。
「眞弓……」
そう言えば、あの人から貰ったペンダントはどこに置いただろうと辺りを見渡すが、見当たらない。
「何を探している」
眞弓は自身の額を手で拭い、髪をかき上げて、何でもない風に言った。
「いや、ペンダントが」
「あ、あれならお風呂場にあったよ」
僕の問いにリコが答えた。なくしたわけではかったようで、ホッとする。眞弓は荒い息遣いを隠しているつもりなのか、唇をぎゅっと噛みながらベッドにいる僕の隣に座った。
「それで、どうだ調子は?」
僕は眞弓に尋ねられるのとほぼ同時に布団を押し除けて、眞弓の隣に座った。それから首筋を眞弓に向ける。
「良いよ」
僕の言葉に、眞弓がまたあの複雑な表情を浮かべる。眞弓はすぐに大きく息を吐いて、ブルブルと腕を震わせながら、僕の両肩に手を置いた。
「ふん。殊勝な心掛けだ」
そう応える声音も少し震えていることに、眞弓は気付いていただろうか。おそらく、吸血消毒に苛まれながらも、ずっと我慢していたのだろう。そのことを指摘しても、眞弓は何も言わないに違いない。
「待った」
眞弓が僕の膝の上に乗ろうとしたところで、リコが僕の膝の間に座り込んだ。
「あたしも。結局昨日もご飯食べてないし」
「好きにしろ」
何故か眞弓の方が僕よりも早く答えた。
「しっつれい」
リコが僕のズボンに手をかける。僕は少しだけベッドから腰を浮かせる。リコがズボンをずり下ろして、僕の下半身が露わになる。眞弓はゆっくりと僕の後ろに移動して、背中から僕の脇の下に腕を潜り込ませて、僕の首に歯を立てる。すぅっと意識が持っていかれるような心地がしたかと思うと、僕の意識とは関係なく性器が屹立した。リコがマイクでも握るように、僕の性器をギュッと握っている。改めて、リコのこのサキュバスとしての力はかなり暴力的だと感じ入る。
血と涎が僕の胸元に流れる。気付けばリコも既に食事を始めていて、痛みも痺れも感じることなく、僕は絶頂を迎えさせられて、それとほぼ同時に、眞弓もぷはぁと僕の首から口を離した。
🦇
その日、僕はトイレに行くのと風呂の時以外はずっとベッドで横になっていた。その間、眞弓とリコ、ヒメちゃんとが交代で僕の様子を見に来て、夕飯もヒメちゃんはお粥を持ってきてくれ、食事が終わると昼と同じようにヒメちゃんが食器を片しに行ってから、眞弓とリコの二人で同時に、僕の血と精を搾り取った。僕もだいぶ元気が出て来たと話し、夜は四人とも寝室で寝た。僕がベッドで、ヒメちゃんとリコが同じ布団に入り、眞弓が一人で一つの布団を使った。全員一緒の部屋にいる安心感のせいか、僕の寝入りは早かった。就寝の挨拶を口にして電気を消して目を瞑ると、一日中ベッドに横になっていたにも関わらず、すっと眠りに入った。けれど、まだ朝日も昇らない夜中に僕は起きた。
夢を見たからだった。僕はベッドから降りると、一階のトイレまで駆け込んだ。用を足しにいったわけではない。僕は便座を掴んで、胃の内容物を吐き出した。そうは言っても、ヒメちゃんの作ってくれたお粥はしっかり消化されていたようで、胃液だけがボタボタと便器の中に落ちた。
「くそっ」
僕は小さな声で悪態をつく。夢の中に出て来たのは、椋島だった。ザクザクとナイフで椋島の胸を突き刺し続ける夢。実際には鉄杭で奴の心臓を刺したのに、ナイフはどこから来たのか。現実とは違うのは分かっているのに、何故だが胸を突き刺すその感触と、椋島の体から流れ出るどろりとした血の手触りだけは妙に生々しく、僕は夢の中で椋島の顔に嘔吐した。そこで目が覚めて、実際に吐き気が胸元まで急に襲いかかってきたから、僕は慌ててトイレに駆け込んだのだった。
「あー、畜生」
この夢はきっと、今日だけじゃ終わらないんだろうな。僕はげえげえと酸っぱい匂いの胃液を吐き出しながら、そんな風に寝起きでぼんやりとした頭で考えていた。
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