22
遠いミマンナの地で
オシフル帝とは昼間謁見したばかり、そしていつものようにイナノのもとで夜を過ごしていた。報せがあった時刻は真夜中だったがこんな事態だ、真夜中の呼び出しも不思議に思わなかった。
トヨラ宮に向かうため装束を整えるトヨミにイナノが言った。
「
「どう言う意味だ?」
「クルメの死はわたしも悲しい。でも、
謎めいたイナノの言葉に、やっと不自然さに気付かされる。いくら知っているとはいえ、タチバナ宮ではなくイナノの住まう宮に報せが来たのは異例のことだ。使者はオシフル帝からのものだった。通常ならばタチバナ宮に報せが行き、タチバナ宮の誰かがイナノの宮に報せてくるものだ。そもそもどんなことでも大抵は夜明けを待つ。しかし、細かいことを考えている余裕はその時のトヨミにはなかった。まずトヨラ宮に行き、詳細を確かめたかった。
トヨラ宮につくとすぐ部屋に通される。するとソガシが先に来てオシフル帝と一緒に居た。トヨミが来るまで、何か相談していたようだ。いやな予感、だが今さら退室できない。
トヨミが座するとオシフル帝が言った。
「クルメが死んだそうだ――なぁ、ソガシ?」
「詳細はこれからですが、亡くなったのは確かなようです」
オシフル帝もソガシからクルメの死を知らされた? ミマンナからの使者が、帝より先にソガシのところに行った ……いやな予感がますます強まり、トヨミの
「なのでトヨミ、クルメの代わりの者を早急にミマンナに赴任させよ」
グッとトヨミが掌を握り締める。クルメはオシフル帝の甥、その死に接してまずはその心配からか? しかもこんな時刻に呼び出してまで。
「ニイラ討伐をなし得る前に世を去るなど、クルメはさぞかし恥じていような。トヨミ、兄のおまえが雪辱を果たしてはどうだ?――なぁ、ソガシ?」
オシフル帝と向き合っていたソガシが一礼してからトヨミに向き直った。
「
逃げられるものではない――トヨミはギュッと目を閉じた。
クルメの後任を異母弟トウマとし、即刻トヨミは勅を出した。トウマは
属国としていたミマンナがニイラに征服された際、ミマンナに置いていたヤマテ国府救済のため征討軍が組織された。その指揮官の称号が征ニイラ大将軍だ。
ニイラ征討軍が初めて組織された時の将軍はマリセイ、ソガシの弟だった。この時の兵力は一万余、ニイラに侵攻したマリセイは緒戦に勝利し、ニイラを降伏させヤマテ国への服従を誓わせた。
ところがヤマテ軍が撤退するとニイラは約定に反し、再びミマンナに攻め入り滅亡させた。これに対抗するためオシフル帝は新たに二万五千の兵を集めた。大軍勢だ。豪族に与えられない。信頼できる皇子を任命したいと考えた。そこで摂政トヨミに、弟皇子の誰かを任命するよう命じた。トヨミが選んだのはクルメだった。この時点でクルメの異母兄であるトウマにしなかったのはクルメを重用していたのもあるし、トウマには荷が重すぎると考えたからだ。トウマは皇子としての自覚に欠けるとトヨミは見ていた。しかしクルメと違って他の弟たちはトウマよりもグッと年若、選べばトウマの顔を潰す。
トウマは都の西方ナンナミから海路でチクシに向かい、そこから大陸にあるミマンナに渡ることになった。大陸ではクルメが率いた二万五千の軍勢がトウマを待っている。
しかし、アカルイシ海峡を越えたあたりで同行させていた妻が病死してしまった。そこで妻の喪に服するためトウマは都に帰ってきてしまう。妻は
クルメの崩御は病気によるものとされた。が、それがどんな病気だったのか、詳細は不明だった。
「ヒリはどうしているのでしょうか?」
心配するホキに、言い辛そうにトヨミが答えた。
「征ニイラ大将軍となるさい、クルメが賜ったチクシはそのままヒリに継承されることになった。すでに宮もある。民の多くはクルメを慕い、そのままヒリに仕えてくれるそうだ」
「それは……ヒリは帰って来ないと? 一人で遠い地にこのまま居続けると?」
「一人ではない。
本当にクルメは病死なのか? トヨミはソガシによる暗殺を疑っていた。そう考えれば、オシフル帝より先にソガシがクルメの死を知ったことに説明がつく。差し向けた暗殺者が成功を知らせてきたのだ。が、そうなると、オシフル帝もクルメ暗殺を容認していたことになる。オシフル帝が
疑いたくない。だけど疑心が晴れることもない。ヒリがチクシに残るよう手配したのはトヨミだ。クルメの妃と子を守る目的があった。自分ではなく、クルメがなにかオシフル帝とソガシに恨まれることを仕出かしていた可能性を考えたのだ。遠くに置けば、何も妻子まで殺害しようと思わないのではないか?
クルメの死にわだかまりはあるものの帝に仕えるのが己の役目、トヨミが摂政の仕事をおろそかにすることはなかった。もし帝の不興を買っているのなら仕事に励むことこそが、その不興を払拭できる唯一の手段だと信じていた。だがこれこそがオシフル帝、そしてソガシの気に染まなかったのだと知ることになる。
クルメが没したミマンナの向こうにはニイラ、そしてその後ろは大国スイだ。
スイ国はヤマテ国に親和を示し、その礼と称してヤマテ国は献上品を届けている。当然のごとくヤマテ国はニイラ征討に際し、ニイラ後方より攻め入ることをスイ国に要請した。だが、期待に反し無視された。これもニイラ征討失敗の一因とオシフル帝は考えた。
「なぁトヨミ、そうは思わぬか?」
オシフル帝の真意は嫣然とした笑みの裏側、オシフルを叔母と慕うトヨミに読み取れるはずはなかった。
「献上品など届けるから下に見られたのかもしれない――トヨミ、ヤマテとスイは対等だと主張して、スイに認めさせよ」
だからと言って使者を手ぶらで行かせるわけにもいかない。献上品を見ればスイの帝も気を良くするだろう。トヨミのこの意見は取り上げられた。さらにオシフル帝はトヨミに
「皇子が相手ではスイの帝も信用しがたいかもしれない。
トヨミに
しかし、どう対等を認めさせればいいのだろう? そもそも大国スイとヤマテ国では国力に大きな隔たりがある。だが、オシフルに逆らうこともできない。遣スイ使を送ることを決め、イモシを大使に任命した。イモシ抜擢はオシフル帝の推挙による。イモシはオシフル帝の夫帝が別の妃に産ませた皇子の息子に当たる。すでに臣籍を賜っていた。
問題はイモシに託す書簡……文面に頭を悩ませた末、トヨミはヤマテもスイも同じ太陽が照らしているとの意味を込め、こう書いた。
『
さらにスイ国の進んだ文化を学びたいと
スイ帝はイモシが持参した献上品を大いに喜んだ。トヨミからの書簡を読みと、これに返書を用意しイモシに渡した。もちろん、トヨミの狙いがヤマテ国を対等な国とスイ国に認めさせることに気が付いていた。
スイ帝は側近に『思い上がりも甚だしい』と怒りを口にしている。が、遠く離れた島国に何ができるとタカをくくり、ここは大国の懐の深さを見せつけて己の思い上がりを自覚させることにした。そこで返書とともに自国の国司をイモシに随行させ、ヤマテ国に行かせると決めた。
遣スイ使イモシがスイ国使節団とともに帰国する――これは大成功を示している。トヨミのニイラ征討の失敗を大きく取り返せるほどの功績となるはずだった。
あろうことか遣スイ大使イモシがスイ帝から預かった返書を紛失してしまう。これを聞かされたトヨミは足元が崩れるのを感じていた。聞かされたのはトヨラ宮、オシフル帝からだった。
「困ったことになったものよ」
いつもの嫣然とした笑み、どうしてこんな時に笑っていられるのだろう? トヨミは呆然と叔母の顔を見詰めた。
「国書を紛失したとなったなら、イモシは死罪を免れない」
ソガシが苦虫を嚙み潰したような顔で言う。
「いや、それはあまりな事かと……」
死罪だけは許してやって欲しいと言うトヨミに、オシフル帝とソガシが声を揃えて迫る。
「では誰に責任を問えと言う?」
この時、トヨミは確信した。オシフル帝もソガシも
気付くのが遅すぎた。トヨミがギュッと目を閉じる――
摂政の解任と次の帝位を辞すことで責任を果たしたいと言うトヨミの申し出を、表面上は他の手はないのかと言いながらオシフル帝とソガシは許諾した。
その夜、いつもと変わらずトヨミは妃イナノのもとを訪れている。
「もう、都に来る必要が無くなった――タチバナ宮を譲りたい。守ってくれるか?」
そう言い出したトヨミにイナノは静かに言った。
「だから
きっとイモシが国書を紛失したなど嘘だ。イモシはオシフル帝が推挙したからこそトヨミが大使に任命した。オシフルの密命を受けていても
「しかし……なぜ
「それが
「目障り?」
「トヨミの働きはどれもみなを納得させ満足させるものだった。
少し黙ってからトヨミが言った。
「オシフル帝は次の帝に
頷くイナノにトヨミが苦笑する。
「
目頭が熱くなるのを感じていた。
「ソガシにしてもそうだ。娘を
「ソガシは息子エミゾを案じての事かと。トヨミがいてはエミゾの邪魔になると考えたのだと思います。それに……」
「それに?」
「エミゾは
「なんでイナノを憎む?」
「
「馬鹿な……」
これにはトヨミが失笑する。
「えぇ、もちろん
「まさか襲ってきたのか?」
トヨミが顔色を変えた。それにイナノが微笑む。
「そうなる前にトヨミにと……
タチバナ宮をイナノに譲り、トヨミは政治から手を引いた。妃イナノ・トウジのもとには通うときはタチバナ宮に入り、トウジの屋敷にはタチバナ宮から出向くことにした。だが頻度は減っている。
ほとんどの時間を過ごすのはマダラ宮、ホキのもとだ。
「どうだ、少しは上達したか?」
出来上がった仏像を見せてホキに問う。トヨミは、以前から趣味としていた造像を楽しむようになった――
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