25
症状は
「誰も部屋に近付かせるな――ホキ、
熱に
ホキまで病に罹ると心配するトヨミにホキが笑う。
「トヨミの病はイヤだけど、約束を果たせるのは嬉しいの――トヨミが病の時は看病するって約束したのを覚えてる? 甘やかしてあげるとも言ったわ」
「
「それって
「まだ何がいいか思いつかない?」
「そうねぇ、フシヤマは見に連れて行って貰ったし」
「クロコマが連れて行ってくれたんだ。何か、
「トヨミは時どき子どもみたいなことを言うよね」
ホキがウフフと笑う。
「トヨミと居られてずっと幸せだった。だから何も思いつかないのかも」
「何か一つくらいあるだろう?」
「美味しい物をたくさん食べさせて貰った。いろんなところに連れて行ってくれた。これ以上、何を願えばいいの?――あ、でも、いつか行ったミチゴの湧き湯、あそこのツバキがまた見たいわ」
「あぁ、あれは見事なものだった。判った、連れて行く。クロコマに頼もう。で、
「トヨミを誤魔化すのは難しいわね」
「
「トヨミはしょっちゅう誤魔化していたでしょう?」
「そうだったか?」
「都から
「少しは妬いてくれたほうが嬉しいぞ」
「じゃあ、新しい妃ができたら妬くわ――だから早く元気になって、新しい妃を迎えて」
「ホキを妬かせるためだなんて、妃になる
今はホキのお陰で気が紛れて笑っているが、もう助からない……約束できるものならば約束したい。だがきっと、その約束は果たせない。そうと判っていて期待させていいのか?
ホキがトヨミを見て呟くように言った。
「そうだわ、思いついた。トヨミじゃなきゃダメなこと――来年の春、カシワデに連れてって。あのツバキをトヨミと一緒にまた眺めたい」
二人が出会ったころ、トヨミが通うために用意された部屋はツバキ咲く庭に面していた。初めてその部屋を訪れた日、庭を行ったトヨミはツバキを眺めながら、屋敷内を回ったホキが来るのを待っていた。
あの時、ツバキを見ながらトヨミが思っていたのはカタコのことだった。カタコが好きだったツバキがここにもある……ツバキを見ればカタコを思い出していた。それがいつの間にかカタコを思い出すこともなくなった。カタコがいたことも、愛しいと感じていたことも忘れていた。ホキだけが全てになった。
死を間近に感じる今、ツバキが見たいとホキが言う。どうしてなのか、愛する女との別れ際にはツバキが付きまとう。ツバキは初恋の女を連れ去った。今度は己が行く番だ。
「トヨミ?」
黙ってしまったトヨミをホキが呼ぶ。うっすらと笑んでトヨミが言った。
「
「そんな話は聞きたくない」
「ちゃんと聞け――
微笑むトヨミに何も言えないホキだった。
その頃、ソガシの屋敷ではトウジが
「トヨミの病、どうにかならないのか?」
「無茶を言うな。殺すための毒草だ。助けられっこない」
エミゾが舌打ちをする。
「さっさと教えてやればよかったんだ。庭に毒草を植えたってね。保身を考えて言えなかったんだろう?
悔しいがエミゾの言うことももっともだ。トウジが唇を噛み締める。そして、ふと思いつく。
「原因が毒草なら、流行り病ではないって事?」
「それがどうかしたか?」
「それをトヨミに教えられない?」
「それには毒草だと教えるしかないぞ?」
愚かなことをとエミゾが笑う。
「なにしろどうにかならない? 流行り病だからと誰も部屋に近寄らせない。
「あぁ、聞いた。ホキが付きっ切りで世話をしてるってね」
「なんで
「そんなこと、
エミゾが呆れて苦笑する。
「そんなに恋しいなら会いに行ったほうがいいぞ――ヘタすれば今夜、持って明日」
「そんな……」
全身から力が抜けたトウジ、目が虚ろだ。自分が悪いわけじゃないと思いながら、そんな姉が哀れに思えてエミゾが言った。
「なんだったら、馬で連れてってやろうか?」
意味が判っているのかも怪しいが、焦点の定まらない眼差しのままトウジがコクリと頷いた――
ナカツ宮の周囲には周辺に住む民人たちが集まって祈りを捧げていた。
「マダラ宮では
馬に揺られながらエミゾがトウジの耳元で囁いた。
「どうせならヤマセに会って行くか?」
それに答えるトウジの声は聞こえない。
ナカツ宮では一堂に集まって祈祷しているのだろう、門には誰もいなかった。屋敷の入り口前でトウジを馬から降ろした。
「ここから先は
弟の心配に答えることなくトウジは屋敷に入っていった。菓子の礼をするために
夜の闇の中、目指す部屋へと廊を行く。遠く祈祷の声は聞こえるのに、なぜだろう? 自分の足音は聞こえない。
目指す部屋の前で中の様子を窺った。声をかけるかどうか迷い、戸を細く開けて中を覗いてみる。静かだ。でも寝息が聞こえる。戸を広く開けると、床が二枚、並べて延べられていた。
「トヨミ……」
トウジの呟きに手前の
これがホキ?……トウジの心が激しく揺れる。
たかが豪族の娘、まして特別美しいわけでもない。それなのにトヨミはこの女を誰よりも愛している。
マダラ宮に住まわせただけでも充分許せないのに、ナカツ宮にも一緒に移った。流行り病だからと
ホキが首を傾げてトウジに言った。
「誰です? ここは病人の部屋、近づいてはいけません」
「夫を訪ねてはいけないと?」
「トウジさま? そんな……今すぐ部屋を出てください。トウジさままで倒れてはトヨミが悲しみます」
トヨミが悲しむ? そんなことがあるものか――
「流行り病などではない」
トウジが静かに告げた。
「
床に座って見上げるホキにトウジが詰め寄る。膝をつき、両手をホキの肩に伸ばして揺さぶった。
「
身分の違いはホキも充分承知している。謝るしかないと思った。
「お許しください。
「なんだと!?」
ホキの言葉はますますトウジの怒りを買った。
「トヨミを許せ、だと? トヨミは、トヨミは……」
トヨミは
ホキは抵抗せず、じっと苦痛に耐えている。もう少し、もう少しでホキはこの世から居なくなる。それだけを考えて、トウジがさらに力を込めた。が――
「……トウジ」
微かに聞こえた声に、パッとホキから手を放した。ホキの力の抜けた身体が
「トウジ、すまない……許してくれ」
「トヨミ!」
「こんなことになったのは
消えそうな声……トヨミは横たわったまま、もう自分では身体を動かすこともできないのだろう。それでも必死に訴えている。
「
トヨミまでも!? ホキがトヨミを許せと言ったと同じように、トヨミはホキを許せと言う。二人の間には誰も割り込めないと、まるで見せつけるかのように……そしてトウジが現実に引き戻される。
「早く去れ。そろそろ
「えっ……」
そうだ、エミゾが言っていた。トヨミに何かあれば疑われる。病でもないホキに何かあれば疑いどころでは済まない。
「早く行け。ここに来たことは誰にも言うな」
トヨミはホキを殺めようとした
何も言えずにトウジが部屋を出ていく。トヨミが大きく息を吐く。そして最愛の妻を呼ぶ。
「ホキ……」
だが答える声はない。
這ってトヨミが僅かずつだがホキに近寄る。ハクセが来ると言ったのは嘘だ。来るのは日の出を見てからだ。
「ホキ?」
やっとのことでホキの身体に触れた。そして溜息を吐いてから、もっとホキに近付こうと
どうにか寄り添ったトヨミが身体を抱くように腕を回し、ホキの耳元で囁いた。
「
ナカツ宮・マダラ宮の内で外で、あるいは思いつくままの場所で、多くの者がトヨミの回復を願い祈り続ける。それはその夜、途絶えることがなかった。そして空が白み始めたころ、ハクセがトヨミの部屋へ行くため祈りの場から離れた。
トヨミの部屋では、
「
ハクセを見ることなく、トヨミが静かに言った。
「ホキは世を去った。
「はぁ!?」
驚いたハクセが思わず駈け寄りホキを覗き込む。落命して時が経っていると一目で判った。
「なぜこんなことに……」
力なく呟くハクセにトヨミが答える。
「
「
「
「そんな気の弱いことを」
「現実に目を向けなくてはな。
「
涙を
「遺言を追加する――ナカツ宮は焼き払え。
庭に毒草が植えられているとは言わなかった。
トウジが部屋に入ったことは気付いていた。声も聞こえていた。だが、すぐには目が開けられず、当然のごとく身体も動かせなかった。もし動かせていたならば、トウジを止められたのにと悔やむ。
トウジはホキを死なせたのは自分だと、己を責めるだろうか? ホキは病死だったとハクセに言えば、ハクセは疑うことなくそれを公に広めるだろう。せめてもう、トウジを苦しめたくはない。
「それと、一つ願いを聞いてくれないか?」
胸の中に抱いたホキの顔を見ながらトヨミが言った。
「マダラ宮に行ってツバキの枝を取ってきて欲しい」
「ツバキはもう花が終わって――」
「花は要らない」
「判りました。今、すぐに。ほかには?」
「そうだな……
ナカツ宮を出て、ハクセがマダラ宮に向かう。
つい
(ユキマル?)
ユキマルはハシヒが
それでも気になって白い犬を目で追うと、厩に向かっている。そして姿が消えた。中に入ったのだろうかと厩を覗いてみる。いるはずのクロコマの姿がない。そしてどこか遠くで
いやな予感にハクセが走る。息せき切ってトヨミの部屋に駆け込んだ。
「
ハクセの手からツバキの枝が落ちる。それを気にせずトヨミに近付くと、しゃがみ込んでトヨミを覗き込んだ。床に座ってホキを抱いたままなのに、トヨミは既に息をしていない。
やはりあの白い犬はユキマルだったとハクセが思う。
人を呼びに行こうとして立ち上がり、ハッとする。ツバキの枝に蕾はなかったはずだ。それなのに、床に落ちたツバキの枝には
夜通し祈祷していたイナノが庭に出たのは夜明け直後、トヨミに呼ばれたような気がした。もちろんいるはずもない。言い表せない不安を感じつつ、部屋に戻ろうとしたイナノの頬に雪が降る。今は春なのに? 不思議さに空を見上げると、遥か
「トヨミ? ホキ?」
見間違いかと目を
部屋に戻り、ともに祈祷していた
「そうか、トヨミは世を去ったか」
と呟いた。
「そんな、まさか?」
「
欲が深ければ、どうだったのか? それをオシフル帝が口にすることはなかった。
泣きじゃくるイナノをオシフル帝が慰める。
「トヨミは極楽に行った。あちらからはこちらが見えるそうだ。あまり泣くとトヨミが悲しむぞ」
はっとイナノがオシフル帝を見る。
「
こちらから見えないのなら、せめて絵にしたい――イナノの望みは許され、数年かけて極楽でのトヨミの様子を描いた『極楽
遺言通り、すでにハシヒが埋葬されていたイソナガの陵にトヨミとホキも埋葬された。そして遺言通り、トヨミを継いでヤマセが家長となる。ハクセはヤマセに仕え、共にマダラ宮を支えていった。
トヨミが、そしてハシヒが案じた若木、吹き荒れる嵐から守りたかったヤマセとハクセたちは……二人の死からおよそ二十年後、その子も含め惨殺されることになる。
首謀者はエミゾの息子イリカだった。ヤマセ殺害をイリカから聞いたエミゾは激怒したと記録にあるが、その怒りの原因は不明である。
そしてトウジ……エミゾに連れられてナカツ宮に行ったあと、エミゾとともに都に帰っている。が、そののちの暮らしぶりは判っていない。
彼の心は誰のもの? =愛した人は雲の上、ついて行きますどこまでも!= 寄賀あける @akeru_yoga
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