足利義政のプレミア松茸

　長享二年（1488）九月、山荘造営にはげむ義政の足元は大きく揺らいでいた。

　山城国一揆以降、頻発していた一揆が収まる気配を見せなかったのだ。

　暴徒と化していたのは、徳政令（借金帳消し令）を求める人々だけでなく、貧困にあえぐ人々、流民（るみん）や浪人も含まれていた。その裏では、悪党と呼ばれる戦闘のプロ集団の先導があったという。

　そして、彼らの標的は当初、金融業を営む土倉、酒屋、寺院だったが、幕府にも矛先が向けられ始めていた。

　この危機に対し、将軍と幕府だけで鎮静を図るのは、もはや困難だった。

　義政も主体的に乗り出すと共に、鎮静のための資金捻出を余儀なくされたのである。

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　御所のすぐ北にある相国寺（しょうこくじ）でのこと。

　同月、立阿弥（りゅうあみ）は義政の使者として寺を訪ねた。亀泉集証（きせんしゅうしょう）という名の僧に面会するためである。

　相国寺の中には、幕府の重要な記録を保管したり、明との外交文書作成に携わる組織がある。亀泉集証はその責任者であると共に、義政と複数の禅院との間を取り持つ役も担っていた。

「よくぞ参られました。道中、難儀なされたでしょう」　

　応対した彼は、茶を差し出して立阿弥をねぎらう。

　東山山荘から相国寺までは、徒歩で一時間半もあれば余裕でたどり着ける。

　だが、この時分は大路のあちこちに一揆勢が出没し、往来する人々を監視していた。そのため、麗しい法衣をまとい、人目に付きやすかった立阿弥は、尋問、場合によっては捕縛される危険があったのだ。

　しかし、彼は持参してきた竹籠を差し出すと、笑みを浮かべて首を振る。

「ご心配には及びませぬ。これのおかげで道中無事に済みました。どうぞお納めくださりませ」

「おお、太くて真っすぐな上物ばかり。当院の僧たちも喜びましょう」

「はい。加えて、大御所様からの伝言がございます」

「本題はそれでございますな。うかがいましょう」

　立阿弥が差し出したのは、松茸が二十八本入った竹籠だった。

　寺々と連絡を取りたい場合、したためた書状を持たせて、使者を遣わすのが通例である。

　ただ、書状は一揆勢に見つかり、取り上げられてしまう恐れがある。

　そこで、義政は松茸の贈答と見せかけて、使者を遣わしていた。

　一揆勢が幕府に不満を持っているとはいえ、大御所の供物や贈答品を強奪するほどの蛮行は、さすがに働かない。

　加えて、松茸は覆（おお）われた布の下からでも、かぐわしくて強烈な匂いを放つため、見つかっても疑われる心配がないのだ。

　ただ、笑みを零していた亀泉集証の顔は、話を聞くにつれて少しずつ曇ってゆく。

「なるほど、実相院（左京区岩倉にある天台宗系の寺院）への御成を望んでおられることは、よく分かりました。しかし、合間に裏山に登ってみたいというのは、如何（いかが）なものにございましょう？」

「何か不都合がございますか？」

「大御所様は、近ごろ御加減が優れぬとうかがっております。登山中に転倒したり、体調が急変すれば一大事。受け入れる実相院としては、躊躇せざるを得ますまい」

「確かに大御所様は病に悩まされておられます。ただ、登山の目的は、気晴らしと裏山での松茸狩りにござる。滞在は僅かであり、側近たちも同行して見張りますので、ご安心くだされ」

　

　立阿弥は、落ち着いた声色ではっきりと返答する。

　その腹の据わった物言いに、亀泉集証は首を縦に振るしかなかった。

　立阿弥は義政の父義教（よしのり）の頃から仕え、長年交渉役を務めてきた。加えて、義政のそばで現状を見知っているのだから、疑う余地が無かったのだ。　

　ところが──

※　※　※　

「恐れながら、これほどの数とは聞いておりませぬ！」

　迎えた御成当日のこと。

　義政の行列を出迎えた実相院の住職は、早々に義政へ食って掛かっていた。

　通例の御成ならば、義政側近と警固の武士たちで充分である。

　しかし、さらに裾（すそ）の短い小袖姿の武士十数人が、金魚の糞の様に後から付いてきていたのだ。

　対して、義政は輿から降りて伸びをすると、何食わぬ顔で住職と向き合う。

「案ずるな。予定どおり一服した後、裏山へと登る。これらの者は山へ同行させるために連れて来たのだ。寺の中に入れるつもりはない」

「しかし、籠を持った方が複数おられますぞ。まさか、裏山の松茸をすべて獲るつもりにございますか⁉」

「そうだ。実相院の裏山は松茸がよく獲れると聞いた。すべて獲ってもいずれ生えて来るだろうから、何の問題もあるまい」

　前回記したとおり、当時の京は松茸がよく獲れた。

　しかも、今回は義政みずから山に登って獲るため、当然プレミアが付く。

　彼の狙いは、金を掛けずにプレミア付き松茸を大量に入手し、それを贈答品として寺々に送り付けること。

　そして、寺々からの返礼品を金銭に替え、一揆鎮静の費用に充てることだったのだ。

　ただ、住職はなお義政の前から引き下がろうとしない。

　彼は咄嗟に思い出したのだ。器のふたを開けた途端、汁を吸い込んでふわっと漂う芳（かぐわ）しい香りを。

「お待ち下さりませ、松茸は当院の僧たちにとっても、何よりの楽しみでございます。なにとぞご容赦を──」

「よし、そなた達は先に山へ向かえ！　裏山中をくまなく探して獲ってくるのだ！」

　義政の指示を受け、小袖姿の家臣達は、ぞろぞろと裏山へ歩を進めてゆく。

　さらに、義政自身も休息を終えると、側近達の助けを借りながら後を追っていった。

　実相院の住職と僧たちは、彼の背をただ見送るしか出来なかった。

　実は、この時の義政は中風（脳卒中の後遺症のこと　麻痺や半身不随、言語障害など）に悩まされており、体が満足に動かせない中で御成を強行していた。

　何としても松茸を手に入れ、鎮静化のため費用を捻出する。山荘造営も成し遂げてみせる。

　意思をみなぎらせ、懸命に歩を進める彼を目の当たりにして、止めようとする者は誰一人いなかったのだ。

　結果、家臣や僧たちを多数動員して獲った松茸は、実に三百本に及んだと言う。

　義政はそれらをただちに相国寺へと送らせ、亀泉集証を通じて、各地の寺々に贈りつけたのだった。

　

※　※　※　

「ほれ見よ、立阿弥！　わしの思ったとおりになったであろう！」

　数日後、義政は呼び付けた立阿弥の前で、喜びの声を上げていた。

　松茸を使った錬金術は見事に当たり、相国寺には返礼品が殺到していた。亀泉集証はその手続きに追われていると、報せがあったのだ。

　

　ちなみに、当時の松茸の相場は一本当たり約四百円～六百円ほどで、今と比べると恐ろしく安い。

　三百本獲れたとしても、約十二万～十八万円ほど。義政のプレミアが付いたとしても、一機鎮静の軍事費には到底足りないが、急ごしらえで揃えたことを鑑みれば、上出来であろう。

　

　ただ、問題だったのは、その場でしばらく続いた義政の独演会であった。

　最初は愛想よくして聞いてはいたものの、自画自賛を繰り返す彼に、立阿弥の笑みは次第に強張ってゆく。

「確かにお見事でございました。されど、松茸狩りは今回限りにして下さいませ。突然の激しい運動はお体に障ります」

「ああ？　たわけたことを申すな。こんな簡単で美味しい手口を、みすみす捨ててなるものか。わしは一揆鎮静と山荘造りのためなら、何だってやってやるぞ」

「幕府内の方々は、大御所様を頼りになさっておられます。それに、万が一、お倒れになられたら、一揆を活気づかせるかもしれませぬ。なにとぞご自重を──」

「おお、今日は山荘で庭の普請が行われる予定であったな！　これ、すぐに視察に向かうぞ、支度を整えよ！」

「大御所様！」

　立阿弥の忠告など馬耳東風、義政は側近に下知すると、よろめきがならも上座から立ち去ってゆく。

　しかし、その足取りは廊下に出た途端、急に止まってしまうのだった。

「いたたたた、む、胸が……！」

「ほら、ですから、急に動かれるのは危険と申し上げたのです！　これっ、誰か、医師を呼んで参れ！」

　義政は晩年、中風に悩まされた上に、気鬱が加わっていった。

　さらに、一人息子である将軍義尚に延徳元年（1489）に先立たれてしまい、その衝撃から中風が悪化。左半身不随になってしまったという。

　ただ、混沌とした状況の中でも、多額の資金と人手を投入した山荘造営は進み、やがて創建の日を迎えた。

　訪れた人々は、華麗な中にも静寂を漂わせた御殿や庭園に感嘆の声をあげる。

　亀泉集証も創建前に招かれて、中を見て回っており、「実に西方浄土というべきなり」と、相国寺の記録にて称賛していた。

　

　ところが、多くの人々を振り回した罰が当たったのか、肝心の義政が創建の場に立ち会うことはなかった。

　延徳二年（1490）一月、観音堂（銀閣）建設の最中に、彼は五十五歳にして、すでに世を去ってしまっていたのである。

（了）