足利義政のプレミア松茸

浜村心(はまむらしん)

第1話 乱世の京で金欠にあえぐ

「何っ、義政公が御所から消えた⁉」


 一報が京の人々を驚かせたのは、文明十三年(1481)十月のことだった。

 将軍職を退いた者、いわゆる大御所であった足利義政が、突然住まいとしていた御所から抜け出して、行方をくらます。

 そして、京の郊外にあった、岩倉長谷の聖護院しょうごいん宿坊(寺院が運営する宿泊施設)へと移り住んでしまったのだ。


 一体、何を考えておられるのか。幕府や朝廷の関係者、諸大名から、彼の側近たちへ問い合わせが殺到する。

 さらに、時の天皇や将軍までが、使者を遣わして戻るようにと説得を試みた。

 しかし、それらの声を拒み、義政は宿坊に居座り続けたのだった。


大御台所おおみだいどころ(義政妻、日野富子)が政治への口出しが過ぎるので、一緒にいるのが嫌になったのではないか?」

「いや、悪くなったのは、一人息子である将軍義尚様との仲であろう。幕府の実権を譲るか譲らぬかで、対立していると聞くぞ」

「身内じゃなくて、諸大名に苛立ってるんだよ。寺社や公家の領地を奪っておきながら、返せと幕府が命令しても従おうとしねえ。もう関わりたくねえんだろ」


 身分の上下を問わず、京の人々はそう噂しあった。

 義政は、京全域を荒廃させた、応仁・文明の乱の一因を作った人物である。

 当時も将軍職を退いたとはいえ、実権はなお握ったまま。長年、彼に振り回された人々にとって、その動向は依然として注目の的であった。


 ただ、噂は千里を駆けるもの。

 京で広まった噂が、同地の郊外にいた義政の耳に入らないはずがなかった。



※ ※ ※ 



「ふん、たわけ共め。わしの崇高な理想を理解できぬくせに、好き勝手ぼざきおって」


 岩倉長谷の宿坊で、義政は肘掛けに体をもたらせながら、愚痴をこぼしていた。

 目の前には、時折頷きながら、耳を傾けている者がいる。立花たてばなに精通していた側近の一人、立阿弥りゅうあみである。

 彼は義政の機嫌を取るべく、穏やかな口調でなだめるのだった。


「噂の木とは、根も葉もなくとも育つものにございます。大御所様ほどの高貴な方が話題ならば、尚更でございましょう。お気になされますな」

「分かっておるわ。住む世界が違えば、思考もおのずと異なってくるからな」

「しかし、先ほど崇高な理想と申されましたが、それは一体何でございましょう?」

「決まっておるではないか。後世にまで讃えられるような山荘を造営するべく、ここで計画を練るのだ!」


 義政は一転、声高らかにそう宣言する。

 山荘とは、今でいうところの京都東山にある慈照寺(銀閣寺)のこと。

 文化人であった彼は、山荘での風雅な生活に憧れており、造営の候補地を探し続けていた。


 初めて計画を打ち出したのは、十六年前の寛正六年(1465)になる。

 ところが、当時は応仁・文明の乱により中止を余儀なくされたため、彼は隠居した今こそ、長年の夢を果たそうとしていたのだ。

 

「ちょうどいい。そなたにも山荘の素晴らしさを教えてやろう」


 と、頼んでもいないのに、義政は絵地図を取り出して熱弁を振い始めた。

 敷地の東は山麓が広がっているため、総門は西に配置すること。

 庭園の周囲には、御所や観音堂の他に、いくつかのあずまや(庭園にある休憩所)や庵、橋を設けること。

 全体としては、庭園を中心に回遊して楽しめる設計になっているなどを、早口かつ流暢に述べてゆく。

 

 造営には、築庭家や大工のほかに、障子絵を描く絵師、御殿に掲げる額の名を考えた禅僧など、当代きっての文化人や職人たちが携わった。

 加えて義政自身も、いくつかの御殿や園池の修造にたずさわった経験を持つ。  

 それら円熟した人々の手腕を結集し、彼は山荘を華麗の中にも静寂が感じられる様な、芸術作品に仕立てようと志していたのだ。


 しかし、義政とは逆に、話を聞くにつれて立阿弥の顔は曇ってゆく。


「な、なるほど、素晴らしき計画でございます。しかし、大がかりな造営となると、費用も莫大になりましょう。その点は大丈夫なのですか?」

「当然である。金策についても、大御所様は心血を注がれてきたのだからな」


 と、義政に替わって返答したのは、側近の一人、大舘政重という者だった。

 義政にとりなして欲しい人々と義政との間を取り持つ、いわゆる取次役を担っていた人物である。


「造営の費用には、諸大名に出費を求めている。あとは、地域ごとに課した臨時の税だな。これも諸大名を通じて集まるであろう」

「えっと、幕府の命令を、諸大名はなかなか聞いてくれないんですよね? なのに、その相手に出してくれ、集めてくれと、頼んでていいのですか?」


「そなたは忘れたのか? 大御所様が御所から去られた時、大名たちはこぞって居場所を尋ねてきたではないか。威徳を備えておられる方の命令を、聞かぬはずがあるまい。必ず目標額どおり集まるであろう」

「な、成程……」


 立阿弥は、苦笑いしそうになるのを堪えていた。

 なにせ義政は、これまで応仁・文明の乱の終結に向けて奔走するも、思うように事を進められず、政治から逃避する姿勢をしばしば見せていた。

 なので、彼の機嫌が損なわれない様、周囲はお気に入りの側近で多くが固められている。当たり障りのない情報しか、耳に入ってこない環境で、適切な判断が下せるとは思えなかったのだ。


 しかし、彼の心配をよそに、政重は顎髭をしゃくりながら、得意気に続ける。


「他にも、山城国(京都の南東部)内の公家や寺社に課した負担金、土倉(金融業者)から徴収した税、さらに明(当時の中国王朝)との貿易で得た利益もある。心配する要素はどこにもあるまい」

「あの、税は分かるのですが、貿易って、そもそも儲かるものなのですか?」


「ただの貿易とは違うぞ。朝貢貿易、貢ぎ物を献上しにゆくのだ。すると、明は貢ぎ物以上の返礼品をくれるし、輸出品も買い取ってくれる」

「へえ、明って太っ腹なのですね」

「むこうは面子を重んじているからな。それで、得た金銭を元手に現地の品を買い付け、持ちかえって転売する。これで高値ウハウハぼろ儲けというわけよ」


「えっ、それ、何かせこい…… じゃなくて、巧妙な手口にございます。しかし、錬金術みたいな手口を何度も使えば、明が怒り出すのではないでしょうか?」

「もらった品をどう扱おうと、こちらの勝手ではないか。山荘造営のためには背に腹は代えられぬ」

「…………」


 立阿弥は、再び苦笑いしそうになるのを、ぐっとこらえていた。

 明との貿易で、将軍は日本国王という称号を用いて貿易船を派遣している。

 義政は国王の父であり、万民が尊ぶべき高貴な存在である。

 にもかかわらず、その手口が、がめつい貿易商人と変わらないのは何故なのかと、疑問を抱かずにはいられない。

 

 ただ、義政本人は目を輝かせたままであった。


「立阿弥よ」

「ははっ」

「そなた、この山荘が完成するのを楽しみにしておらんのか?」

「滅相もございませぬ。先程の絵地図のとおりに完成すれば、まさに現世の浄土と人々から讃えられましょう」

「そうであろう、そうであろう。銭のことは気にするな。万事任せておくがよい!」


 義政はニヤリとして自信を覗かせる。

 彼は確かに当代きっての文化人であるが、政治に関しては見通しが甘く、加えて優柔不断な面をたびたび見せてきた。

 お上が事を起こせば、下々の者たちが影響を受けるのだ。果たして、今回もたらされるのは幸せなのか、しわ寄せなのか。

 義政に応じ、側近達が揃ってうなずく中、立阿弥だけは渋い顔のまま固まってしまうのだった。



※ ※ ※ 



 そして、四年後の文明十七年(1485)、山荘の造営の最中に、立阿弥の不安は現実となってしまう。

 歴史に名高い山城国一揆が勃発したのだ。

 

 当年は日照り続きで凶作となり、多くの人々が飢えに苦しんでいた。

 そこへ、山荘造営のための税と、人手の徴収が追い打ちを掛ける。

 我慢の限界に達した現地の豪族たちは、すでに起きていた徳政(借金帳消し)を求めた暴動に加わり、一致団結して蜂起してしまう。

 そして、同地で合戦をしていた大名、畠山氏の軍勢を追い出して自治を成立させてしまったのだ。


 この前代未聞の民衆運動を知った立阿弥は、居てもたっても居られず、義政と政重の所に駆けつけた。


「土倉は襲われて立ち行かなくなり、公家や寺社からの徴収は滞っていると聞きました。どうなさるのですか、政重様? 造営資金の枯渇は避けられませんぞ」

「心配するな。こんな事態もあろうかと、大御所様は次の手を打っておられた」

「次の手……?」

「そうだ。名付けて『御成おなり作戦』だ!」


 得意然とは、今の政重の表情を言うのだろう。

 そして、唖然茫然とは今の立阿弥の表情を表わしていた。 


「えっと、御成って、身分の高い方が、特定の場所を訪問することを言うんですよね?」

「そうだ。幕府の負担となっているものの一つに、寺々が無心してくる修理費がある。これを御成によって減らしてゆくのだ」

「はあ……」


「ふん、納得しておらぬ様だから教えてやる。まず、大御所様にあちこちの寺を御成していただく。すると、寺側は来訪に対して、お礼の品を差し出すであろう。それを、無心している寺に修理費替わりに渡せば、幕府は懐を痛めずに済むというわけだ」


「しかし、訪問した寺が、修理費を無心してきたらどうなさるのですか?」

「そんなもの、お礼の品を受け取った後、修理費替わりと称して、突き返してしまえばよいではないか」

「いや、それもせこい…… じゃなくて、巧妙な手口にございます。恐れ入りました」

「そうであろう。収入を増やすためには、相手の懐事情など気にしておられぬのだ」


 こいつら疫病神以外の何者でもない。

 と、立阿弥は内心で毒づき、訪問先の寺々を哀れんだが、彼も幕府という縦組織の一員である。権力者に逆らうとろくな事にならないのは重々承知しており、政重の前からそそくさと引き下がろうとする。


 しかし、政重は彼の振る舞いに首をかしげると、半開きの目で睨んできた。

 

「待て、その事を尋ねるために、そなたはわざわざやって来たのではあるまい。用件は何だ? ……まさか、銭の無心ではあるまいな?」

「さ、流石に大御所様に銭を貸して欲しいなどと、口にする家臣はおりませぬ。実は法要の供物について、うかがいに上がりました」

「法要? ああ、父上(※六代将軍、義教)のか」


 義政は面倒臭そうな声色で割って入る。

 ただ、立阿弥はつとめて平静を保ちながら進み出ると、側近を通じて、一通の書状を義政に渡した。


「はい。ですが、他にもいくつかの法要が予定されております。書状には、日程と供物の贈り先を記しておきました」

「仕方ないのう。また、季節の草花でも用意させるとするか」


「ちなみに、小耳に挟んだところによりますと、大御台様や将軍様はすでに松茸を献上されており、僧たちの評判も上々との事でございます」

「評判も上々? わしが先日贈った帽子(※僧が防寒のために頭から被ったり、襟巻きにしたりするもの)よりもか?」

「いや、それはよく分かりませぬし、そもそも別に張り合うものではございませぬゆえ……」


「こしゃくな、ならば、わしも松茸を贈らねばならん」

「えっ?」

「奉行と相談して急いで松茸を集めて参れ。大御所としての威厳を示すのだ」

「しかし、松茸とは簡単に集められる物なのでしょうか?」

「何だ、そなたは知らんのか。北山、東山、西山、どこからでも松茸は獲れるのだぞ」


 京都三山(北山、東山、西山)は木材の重要な産地であった。

 しかし、当時は燃料や建築資材として過剰な伐採が進んだため、山々は荒廃していた。

 常緑樹林が広がっていた所は、痩せ地に多く見られる赤松林へと姿を変える。その変化を受けて数を増やしていたのが、赤松林を好む松茸だったのだ。


「寺々の裏山に登ってみよ、松茸なんぞ幾らでも生えておるわ。そこから獲ればタダ。しかも聖なる食物なので、贈答品としてもってこいなのだ。分かったか?」

「これは不勉強にございました。すぐに奉行に掛け合って参ります」


 立阿弥は一礼すると、すぐに場を後にする。

 一言彼のために弁護すると、当時の贈答品は、季節の野菜や果物が選ばれ、最高の産地から取り寄せていた。

 松茸が京都を代表する産物となるのは、近世以降のこと。当時は贈答品に浮上してきた頃であり、よく知らない者がいても不思議ではなかっただろう。


 一方、立阿弥が去った後、室内は静寂に包まれていた。

 義政が腕組みしたままうつむき、沈黙してしまったのだ。


「大御所様、もしかして、お加減がよろしくありませぬか?」

 

 政重を始め、居合わせていた側近たちは案じて、彼の表情を凝視する。

 ただ、表情はいたって真剣そのもの。山荘造営のため、新たな可能性を求めて続けていた彼は、自分の思考にひたっていたのだった。


(ちょっと待てよ、もしかして、松茸は金策に使えるのではないか?)

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