第17話 弟子と羽根ペンと熊男
「俺、暴れたい…………」
「暴れて観測ステーションをイーレのいる地上に堕とす気か」
サイラス・リーは、ディム・トゥーラの言葉に深い溜息をついた。壮大すぎる仮定条件だが、それも一種の抑制になっていた。
暴れたいが、観測ステーションを堕とすわけにはいかない。
地上にいるというイーレが危機にさらされるし、帰還手段がなくなるということはいただけなかった。
何よりもジェニ・ロウの脅迫である『永久破門』はさすがに回避しなくてはならない。
それでも一週間の待機はサイラスにとって長すぎ、地獄の苦行に近かった。よく、俺は珍しく耐えている、とサイラスは自画自賛した。
ディム・トゥーラは驚くべきことに、後見人代理のようにサイラスにずっとつきあってくれていた。カイル・リードの件も考えると、この無愛想な仕事人間は案外面倒見がいい性格をしているのではないだろうか。
「うるさい」
そういう恵まれた条件にあるにもかかわらず、サイラスのストレスは溜まる一方だった。
目覚めてからの1日目は通例の検査づくし。
2日目は記憶の欠落の判明でジェニ・ロウから超巨大な釘が刺された。
3日目になると地上情報の学習漬けと肉体のリハビリが始まった。
4日目は死ぬ前と同じ肉体調整を行う予定だった。
「握力調整は、ほどほどにしとけよ?」
肉体調整を見守っていたディム・トゥーラが謎の忠告を投げかけてきた。
「へ?なんで?」
「地上で繊細なものを大量に壊すからだ」
「例えば?」
「…………羽根ペンとか……」
「羽根ペン?羽根ペンってなんだ?」
「…………そこからか」
ディム・トゥーラは呻いたが、すぐに複製品を用意してきた。しかもそれは、何故か大量だった。
「何これ?」
「地上の文字は覚えただろう?たまに、自筆で名前をサインすることがある。その道具だ」
「は?」
サイラスは鳥の羽根と加工軸から構成された古代遺物を見た。
「思念で反応するのか?」
「馬鹿、手で握って、紙に直に書くんだ」
「ああ、カイルがそんな手段で絵を描いてたなあ。でも、どこにインクが入っているんだ?ペンならカイルのために取り寄せたことがあるが、あれも頼まれた紙と同様に古代遺物みたいなもんだったぜ?」
「鉱物や植物から色つきの液体を作る。それにつけて、この道具で文字を書く。ペンを使って紙もしくは羊皮紙にサインすることが通常だ」
「…………羊皮紙…………」
「動物の皮を処理の手間をかけて、紙の代用品にしているんだ」
「そっちの方が人件費がかかって高級そう……」
「残念ながら保存と品質に難がある」
「原始世界ってわかんねぇ……」
サイラスは用意された複製ペンを手にしたが、それは瞬殺された。
「…………」
「…………」
ディム・トゥーラは、粉砕された複製品をしばし見つめたあと、片手で顔を覆って嘆いた。
「…………なるほど、これが噂のサイラスのペン破壊行動か……。カイルが頭を悩ませるのも納得だ」
「いや、これ、耐久性能がおかしいって?!」
「地上文明に最新の耐久性能を求めるな!」
「こんなの、俺専用の耐久ペンを制作して持ち込めばいいだろう?!」
ディム・トゥーラはサイラスの言葉に納得しかけたが、首をふった。
「公の場で用意されたペンを使う場面がないとも、言い切れない。特に契約や交渉の場においてペンを折れば、破棄か宣戦布告と取られかねない」
「そんな重要な場に、俺がかかわらなければいいじゃん!」
「いや、むしろカイルや俺の代理人になることもあると想定するべきだ」
「握力を減らすと、イーレの長棍の一撃で、武器を弾き飛ばされるんだよ」
「握力の設定基準が間違っている。もっと臨機応変に変更できる仕様にすればいいだろう」
「イーレの奇襲に対応できないじゃないかっ!」
「奇襲…………絶対にお前達の師弟関係はおかしい」
「……ほっとけ」
痛い突っ込みに、サイラスはそっぽを向いた。
面倒くさい――その一言につきた。
しかもカイルやディム・トゥーラの代理人であって、イーレではない。
師匠であるイーレは西に位置する戦闘民族の地に滞在し、そこの次期族長の男に嫁いだ、と説明を受けた時にサイラスは卒倒しそうになった。
結婚?
イーレが?
そんな言葉は、イーレの辞書にはないと長年確信していたサイラスは愕然とした。
戦闘民族の内戦を未然に防ぎ、統一するための本人達の了承の元の政略的婚姻だと言われても、イーレにも好みというものがあるはずだ。彼女が己の好みを捨てて妥協するとは、サイラスには思えなかった。
その次期族長の男は、筋肉もりもりの
イーレは自分より強い男が好みで、研究都市にそんな存在はなかった。地上の未開の文明にいるとは、盲点だった。
おのれ、
すぐに降下したい。
だが、降下できない。
さらにストレスがたまった。
だが降下準備の時間が必要なことも確かだった。地上のイーレに関わった熊男を撃退する目的も追加された今となっては。
文字の練習をしている最中も、ペン軸の破壊行為は継続した。なぜ、ディム・トゥーラがペンの複製品を大量に用意したのか、その先見の明にサイラスは感心した。
しかもリサイクルできる素材で、廃棄品は再構築処理を短時間で行い、再びペンとなってサイラスのそばに積み上げられる。永遠の循環が続く恐怖に、サイラスは
サイラスは文字を書くという単調な練習作業の合間に、ディム・トゥーラから情報収集することにした。
「………………地上の主流な武器はなんだ?」
ディム・トゥーラは自分の専門外である質問に、しばし考えこんでから答えた。
「通常の携帯武器・接近戦では長剣だ。遠隔は弓矢だった。火薬武器はまだ発明されていない。ただ、俺も大陸中央に位置するエトゥールのここ最近事情しか知らないし、俺自身は武器を使ったことはない」
「治安が乱れているって言う割には、武器を使ったことがないとは平和だなぁ」
サイラスの感想に、ディム・トゥーラは苦笑した。
「逆だ。お前やイーレ以外の戦闘センスが皆無の人間には、専属で地上の護衛騎士がついていたんだ。他にも身を守る手段を持っている。カイルなんか、誘拐されたこともある」
「は?なんで?」
「政治的な陰謀がらみだ。だから地上の王は、我々に護衛をつけて保護した。極めて自然な流れだ」
「そうかなあ。完全に囲いこむ気が、まんまんじゃね?」
「もちろんそうだとも」
ディム・トゥーラは、小さく笑った。
「エトゥール王は権謀術数の専門家だ。他国に取り込まれて脅威になるなら、自国で保護と称して管理飼育が最適解だろう」
「やけに理解があるなぁ?」
「珍獣・猛獣保護の基本原則と一緒だ」
ディム・トゥーラは、動物関連の研究者でもあった。研究馬鹿の気配がしたが、わかりやすい例えだった。
「俺達は珍獣相当なわけね……」
「戦争における死ぬはずの重体者を助ける。隣国の戦闘民族の民との一触即発の危機と誤解をといて、和議に持ち込む。さらに敵国の大将軍を懐柔する――」
「大将軍を
「よくわかるな」
「俺、カイルの同調能力って、魅了の一種じゃないかと思うぜ?人の懐にするりと入り込むのが超絶に上手いんだ。心の悩みを見抜くのも、長けている。案外、
「――」
ディム・トゥーラは、サイラスをまじまじと見つめた。
「だいたい生真面目な
余計なことを言ったサイラスは、ディム・トゥーラに端末で殴られた。
サイラスの文字習得訓練――実際は道具技能習得訓練だったが――に匙を投げたのは、意外なことにディム・トゥーラだった。
線を1本引こうとしただけで、粉砕される道具の消費は、再生製作速度を凌駕した。
「無駄だ。時間の無駄だっ!進歩が全く見られないっ!」
ディム・トゥーラは発狂したように成果がないことを嘆いた。
「ようやく、意見の一致が見られて嬉しいぜ」
「サイラスがペンを使いこなす頃には、地上文明が滅亡しているっ!」
「………………言い方……」
サイラスは、やんわりと抗議した。
「わざとじゃないだろうな?」
「一応、努力した」
ディム・トゥーラは絶望の吐息をつき、再度意思を確認してきた。
「どうやって、カイルはサイラスに教え込んだんだ……もう一度確認するが、握力調整をするという選択は?」
「ない」
サイラスはきっぱりと拒否した。
長棍を扱う者にとって握力は能力値を左右する重要な要素だ。体幹筋と体肢筋もバランスよく鍛えなければ、棒武器をふりまわす踏ん張りがきかない。
イーレは子供の身体でありながら、その筋力バランスが絶妙であった。
サイラスは自分の手を見つめた。
数年の記憶は欠落しているが、肉体は馴染んでいる。それだけが、自分が自分であるという確証の拠り所なのだ。
数年前の降下時点の肉体状態を変更したくはなかった。
あとは武器の問題だ。
「長棍の代わりはどうするかな……」
「地上でイーレにもらえばいいだろう」
「気楽に言ってくれるなあ。長棍をロストしていれば、俺はイーレに半殺しだ」
「それはない。イーレはサイラスの最後の行動を褒めていた」
「それこそ、ないね」
サイラスは即否定した。
「イーレが俺を褒めることは、ほとんどない。殴り飛ばすことはあっても」
「…………なんで、イーレに弟子入りして、師弟関係を継続しているんだ?」
「俺も時々、その点を自身に問いかけているよ」
サイラスは遠い目をした。
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