第8話 初めての抱擁……そして( R15)

 カティアス様は、私を気にして来てくださった……。


 カティアス様の匂いに包まれて、心まで抱き締められたような温かさを感じていた。背中を擦ってくれていた手は、いつの間にかしっかりと私を抱き締め、カティアス様の心臓の音がドキドキと速く聞こえる。


 妹のように思ってくれているとしても、少しは女性だと意識してくれているのかしら?それとも、ただ単に演習の後だから鼓動が速いだけ?


 無性にそれを確かめたくて、私はダランと下げていた手を上げて、カティアス様の背中に回した。強くしがみつくことは恥ずかしくてできないから、そっと触れるくらいだけれど。

 カティアス様の身体がピクリと反応し、私ははしたなかったかと手を降ろそうとした。


 しかし、カティアス様は私を抱き締める腕を腰にずらすと、片手で私の顎に手を掛けて上向きにさせ、その秀麗な顔を私に近付けてきた。ぼやけるくらいの至近距離で目が合い、カティアス様はその青空のような瞳を閉じて口付けをしてきた。

 思っていたよりも柔らかい感触が唇に触れ、私は目を見開いてそれを感じる。

 前世合わせても、これが私の初めてのキスだった。

 多分、時間にしたら十秒程度。

 でも、その衝撃は数十倍の時間に感じられ、ゆっくりと離れていくカティアス様の顔を凝視し、その唇に視線が集中する。


「可愛い……」


 カティアス様から漏れ出た声に、私の顔が真っ赤に染まる。この時の私は、ローズのことがすっぽり頭から抜け落ち、今あった出来事と、目の前のいつもと違うカティアス様の表情に目を奪われていた。

 いつもは穏やかで優しいカティアス様が、今は雄の顔をしていて、ニヤリと笑うその表情には色気が漂っていた。


「ロッティ、顔が真っ赤だよ。その顔を見せるのは、私の前だけにして欲しいな」


 それって、どんな顔ですか!?


 許容範囲を超えてしまい、私はボスッとカティアス様の胸に顔を埋めた。


「それで、君の侍女と何を話していて、あんなことになったんだい?」

「……ローズが、カティアス様のことを素敵だって褒めたので、ローズがカティアス様をどう思っているか聞いたんです」

「うん?」

「ローズは、カティアス様のことを好きなようでしたが、私の婚約者だから好きだと言えないみたいな感じになりまして」

「ううん?」

「ちょっとそこで違うことを私が考えていたんですが」

「は?」

「ローズは私が不機嫌になったから黙り込んだと勘違いして、泣き出してしまったんです。そんなことなかったのに」

「……」


 何故か、カティアス様が無言になってしまった。


「カティアス様?」

「そこで君が何を考えたのか、聞いても良いかな?」

「え?大した事じゃ……」


 カティアス様とローズが仲良くなれるエピソードがなかったか、前世の記憶を探っていた……なんて言えない。

 さっき抱き締められていた時の沈黙は心地良かったが、今のこの沈黙は妙に居心地が悪い。モゾモゾとカティアス様の胸から身体を離そうとしたが、カティアス様の腕は私を囲って離さなかった。


「君は、君の侍女が私を好きでも、不機嫌にはならないほど、私のことはどうでも良いということか」

「違います!それは違くて。私もカティアス様のこと……で、でも、カティアス様を誰が好……になるかはその人の自由で。もちろん、カティアス様が誰か……きになっても、婚約に縛られることはないって思ってて」


 好きという単語が言えなくて、そこだけ声が小さくなってしまう。

 カティアス様は、俯いた私の顎に再度手をかけると、喰むようなキスを何度もしてきた。


「あ……、んむぅ、……カティ」


 最後に唇をチュウッと吸われて、腰が砕けそうになる。


「今まで大切にし過ぎてきたね。これからは、私が君を好きだってちゃんとわかるように、態度で示そうと思う」

「え……?」


 誰が誰を好きですって?


 思わずポカンとしてカティアス様を見あげると、カティアス様の眉が険しく寄り、「……その顔は駄目だ」と呟くと、押し倒される勢いでカティアス様の唇に唇を塞がれ、ヌルッとした熱い感触が口腔内に入って来た。


「うむっ!?」


 舌を絡ませるキスがあることは知っていた。しかし、初キスしたばかりのチュー初心者の私に、このキスは上級テクニック過ぎませんか!?

 舌を根本から絡め取られ、ジュルジュルと音を立てて吸われると、意識も朦朧としてしまい、本当に腰砕けになってしまう。カティアス様は、そんな私の身体を抱き上げて、容赦なくキスを続ける。


 紳士なカティアス様はどこに行ってしまったの!?こんなに荒々しいカティアス様は初めてで、……何だか凄くドキドキするんですけど!


 ★★★ローズ視点★★★


 目の前でキスシーンを繰り広げるカティアスとシャーロットを、ローズは瞬きもしないで見つめていた。

 その表情は、いつものホワホワした可愛らしいものではなく、人が違うんじゃないか?と思ってしまうほどキツイものだった。


 ローズは、赤ん坊の時からの記憶を持っていた。一番古い記憶は、母親のおっぱいを吸っているもので、母親は大きなお屋敷で働いていて、ローズはその様子を背負われて見ていた。ある日、そんな母親の背中にいるローズを、黒い瞳が覗き込んだ。


「この瞳……」


 黒い瞳に赤い髪の毛の女性は、驚いたようにローズを見たかと思うと、母親のことをいきなり張り倒した。そして口汚く母親を罵り、母親の髪の毛を掴んで屋敷から追い出したのだ。

 それからの生活は、ひたすら部屋で母親を待つだけだった。おなかが減って泣いても、オムツが濡れても泣いても、誰もローズの世話をしてくれなかった。毎日、疲れ切った母親の帰りを待ち、母親のおっぱいだけが栄養源だった。


「あんな女、子供生む時に死んじまえはよかったのに!そうすりゃ、あたしは公爵夫人で、あんたは公爵令嬢だったんだ」


 母親は、ローズに授乳しながら、毎晩悪態をついていた。あの大きなお屋敷が本当はローズの物で、赤い髪の女はローズの居場所を奪った悪人だと。

 さすがに授乳だけではローズの栄養が足りなくなった三歳になった日、母親はローズにネックレスをかけ、「このネックレスは絶対に肌身離さず持ってな。あんたのお父様からもらったんだ」と言うと、ローズを孤児院の前に捨てた。


 ローズは孤児院でしたたかに成長した。媚びることを覚え、自分を良く見せる為に弱者を踏み台にする。孤児院の先生達には良い子を演じ、人を陥れることを躊躇しなかった。

 そんなローズは、かなり早い時間からペンダントの秘密に気が付いていた。


「私はブレンデル公爵令嬢」


 ペンダントトップの色ガラスを外すと、ブレンデル家の家紋が出て来た。この家のことを調べるのは容易かった。なにせ、孤児院の支援団体である婦人会会長がブレンデル公爵夫人だったのだから。

 ブレンデル公爵夫妻には、自分と同じ年の娘がいた。夫人と同じ赤い髪で、自分と同じ碧色の瞳の娘。一人娘だから彼女が婿を取って、ブレンデル公爵家を継ぐそうだ。


(何も持たない自分と、何でも持っている異母姉。そんなの不公平じゃないか。彼女の場所は、私が全部奪ったっていいはず。だって、私も公爵令嬢だから)


 ローズは、異母姉と接触できる機会を持った。待った末、孤児院を退所しなきゃいけないギリギリの時期に彼女に出会えた。しかも、ペンダントを見せたら、すんなり異母姉妹だと受け入れてもらえた。ただ、公爵夫人に知られたら追い出されてしまうって言われた為、待遇は公爵令嬢としてじゃなくて、異母姉の侍女としてブレンデル公爵家に入り込めた。


 最初、自分の存在さえブレンデル公爵に知らせることができたら、父親は喜んで迎え入れてくれると思っていた。だって、どう考えてもシャーロットよりも自分の方が容姿も優れ、可愛らしい娘を演じることができるから。


 それなのに、父親である公爵はローズのことを存在しないように無視したのだ。平民の母親から生まれた娘は、見る価値すらないとでも言うのか!?


(あり得ない、あり得ない、あり得ない!胤は一緒なのに、畑が違うだけでこの扱いって。彼女の物は全部欲しい。まずは彼女の婚約者、王都一人気の騎士団副団長から。彼が私を選んだら、ブレンデル公爵だって娘だと認めるかもしれないし)


 ローズは、自分の容姿に絶対的な自信があった。洗濯板みたいな異母姉に比べたら、女性らしい凹凸のあるローズの方が魅力的だし、顔だって自分の方が何倍も可愛い。紳士で有名な騎士団副団長とはいえ、ただの男だ。


(私が笑いかけて、ちょっと身体を擦り寄らせれば、大抵の男はデレっとなるわ)


 孤児院でも、嫌な仕事や面倒事は、そうやって男子に押し付けていたし、好きな物を手に入れる時もそうしてきた。カティアスだって、簡単に手に入ると思っていたのだ。


 しかし、彼がローズにデレることはなかった。看病すると言えば断られ、スキンシップに対して苦言を呈された。シャーロットに付き添って、何度もカティアスに会ったが、彼の視線はいつも真っ直ぐにシャーロットに向かっていた。


(なら、シャーロットの評判を下げれば良いよね。カティアス様が婚約しているのも嫌になるくらい)


 シャーロットは、些細なことでも使用人に手を挙げる令嬢だと、表では淑女ぶっているけれど、裏では公爵夫人そっくりで苛烈な性格をして、使用人を虐げているらしい……そんな噂を広める為に、ローズは自分の身体にわざと痣を作ろうと思い立ち、庭にあった角材で自分で自分の手足を打った。かなり痛かったが、これでシャーロットの評判を下げることができるのならば言うことはない。

 明日、シャーロットに付き添って、騎士団の公開演習に行くから、他の貴族に付き添って来る侍女などに、わざとこの痣を見せて、「お嬢様に……」などと言葉を濁して一泣きして見せれば、後はお喋りな彼女達が勝手に噂を広めてくれるだろう。一番は、カティアスに痣を見せることができればもっと良いのだが。


 そう思って、沢山の人間が集まる騎士団の公開演習時に、大袈裟な素振りで泣いてシャーロットに許しを請うてみた。周りには、人前で侍女を叱責する苛烈な令嬢に見えるように、かつ、自分に同情が集まるように装った。

 後は、さっきの出来事を見て、興味津々だろう他家の侍女をつかまえて、泣きの演技をしながらよろけたふりをして身体の痣を見せれば良い。噂好きそうな丁度良い人間はいないかと、演習場内をさまよっていたローズは、カティアスとシャーロットのラブシーンの現場に遭遇したのだった。


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