14 母子の亀裂①
『そりゃ根に持ってんだろ』
月読がずばりと言う。言い返せない。
みんなが思い思いに話す中、皇子は二枚目の菓子を黙々と食べていた。静かなことに変わりないが、まとう空気は軟化している。
娘に見せた表情といい、やさしさや愛情がまったくない人ではないとわかる。それだけに四葩は、切なくなる胸を押さえた。
「日向様……」
「評定中に失礼いたします。皇子様、皆々様、茶をお持ちいたしました」
そこへ聞こえてきたのは、頭に思い浮かべていた日向の声だった。目を向けると彼は茶器の乗った盆を手に、廊下からこちらをうかがっている。
文官のひとりが慌てて立ち上がり、駆け寄った。
「東宮様、このようなところでなにをっ。いやいや、茶など宮仕に運ばせればよいではないですか……!」
「わかっている。だがちょうど手が空いてたんだ。これを配ったらすぐに戻るよ」
そう言いながら日向は妹を見た。視線に気づいてこよりはにぱっと笑う。彼は約束通りこよりに会いにきてくれたのだ。茶はそのための口実に過ぎない。
だが文官も守人も表情が芳しくない。寝殿の空気が再び張り詰めはじめていた。それは評定をしていた時以上に重く、
日向の顔も引き締まる。彼もこの緊張をわかっていた。
「皇子様。みんなに茶を配りたいのですが、よろし――」
「ならぬ」
ひとことの反論も許さない強い語気だった。
「ただ茶を配るだけです。すぐに終わります」
「いらぬ。お前にそのようなことを頼んだ覚えはないのじゃ。今すぐ出てゆけ」
稲葉が堪えかねた様子で腰を上げる。しかし彼がなにか言うよりも早く、日向が一歩進み出た。
「母上なぜですか。なぜ俺にはそんな……っ」
「母と呼ぶな」
一蹴し、皇子は立ち上がった。長い髪と着物をすって、まるで風のように歩く。
「茶など小賢しい真似を。その程度でわらわに取り入ろうとしても無駄じゃ。お前は生まれた時から間違えた。そのせいでか弱いこよりが、すべてを背負うはめになった」
「そ、それは……」
「消えろ。目障りじゃ」
皇子が手を振り上げる。
「皇子様!」
四葩はとっさに飛び出した。ふたりの間に入り、日向を背にかばって腕を広げる。
「母上やめてえ!」
こよりの悲痛な叫びが響いた瞬間、皇子の手は四葩の目の前で止まった。桃色の目がこぼれんばかりに見開き、か細く揺れている。乱れた髪も周りの声も構わず、皇子は固まっていた。
まただ、と四葩は思う。皇子はここにいる誰よりも驚き、そして自分に困惑している。
「……申し訳ございません、皇子様。俺が出過ぎた真似をいたしました。みんなもどうか許して欲しい」
日向の重苦しい声が、時が止まったかのような場に落ちる。彼はそばの文官に盆を託すと、廊下から素足のまま庭に下りた。
呼び止める声も聞かず、敷地の外れへ歩いていく。
「兄上……!」
こよりがあとを追って駆け出す。四葩もすぐにつづいた。庭に下りてちらと見たが、皇子はもう興味をなくしたように背中を向けている。
稲葉から、頼むと言うようにうなずかれ、四葩もうなずき返して走った。
日向の姿は敷地の端の
一度だけ乗せてもらって、里を見て回ったことがある。
「四葩……」
近づくと、おろおろ立ち尽くしていたこよりが袖を掴んできた。四葩は安心させるように、小さな手を取って握り返す。
そうしてふたりで日向に歩み寄った。
「東宮様、素足ではお体が冷えます」
足音で気づいていたか、日向は驚くことも振り返ることもなかった。一定の調子で早千峰の首を叩く音だけが響く。
ここは
「情けないところを見せたな。四葩は母上とほとんど会ったことがないから、驚いただろ」
「いえ、そんな……」
「おかしなことだ。俺の婚約者だったのに。母上は俺が誰と婚約しようと破談しようと、まるで興味がない」
目が合っても反応しなかった皇子を思い出し、四葩はうつむく。四葩のことなど覚えていないのかもしれないが、それはそのまま日向への無関心さの表れでもあった。
「目障り、か。俺はついに愛想を尽かされたようだ」
「そ、そんなことないのじゃ! 兄上も大事な家族なのじゃ! 母上だってそう思っておる! 今は少し……穢れのことで気が立ってるだけなのじゃ!」
四葩の手を放して、こよりは兄に飛びついた。思いの丈とともに背中をぽかぽか殴りつける。
日向はようやく振り向き、妹に合わせてしゃがんだ。殴る手を取って浮かべた微笑みは、切なくて儚い。
それでも妹の頭をなでる手は慈愛に満ちている。
「ありがとう、こより。でもいいんだ。女に生まれず、俺は母上をひどく失望させた。その上体の弱い妹にすべてを押しつけている……。本当にふがいない兄だ。すまない」
「謝らなくてよい! 押しつけてなんかないのじゃ! だって兄上は言ったのじゃ、こよりを守ると。守人になるために剣の稽古も手習いも、毎日欠かさず励んでおる。だからこよりも、熱に負けずがんばれるのじゃ! 兄上がいてくれるから、こよりは、ひとりじゃないから……っ」
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