第4話 絶体絶命
テオは抵抗したかった。しかし、ベオルフの頑強な手によって腕はひねり上げられ動かせない上に、もう片方の手で口を塞がれ声も出ない。
一刻も早く伝えなければ、コゼットが危ない。
シークは部屋の扉の前に立ち、美味しそうな食べ物を見つけたように舌で口の周りを舐めたあと、律儀に三回ノックをした。
「テオ、もう帰ってきたんですか? ドアの鍵ならあなたが閉め忘れて出ていったので、そのままですよ」
中からそんなコゼットの声が返ってきた。テオは、もっと警戒心を持てと怒鳴り込んでやりたかった。鍵を閉めずに出てきた自分も悪いとは思ったが、今は絶体絶命の状況だ。その能天気さが腹立たしかった。
シークはドアを開け、蛇が獲物を捕まえるように、音を立てずゆっくりと、部屋の奥の机に向かっているコゼットに近づいていった。
コゼットはテオが帰ってきたと思っている。この街に知り合いはいない。わざわざ尋ねてくるような人なんていない。だから、油断をしていた。
背後から近づく脅威に気が付かなかった。そして、気が付いた時にはもう遅かった。
シークはコゼットの首にナイフを突きつけた。
「こんにちは、お嬢さん」
コゼットは動きを止めた。心拍数が急激に上がる。
「君もアナスタシアの仲間かい?」
コゼットは横目でシークの方を見た。知らない顔の男だ。胸元の犬のような動物のピンバッジが目に入った。
「悪いけれど、君とあの人にはここで死んでもらうよ。アナスタシアに何を吹き込まれているか分からないからね」
「……あ、あなたたちが、アナスタシア先生を殺したんですか?」
コゼットは震える声で尋ねた。シークはそんな彼女の耳元で囁く。
「ああ、そうだ。あいつは、知らなくていいことを知ってしまったんだよ。自ら首を突っ込んで来て、俺たちの秘密を暴こうとした。だから魔物に殺させたんだよ。秘密を握ってあれだけ威勢を張っていたのに、最期はあのザマ。絶望に満ちた顔。実に愉快だった」
それを聞いて、コゼットはカッと目を見開いた。
やはり、アナスタシアの死には人が関わっていた。どうやって魔物に襲わせたのかは定かではないが、彼らの悪意によってアナスタシアが死んだことは、これで間違いないことが分かった。
コゼットは今すぐにでもシークを殺してやろうと思った。しかし、立場はこちらの方が圧倒的に不利だ。
タイミングを見計らい、ローブのポケットに入っている魔法の杖にそっと手を伸ばした。しかし、シークはそれにすぐさま気付き、その手を捻る。
「あっ」
コゼットは苦痛で顔を歪めた。
「女だからって容赦はしないからね」
ジワジワとシークはコゼットを痛めつけていく。
「い……たい……」
殺される。
コゼットは悟った。ここで死んでしまえば、シークたちを野放しにすることになる。アナスタシアが何をしていたのか、なぜ殺されたのか、何も知らないまま死んでいくのは嫌だ。
すると、シークが突然力を緩めた。ホッとしたのもつかの間、シークはコゼットの腹に、容赦ない蹴りを入れた。
「うぐっ」
コゼットは吐きそうになり、その場にうずくまった。
「悪く思うなよ。組織を守るためだ」
シークが部屋を出ていくと同時に、ベオルフは乱暴にテオを部屋の中に入れた。テオはバランスを崩し、コゼットの横に尻もちをついた。
「じゃあね。アナスタシアが君たちを待ってるよ」
シークは見下ろしながら、笑みを浮かべる。そして、何やら手に収まるくらいの黒い物体を投げ入れた。
臭いがした。火薬の臭いだ。
投げ入れた瞬間、シークとベオルフはドアを閉め、走って去っていく。
「コゼット! 爆弾だ!」
テオは叫んだ。それと同時に、その黒い物体は床に落ちた。
刹那、爆発した。耳がおかしくなるほど大きな音、強烈な爆風、そして燃え盛る炎。壁は吹き飛び、窓ガラスは割れ、天井が崩れる。
こんな至近距離の爆弾に巻き込まれたら、体は木っ端微塵。無事なはずがなかった。
しかし、テオがいち早く黒い物体の正体に気付いて叫んだおかげで、コゼットの杖が間に合い、二人は彼女が張った魔法のバリアのおかげで命拾いした。
やがて、辺りは静まり返る。テオとコゼットは、二人を包み込む青みがかったバリアの中でぐったりとしていた。
痛む体をゆっくりと起こし、テオは隣で蹲るコゼットに声をかけた。
「……コゼット、生きてるか?」
「まあ、何とか」
コゼットは蹴られた腹を抑えながら答えた。
「ありがとな、お前の魔法がなきゃ死んでた」
テオは素直にお礼を言った。
「ええ、私はあなたの命の恩人です。一生かけて恩返ししてください」
「そんな軽口叩けるってことは、平気なんだな」
「平気じゃないです。あいつ、女の子の腹を思いっきり蹴りました。今ものすごく腸が煮えくり返ってます」
いつもの淡々とした口調の中に、怒りが見える。
「それに」
コゼットは真剣な表情をした。
「アナスタシア先生を殺したのはあいつらです」
「ああ、そうだな」
テオは答えた。
「あの犬みたいなピンバッジをつけた奴ら、何者なのか徹底的に調べあげましょう」
「もちろんだ」
二人の瞳には、復讐の炎が燃えていた。ピンバッジをつけた謎の組織の秘密を知ったことで、アナスタシアは殺された。そして今、テオもコゼットも殺されそうになった。
危険は重々承知だ。殺される覚悟もある。それだけ、テオもコゼットも、アナスタシアに囚われていた。
「コゼット、手記は?」
テオが思い出したように尋ねる。コゼットは慌てて辺りを探す。手記はちゃんと魔法のバリアの中に入っており、無事だった。
コゼットは手記を拾い上げ、抱きしめる。
「ああ、よかった……」
そして、辺りを見回す。アナスタシアの荷物は、爆発でほとんど吹き飛んでしまった。彼女の魔道具も、薬草も、紅茶のコレクションも、全部ダメになってしまった。
「騒ぎになる前に、ここを抜けだそう。俺たちは死んだことにしていた方が、今後動きやすいだろう」
テオの提案に、コゼットは頷く。
「そうですね。あの蛇みたいなクソ野郎たちも、私たちが死んだと思って油断しているでしょうから。ふん、私の魔法を舐めやがって、腹立たしい。あいつクズですよ。モラハラ気質ありますよ。絶対将来DV夫になりますよ。まあ、そもそもその将来は、私が潰すので来ないですけどね」
コゼットは息を吐くように汚い言葉を並べた。それだけ、シークに対する恨みが募っているようだった。
「立てるか?」
「ええ、大丈夫です」
二人はゆらゆらと立ち上がる。痛む所を抑えつつ、瓦礫を避けながら、爆発で吹き飛んだ窓の方へ向かう。
下の方から、宿屋の主人や他に泊まっていた客たちが騒いでいる声が聞こえてくる。幸いなことに、両隣の部屋の人は外出していたようで、死者ないないようだった。
「見つかる前に行こう。これは面倒なことになる。心苦しいけど、ここで足止めされるわけにはいかない」
テオたちが生きていると分かれば、宿屋の主人はおそらく事情聴取をしてくるだろう。
二人は一刻も早く、先に進まなければならない。手記の鍵を解き、アナスタシアが突き止めた組織の秘密を知らなければ、彼女の無念は果たされない。
アナスタシアはテオやコゼットにその意志を継がせる気はなかったのかもしれないが、それで納得するほど、二人は素直ではない。
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