第6話

斎名さいなと野々原。部活の練習が押してて遅れるってよ」


 滝本は画面を確認したスマホをポケットにしまいながら言った。


「今、メールきたわ」

「そうか」


 そう返しながらも、心のどこかで、このままドタキャンにならないかと思ってしまう。

 紫色に染まる夕暮れの空の下、二人で古びた神社の鳥居の前で立ち尽くしていた。境内では、ゆっくりと提灯が灯り始めている。


「純、どうする?」


 正直なところ帰りたかった。でも、滝本の心なしか浮ついた表情を見て、押し黙ることにした。


「……まあ、せっかくだから中、行くか」

「さっすが、純っ。わかってんな~。行くぞ行くぞー」


 ……おい、滝本よ。

 おまえは、いつも楽しそうだな。



「やっぱスッゲー人だな。浴衣、最高~。純は初めて? 都内の祭り」


 秋らしい風が木々の葉を揺らし、カサカサと音を立てる。その風情をかき消すように、境内に響く太鼓の音。ずらりと並んだ屋台からは、焼きそばや、たこ焼きの香ばしい匂いが漂う。

 それと、今日という日を心待ちにしていた人々の笑い声が耳についた。


「さすがに、祐天寺の生徒のやつ、たくさんいんな~」


 たしかにそれらしい生徒は、ちらほらと見受けられた。学校から近いというのもあるのだろう。


 俺は、ああ、とうなずいてから「てか祭り自体が、小学生ぶりだな」と、こぼすと「まじかよっ⁈」と、滝本は目を丸くした。


 ……俺は珍獣か。


 そのまま、辺りの屋台を物色しながら問いかけた。


「何で、斎名なんだ?」


 野々原のことは何となく理由はわかる。おそらく俺に、何か用があるのだろう。あれから、ぱったりと接触をしてくる気配を見せなかったのは、不気味ではあるが。


 滝本は、なりだよ、なり、と再び前に口にした言葉を出し、「そう気にすんなって。ちょっと運動部の女子も気になっただけだっ」と俺の肩を軽く叩いて笑った。


 その答え方も不可解だった。そもそも斎名結衣は、滝本の趣味趣向と外れている。いつも滝本が近づく女子とは正反対な気がしていた。それに、この前、彼女できた、と言ってなかったか? 滝本は常日頃から『彼女は一学校に一人』と豪語している。


 ますます不思議だ。滝本よ、おまえの狙いは何だ?


 将来の俺にとっては些細なことを、取り留めもなく考えながら歩いた。喉が渇いたなと滝本を呼び止めかけたとき、不意に声をかけられた。


「あっれー? 滝本君と鳴海君?」


 足を止め、後ろを確認すると、同じクラスの女子がいた。二人とも、かき氷を手にしている。

 滝本も立ち止まった。


「お、山田と鈴木」


 クラスの皆んなといつもフレンドリーに接している山田に、鈴木は妹みたいに、いつもくっついている印象がある。


「滝本君、鳴海君と来てるとか、めっちゃ意外なんだけど」


 山田が笑って訊いてすぐに「おいおい、それはどういう意味だよ?」と、滝本との世間話が始まった。


「いやいや、てっきり女の子と一緒かと思ってたからさ~。てか、浴衣姿どう? 可愛いでしょ?」


 そのせいで俺は、鈴木と話さないといけないような雰囲気になる。お互い、どうも、とぎこちない挨拶を交わす。

 たしかに、祭りに浴衣姿は風情があるな、とは思った。あと、ぽたぽたと地面に汗をかいている、かき氷を目にして、ここで立ち話をするのも申し訳ない気もした。


「今日は二人で来てるの?」


 訊かれて少し返答に困った。説明するのが面倒だ。

 すると、鈴木は何かを察したのか、「そんな訳ないよね」と言い、照れ臭そうに微笑んだ。


「二人……モテるもんねっ」


 何だか妙なペースに呑み込まれた感じだった。わたあめみたいな独特な雰囲気と、あんず飴のような幼甘い香りを漂わせる。

 とりあえず、簡単に経緯を説明した。

 だけど、鈴木は俺の領域に一歩踏み込んできた。


「だったら……このあと一緒にどうですか?」


 ん? 何だ? 俺の話を聞いてなかったのか? しかも何故、敬語?

 そう言葉を口にする間もなく、鈴木はズケズケと入り込んでくる。


「二人より人数いた方が楽しいしさっ」


 どうして、そんなに頬を赤らめる。


「……それにずっと、鳴海君とゆっくり話してみたかったんだ」


 は? こいつは何を言ってる——?

 遠くの方で太鼓が鳴っている。



 ——遅くなっちゃった。でも何とか間に合った。


 結衣と一緒に神社の境内に駆け込んだ。


「ちょっと呼吸整えよ」

 と結衣が息を切らしながら言う。「鬼練習のあとに、このダッシュ。さすがに死んじゃう」

「……だね」


 私も肩で息をしていた。膝もカクカク震えている。声も一緒だった。」



 ひとまず、屋台見ながら二人を探すことにした。

 祭囃子まつりばやしが響き、太鼓の音が鳴るたびに、境内がふっと昼のように明るくなった気がした。


「見て、あの綿菓子! 映えそうっ」


 興奮気味の結衣が指を差す方に目を向けると、光る棒に巻きついた綿菓子が、色とりどりに輝きながら、ふわふわと揺れていた。まるで夜空に浮かぶ雲みたいで、思わず足を止めて見入ってしまう。

 屋台の周りでは、楽しそうに駆け回る子供たち。手にしたお菓子と、おもちゃ。それとカラフルな風船。どこからともなく聞こえてくる笛のリズムに合わせて、踊りを披露する人の姿もあった。

 その中で、祭りの伝統的な衣装を身にまとった一団が、楽しげに足を踏み鳴らしながら、華やかな踊りを繰り広げていた。


「なんだか、ずっとこのままでいたい気分」結衣がしみじみと言い、私も、

「本当にね。こういう瞬間って、普段の忙しさを忘れさせてくれる」と、頷いた。



「やっぱ浴衣着たかったね~」


 結衣は歩きながら、たこやき食べたい、とか、祭りといえば、りんご飴だよね、とか言いながら辺りをキョロキョロとしている。

 結局、家まで帰る時間がなかった私たちは、練習が終わってから、そのままの足でやって来たためジャージ姿だった。

 あれこれ色々と考えていたことは、全部水の泡だった。替えの服は持っていたから着替えてはきたのだけど。


 ……カップルかな?


 私たちと同い年くらいだ。女の子の浴衣姿が初々しく映る。

 素直にうらやましかった。髪の毛は可愛くお祭り仕様にアレンジされている。目の前の二人を見ていると、中学生の頃、彼と一緒に、ここの神社のお祭りへ来た思い出がよみがえる。二人きりではなく、何人かクラスメイトたちもいたけど、私にとっては、初めてのデートだった。

 あのときも、部活終わりに慌ただしく浴衣の準備に追われた記憶が、昨日のことのように覚えている。


「あ、いたいた! 滝本君たちっ」


 人通りが減ったタイミングで、結衣に声をかけられた。そのときだった。ちらりと男子バスケ部のキャプテンの姿が、私の視界に入ったのは。

 隣には、祐天寺の生徒らしき女の子を連れていた。

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