1.平和の使者

「これは終わらせなければなりません」


 ドウ=ナ・ヴィンヌジャールは言った。

 認識拡張空間議場に設けられた、元老院特別委員会の席上である。

 開催の目的は、ユーナス・ザニ紛争の終結と和平。

 特に近く勃発するはずの、惑星〈千のナイフ〉宙域における、両陣営による総力戦の回避だった。


 ヴィンヌジャールは、〈千のナイフ〉を擁する東南星域の公家当主として、その総力戦が行われた際に帝国が負うであろう損害と負債、そしてこれまでの紛争がもたらした数々の悲劇を手際よく整理し、説得力と共感に満ちた演説を締め括ろうとしていた。

 

「この紛争は、帝国の癌であります。放っておけばその影響は計り知れない。何よりも……何よりも憂うべきは、ユーナシアン、ザニ・ガン双方の民衆が失う未来であります。忘れてはいけません。銀河帝国という偉大な国家は、民衆の暮らしの上に成り立っていることを。これは単に紛争の当事者のみならず、我々元老院議員全てが心得るべきことであります」

 議場の星々は静まり返った。

 単なる一星域の紛争が、帝国の存立に関わる問題であるという認識は、演者の意図通りに広がった。

「もし、この総力戦が回避できないならば……無論、今、委員会も私も両陣営首脳部に必死の働きかけを行っておりますが……もし回避できないならば、私は双方の民衆の支援に全力を注ぎたい。我が星系に発生した星百合スターリリィ権益の半分を、ユーナシアン、ザニ・ガン双方の民衆救済に充てると、ここにお約束いたしましょう」

 星々はざわめいた。

 ヴィンヌジャールの覚悟を、尊敬と疑心の入り混じった驚きが包み込む。

「私は信じます。我が帝国の理性と信義を。そして人民に対する慈しみを。その信念が何度裏切られようと……私は信じ続けることでしょう」

 演説の締めくくりを示す光をまとって、ヴィンヌジャールの姿は消えた。

 議場の星々が、その周りで渦を巻く。

 その輝きは、万雷の拍手を意味していた。


 委員会は、両陣営の和平交渉に移った。

 だが、やはり双方の主張は平行線を辿り、いかなる折り合いにも結びつかない。

 仮想空間で大きく像を結んだユーナス星間連邦代表と、ザニ・ガン救星戦線フロント最高評議会代表は、表情を動かさなかった。

 そして議場の全議員は理解していた。

 彼らだけでこの状況を動かすことなど、できないことを。

 両者の背後で同様に表情を変えない、大きく強力な同盟、条約、連合がそれを許しはしないことを。


 〈千のナイフ〉にある二つの星百合スターリリィ

 それらが生み出すはずの莫大な利益が、許しはしないことを。

 

 紛争は終わらず、総力戦は行われるのだ。


 ヴィンヌジャールは豪奢な自邸の執務室で自我識力拡張環イドエンハンサを外すと、黒檀晶の広大な机に置いて息をついた。

 傍に立った秘書官制服の美少年がその肩に手を伸ばし、凝った筋肉をもみほぐす。

「ペシャル、飲み物をくれ。喉がカラカラだ」

 少年が名残惜しそうに離す手を、主人のむくんだ指が一瞬撫でた。

 ヴィンヌジャールは立ち上がり、テラスに出て夕陽に照らされる領地を眺めやった。

 

 疲れた──

 公家の主として、生き馬の目を抜く星間政治の世界に身を置きかなりの年月が経つ。そこでいくつもの顔を使い分け、いくつもの階層レイヤーを行き来しながら知謀を尽くしてきた。

 かつてよりも遙かにその手練手管は熟していたが、その一つひとつの仕事にかかる負担は歳をとるとともに大きくなっている。

 仕方のないことだ。それより、その知謀の階層レイヤーがより深くなり、大きな権力を手にできていることが大事だ。

 そして、さらにその先を求める貪欲さには全く衰えがない。

 ヴィンヌジャールには自信があった。精神的にも体力的にも、まだまだこれからだ。様々な医学的ケアや銀河中から集めた老化防止薬、精力剤。それに反発場リパルシングワゴンを押してこらへやってくる少年の存在もその一助だった。

 己の貪欲さを維持し続けるための──

 とりあえず、元老院という政治プールの最も表層のレベルで自分の存在感を示すことには成功しただろう。

 ほとんどの元老院議員は、自分を紛争とは一定の距離を置き、星域の平和と安定を願う大公家の主と見ている。そう見てもらうことが、この先のあらゆる計画にとって必要な土台となるのだ。

 

 紛争から距離を置いているように思われるのは、ヴィンヌジャールが一見〈千のナイフ〉が持つ星間権益のポテンシャルに関心がないように見えている──見せているからだ。

 その実、全く違うアプローチで新たな利益の創造を目論んでいることは、一部の者しか知らない。

 それこそ、深層のレベルで進んでいる計画だ。利益の「創造」というよりは「掠奪」に近いプランではあったが。


 飲み物を用意する少年の頭上で、静かにコール音が鳴った。

 空中にホログラム・アシスタントを呼び出して内容を確認すると、ペシャルは主人に告げた。

「閣下、〈東溜都トルク〉星系のローズルン卿から仮想会見のご希望が入っております」

「何? そうか」

 ヴィンヌジャールはいそいそと室内に戻り、隣の部屋に続く大扉に向かった。

「回線を謁見室に繋げ」

 防諜システムを完備した謁見室に入ると、機密回線からの立体像が部屋の中央に現れた。

 西北星域の高級公家、ローズルン家の当主、ピ=ナン・ローズルン。

 褐色の肌に長い白髪を無造作に束ねた小柄な老人だが、その権勢は決して侮れない。

 そして、古くからのラ家の盟友である。何よりもその点が重要だった。

 

「ヴィンヌジャール卿、突然の要請にお応えいただき誠に光栄です」

 ヴィンヌジャールは、大袈裟なほど意外さをあらわにした。

「いやいや、こちらこそお越しいただき誠に光栄です。驚きましたな」

「先ほどの演説は、誠にもって見事なものでした。感銘を受けました」

 ローズルンの賞賛をヴィンヌジャールは満面の笑みで受け取った。

「特に、忘れられがちな民草に思いをいたされていることが素晴らしい。まさにあなたは銀河の守護者、平和の使者であられる」

 民草? ああ、そういう締めかたをしていたっけか。

 公家書記官が書いた演説の文言はしっかり把握していたが、ヴィンヌジャールはその内容にはあまりとらわれる事のないように心がけていた。それが、しっかりと文言を記憶し、語り口の演出に集中するためのコツなのだ。

 現に、目の前の老議員はその効果がてきめんにあらわれたことを証してくれている。

「過分なお褒めの言葉、恐縮しきりです。わざわざお越しいただいてまで……」

 無論、そのためだけでないことはわかっている。

 

 ヴィンヌジャールはその後に続く社交辞令の間、ローズルンが本題を切り出すのをじっと待った。

 そして──

「ヴィンヌジャール卿、私はこたびの〈千のナイフ〉における総力戦によって帝国の景色が大きく変わるだろうと踏んでいます。特に、これまでその中心にあったものが新たな存在に入れ替わるのではないか、と」

 景色、ね。

 ヴィンヌジャールはローズルンの意図をはっきり悟りながら、まだそれを掴みかねているように、あいまいに応えた。

「確かに……今、帝国はあまりに多くの大きな問題に揺れ動いていますな。この星域紛争だけでない。皇帝陛下の地位も不確かなままどうなることか」

 立体映像の老人が深く頷いた。

「まさに、そこです。今、多くの高級公家、特にラ家の権威の焦点が揺らいでいる。レディ・ユリイラも……」

 出るべき名前が出た。

「……弟君の仇討ちに力を注ぐあまり、まわりに不安をもたらしております。今日の委員会にも顔をお出しにならなかった。どうも〈鏡夢カガム〉に蟄居されたまま、恒例の行事も予定もキャンセルされているようなのです」

「それは、それは……」

 ヴィンヌジャールは表情に出さぬよう、事態が良い方向へ向かっていることを感じ、心中でほくそ笑んだ。

「皇帝陛下の審判も結果が知れぬ上、そもそもその場に間に合うかも分かりません。このような状況は決して帝国の安定にとって良いことではありますまい」

「ふむ、確かに。星域の隔たりを超えて憂うべき問題ですな。して、貴殿にはそれに対する良策をお考えで?」

 ローズルンは両の手を差し出すように上げて、話の重点を示した。

「なればこそです。帝国の中央に立つべき新たな人物が必要でありましょう。もし、貴方様にその志がおありなら、私は支援する用意があります」

 ヴィンヌジャールは腕組みをして、渋面を作ってみせた。

 それは内心の喜色を隠し、慎重さと思慮深さを表す態度だった。

「私ごときが……どうでしょうな。もちろん、帝国のためには一肌も二肌も脱ぐにやぶさかではないが、いささか荷が勝ちすぎるのもまた事実かと……」

 ローズルンは、その反応を当然と納得するように深く頷いた。

「わかります。しかし、ぜひお考えいただきたい。また日をあらためて伺います。その時には、当方も具体的な提案をまとめておきますゆえ……」


 長々とした会見の、最後の一分がヴィンヌジャールにとっては値千金の申し出となった。


 ローズルンが去り、執務室に戻ったヴィンヌジャールは秘書官の少年に会議のセッティングを命じた。

 参加者はカンテイル卿、ルージィ卿、他、最も深層の「計画」に携わる全員。


 紛争拡大からの皇帝による星百合スターリリィ管理権召し上げと、その権利の再分配という一大事業においては、確かにしておかなければならない二つの条件がある。

 その一つ、紛争の拡大はもう間違いがない。

 問題は、ネープの長に提示したアサト一世への提案だったが、もし彼女が審判に間に合わなかった場合の対策方針が、ローズルンの申し出によって決まったのだ。


 かねてより、その目があると思っていなかったこともない。

 しかし、これほど迅速にことが進むとは、願ってもない幸運だった。

 ローズルンは自分を「平和の使者」と呼んだ。その裏の顔を知るものは少ないが、ことと次第によっては、真の「平和の使者」として銀河に降臨することになるだろう。


 ヴィンヌジャールはグラスを手に再びテラスに出ると、すっかり夜闇に沈んだ領地を眺めながら呟いた。


「銀河皇帝ドウ=ナ・ヴィンヌジャール、か……」

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