10.ジャナクの〈試し〉
「まったく……何の解決にもならないじゃないの」
ルパ・リュリがため息をついてメガネの男を睨め付けた。役人は完全に沈黙して小さくなっている。
ゲーナンが言った。
「と、とにかくだな。うちの証書の方が新しいんだ。とりあえずこっちを通してもらうのがスジってもんじゃないのか?」
「逆でしょ。どっちも有効なら古い証書の方を優先するべきよ」
ルパ・リュリは反論したが、どちらも自分の主張に根拠がないという自覚があるため勢いに欠けていた。
そこへ──
「ああ、ちょっといいか?」
虎じまの毛皮に包まれた人猫が椅子にぴょんと乗って現れた。
ゲーナンと仲間たちは緊張をあらわにした。
昨日騒ぎに巻き込みかけたミン・ガンを、ルパ・リュリが味方にしたのでは……
「聞くともなしに聞いちまったんだが、要は二人ともあの辻に面した場所を使いたいってことだよな。それなら一つ提案があるんだ」
シェンガは両手を広げて説明した。
「あそこを使う期間をだな、そう、七日とか十日くらいに区切ってかわりばんこに使うというのはどうだ? そりゃずっと使い続けるより稼ぎは悪いだろが、役所の手続きの間まったく使えなかったり、お互いにケンカしながら半端な商売をするよりかは割りがいいと思うんだが」
テーブルに着いた一同がポカンと虚をつかれたような顔をするのを見て、シェンガはさもあらんと思った。
こんな子供でも思いつくような提案じゃなあ……
ほんの数秒間の重い沈黙を経て、先に決断したのはルパ・リュリだった。
「私は賛成。もちろん役所の調整が終わるまでだけど、ミン・ガン様の言う通り、それまで出店でまったく商売できなくなるよりは遥かにマシだわ」
「ううむ……」
煮え切らないゲーナンに、シェンガは凄みを効かせてひと押しした。
「もちろんミン・ガンの調停に納得できないってんなら無理にとは言わねえが?」
「い、いや、そういうわけでは……」
それで話は決まった。
ルパ・リュリとゲーナンは交代で土地を使う日程を話し合い、役人立ち会いの元で土地利用の契約を行うことにした。
役人が半生物の
シェンガも戦士リョンガの名前で立会人として署名した。
「この契約が破られたら、それがどちらの責任であってもミン・ガンのコマンドが両方の店に殴り込むからな」
このダメ押しの脅しに、ゲーナンと仲間たちは色を失って店を後にした。
「ふう、やれやれ。でも助かりましたわ」
ミン・ガン戦士に礼を言うルパ・リュリの元へ、空里もやって来た。
「アンジュ、あなたのご主人様は素晴らしい調停者ね」
「そ、そうですか」
シェンガは空里を指差して言った。
「実を言うと、今の案はこいつのアイデアでね。こんな単純な話でまとまるとは、俺も驚いたぜ」
空里は目を見開いてシェンガを見下ろした。
ミン・ガンの言うことなら皆聞くだろうとこっそり話したのに、なんでバラしちゃうの?
だがルパ・リュリは気にせず立ち上がり、心底感心した様子で空里の手を取った。
「そうだったの! あなた賢いのね!」
「い、いえ。子供みたいな案で恥ずかしいですけど」
「とんでもない。子供の心は大人より柔軟なのよ。それを持ち続けるのは恥ずかしいことじゃないわ。このお礼、必ずするからね!」
その日の昼過ぎから、空里は食堂の手伝いに入った。
厨房では見たこともない食材の下準備に右往左往し、夕方近くには客席の準備にと目の回る忙しさだった。
陽が傾き、そろそろ早い客の来る頃かという時、空里は店の入り口でルパ・リュリが一人の女性と話しているのを見た。自分と大して変わらない年頃のように見えたが、なんとも言えない艶っぽさのある娘だった。
明るい橙色の髪をきれいにひっつめ、へそが出る短いチューブトップにパレオのような巻きスカートという出立ちが、手足を飾るアクセサリーと相まってエキゾチックな印象を与える。大きな緑色の瞳に尖った耳は、まるで妖精のようだ。
「あ、アンジュ、紹介するわ。この
エキゾチックな妖精は指をひらひらさせて挨拶した。
「お話聞いたよ、アンジュ。頭いい子なんだってね」
「い、いや、とんでもないです」
ほんの思いつきから、変な評価が付いちゃったなあ。
「そうだ、ルパ姉。タタオレンジの美味しいところが手に入ったんでお裾分けしたいんだけど、量があって一人で運べないのよね。この子お借りしていいかなあ」
そう言うとチニチナは空里の両肩に手をかけ、抱きついてきた。
いい匂いと背中に押し付けられた豊満な胸の感触に、空里はドギマギした。
女の子同士なのに……。
不思議な感覚に
チニチナはロ・ランと呼ばれる種族で、銀河帝国全域に広く分布するヒト型人類だった。母星を持たない流浪の民であり、さまざまな星系で地元経済に依存しながら暮らしている。橙色の髪に褐色の肌、尖った耳が身体的特徴で、多くのヒト型種族を性別問わず惹きつける。その魅力ゆえ、人身売買の対象となることも多いという。
ルパ・リュリの許しを得て、空里はチニチナと共に彼女の勤める酒場へ向かった。
「ねえ、ミン・ガンの主人てどんなの? やっぱり鞭で叩いたりする?」
チニチナの問いに空里は首を振った。
「いえ、リョンガ様についてはそんなことないです」
「へえ、いいなあ。うちの座長は踊りを仕込むのに鞭を使うんだよね。最近は叩かれなくなったけどさ」
「チニチナさんも、誰かに買われてここに来たんですか?」
「うん。十二の時、座長にね。まあまだマシな方かな。ちゃんと踊れさえすれば、普通に暮らせるし。買われて嫁にされたり、慰みものにされるロ・ランの子も多いからね」
やっぱり、そうなんだ……。
一朝一夕でどうなるものでもないだろうが、そういう子供たちをなんとか減らせないものか。審判がらみのゴタゴタが終わったら、真剣に検討してみようと空里は考えた。
酒場の裏から厨房に入った二人は、タタオレンジでいっぱいのカゴを受け取った。
「美味しそうでしょ。お店でルパ姉と食べよ。その前にちょっと寄り道するから付き合って」
そう言うとチニチナは階段を下り、一段低い裏通りに入っていった。
高い壁に挟まれた裏通りは半透明の暗渠になっており、足元を透かして水の流れが見える。ギアラムの葉を通っている水脈だ。
「こっち」
分かれる水脈に沿って枝道に入ると人通りは完全に消え、突き当たりに小さな空き地が開けていた。
その奥に、長棒を持った大きな影が待ち構えている。
「連れて来たよー」
チニチナは影に向かって声をかけるとカゴを下ろし、空里のカゴも受け取って足元に置いた。
「ジャナク……さん?」
「ルパ姉はカンがいい。俺が行くと何をするつもりか悟られるからチニチナに頼んだんだ」
テム・ガンの女戦士は不敵な笑みを浮かべると、持っていた二本の棒の一本を空里の方に放ってよこした。
「アンジュ、戦いがなくなればいいと言ったな。だがお前が生きてる限り、この宇宙から戦いはなくならないし、必ず戦う羽目になる。それから逃げることはできないし、戦わなきゃ大事なものは絶対手に入らない」
ジャナクは自分の長棒をビュンビュンと振り回し、空里に突きつけるような構えを取った。
剣呑なその様子に空里はおびえたが、壁に囲まれた空き地に逃げ道はない。
「お前、スターゲートの封鎖がいつ解かれるか知りたいんだろ。俺は知ってる。その棒で一撃でも俺に決めてみろ。そしたら教えてやる」
「!」
空里は振り返ってチニチナを見た。踊り子は悪びれもせず肩をすくめて、オレンジにむしゃぶりついている。
「ジャナクはよくやるんだ。〈試し〉とか言ってね。知り合った子がどれくらい強いか知りたいのよ」
ジャナクの棒が空里の眼前の空気を切り裂いた。空里は思わず足元の棒を拾ってそれを避けるために身構えた。
ジャナクは言った。
「俺は、戦いを嫌うお前の性根が気に入らない。嫌でも本気でかかってこなきゃ叩きのめされることになるぞ。そら!」
得物を取ったことで、ジャナクは遠慮なく空里に襲いかかって来た。
だがそれでも、手加減はしている方なのだろう。空里は慣れない長棒でなんとか攻撃を受け止めることが出来ていた。
甘かった……。
やっぱりこの宇宙の厳しい世界で生きている人たちは、いかに自分に近い年頃の女の子であっても、遥かに強い覚悟を持っているし、それを近しい人間にも要求するのだ。
ジャナクの攻撃が激しさを増し、空里の棒を強く弾き返した。
空里はなんとか棒を手放さなかったが、隙だらけとなった腹に強烈な一撃を喰らった。
「!」
思わず膝をついて咳き込む空里に、すかさず次の攻撃が襲いかかる。
「もっと本気を出してみろ!」
言いながら振り上げられたジャナクの一撃で、ついに空里は得物を弾き飛ばされた。返す一振りが肩に決まり、空里は地面に顔を叩きつけられた。
銀河皇帝は泥を噛み、意識を失いかけた。
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