㉓  老いる者たちの門出と核心 





 んがらがらがらん。


「やー濡れた濡れた。うっく、痛ててて、あ、ありがとなカロ。それとちょっと待ってな、火囲いに薪くべてやっから。」


 タウロの家にも火囲いなる一角はあった。

 普段は家に一人でいるため大抵は火事の心配のない火炉で充分なのだが、急に崩れ出した天気の下、濡れねずみが五人半ともなれば大きな直火は必要不可欠だ。

 温かい飲み物くらい配りたい気持ちがあればなおのこと。


「気にしなくていいよ、きみはまだケガ人なのだから。しかしまた降り出すなんてついてないな。・・・あ、タウロ。火くらいわたしが点けよう。」


 あー頼むわ、と言いかけてカロを止める。

 火待ち金を使うのではなく、またおかしな力で火を点けようとしていたからだ。


「おー待て待て。あんたそれやると腹が減るとか疲れるとかってんだろ? どんくらいかは知らねぇが休んでろ。

 けけけ、いいか。こーゆーのは火遊びしたがるヤツにやらせりゃいーんだよ。な、ノル?」


 うひひひひ、ともうオモチャでも手渡されたかのようにおりゃ、おりゃ、と火待ち金を打って火花を散らす少女に顔を向ける。


「本当にすまないな、タウロよ。世話になってばかりなのに礼もできなくて。信者であるなどは他所へ置いて、私に何か手伝えることはないだろうか。」 


 外は小ぶりになっていたものの、そんななか野草を探させるのも心苦しい。

 たぶんこんなにも、それも危険を伴う日巡りを世話になったという点でスナロアも悪いなあと思っているのだろうがタウロ自身はあまり気にしていなかった。


「あーん、じゃあよツノゼ、あんたは金持ってるだろ? 宿賃代わりと言っちゃなんだがスナロアとちんと行った斜向かいの家に行って食いモン買ってきてくれ。


 店じゃないがこの時期だから穀物と野菜はあるから分けてくれるだろ。おれの使いだと言えば別に怪しまれやしねーさ。


 そだな・・・あーんそだな、じゃそこの棚の帽子でも被ってけ。そうすりゃツノも隠せる。」


 なんだボクだけ有料かぁ、と冗談めかしく口を尖らせるも、異常発達した「角」への意外な気配りに心がほどけたようだ。


 が。


 ざく。


「・・・ごめんタウロ。帽子突き破っちゃった。」


 思っていた以上に傷んでいた帽子に思っていた以上に鋭かった角が遠慮ナシに接触したのでこれ見よがしに角が見えてしまっている。帽子から角が生えてるみたいだ。


「・・・ま、アレだ。見ようによっちゃ飾りにも見えるからそのまま行け。」


 え、そう見える?とスナロアにどう?どう?と尋ねるエレゼ。


 飾りに見えなくもない、との返事には本人もずいぶん気を良くしたようで、いってきますと弾むようにスナロアと外へ出て行った。


「で、そのモジャ。先ほどの〔魔法〕のことなのだが・・・」


 ノルの隣であーでないこーでない言っている背中へ声を掛ける。


「ん? なんか言い忘れてた事とかあったかのカロ?・・・いやだからコレはそんなに力入れて打たんでも擦るくらいで火花は出るんだぞぃ。うん。・・・うほ、ちょ、これ体毛だから燃える時は燃えるんだのっ。冗談でもそういうことはしちゃならんぞぃ。


 ・・・あ、えと、何?」


 なに?なに?とノルも真似してカロを振り見る。


「ああ・・・その、わたしはあまり〈契約〉の能力について知らないのだが、時々ふと「こんなことができるんじゃないか」と思うことがあるんだ。

 たとえば火を点けるにしても、こう、乾いた燃えやすいものを指でつまんで、指先に集中して・・・

 ・・・ぐっとやると・・・

 ・・・あちっ。


 ・・・できるんだ。しばらく痺れが手の平まで伝うものの、やはり回復が早いからか、熱さも痛みも感じる前に「普通」に戻る。


 ・・・ただ、とんでもなくお腹が減る。」


 カロとしてはデモンストレーション気分でやってみたのだがノルからモクから横で見ていたタウロまであんぐりとしてしまう。なんだそれ、といった顔で。


「モジャ、わたしが恐れているのはこの不思議な力の種類が増える度に、なんと言えばいいのか、わたしの中で「わたしではない者」の存在を感じる機会が多くなってきた、ということなんだ。

 囚われていた時には生きるのに必死だったからか聞こえなかった、感じなかったものが、回復するにつれだんだんと見えるようになってきてしまった。

 ・・・ヘンなことを言うようだけど、わたしの魂が、わたしの容器に収まりきらなくなるようで、その重荷を誰かに担ってもらいたいような、そんな感覚になるんだ。


 ・・・他者へも「干渉」できるようになってからは、特に。」


 それは怪しくてしょうがない告白。

 しかしそこに嘘の欠片、悪意の切れ端も見られなかった。


 あるのは苦悩にしわを寄せ、絞り出すように言葉を吐き出すカロの正直な姿だけだ。


「ふぅむ・・・他者への干渉とか言ったの。それ、やったことあるのかの?」


 まだ小さな火の子を細い枯れ枝で丁寧に囲う。

 要領の掴めてきたノルにその作業は任せ、モクは振り見てそう尋ねる。


「ふぅ。・・・二度、ある。一度目は捕まる前に、暴行を受けていた時だ。

 殺したいとか倒したいとかではなく、やめてほしくて殴りつけてくる男の頭に触れたとき、突然世界が一変したんだ。


 信じられないだろうが、幼い頃や夢の中でよく訪れる「黄昏の部屋」と呼んでいた金色の空間にわたしとその男がいた。見慣れたわたしでも戸惑ったくらいだから、男も相当混乱しただろう。


 そしてわたしは腰が抜けたその男に近づき、とにかく「忘れて欲しい」と願い、そして告げた。体は触れていなかったような気がするが、よくは憶えていない。

 男は怯えながらひとつ頷くと目を瞑った。

 それからわたしは「黄昏の部屋からもう出たいな」と思い、そう願った。


 気がつくと男の頭に触れた瞬間に戻り、殴られた痛みを思い出していた。黄昏の部屋では痛みを感じていなかったように思う。

 そして時間が戻るというのか、その場所に戻るというのか、また再開された現実が始まると、男は意識を失って倒れた。


 すぐに自分が何かしたのだと思い抱き留めたまではよかったが、その後、男はたくさんの記憶を失ったことがわかり、わたしは落眠薬を飲まされ囚われることになった。」


 コネ族としてもそんな「悪魔の力」で同胞にまで牙を向けるようになった、と思わざるを得なかっただろう。


 どうやらモクたちの推理した「怖れ」だけでカロを罪人としたわけではないらしい。


「つーこたよカロ、あんたはヒトの頭ん中に入って何かできるってことかい? 記憶を失くさせることができんならよぉ、操り人形にだってできるんじゃねーのかいっ?」


 タウロとしても詰問するつもりではなかった。

 カロが自身にとって不利な告白をわざわざしているのだから、これから自分たちを襲おうとしているとも疑っていなかった。


 ただそれと反するように声が荒れたのはたぶん、やはりその未知にして抗いかねるカロの不思議な力に怖れを覚えたからだろう。


「いよいよ嫌われてしまうな。・・・・・・試したことはある。ノルに、だ。

 つらい記憶を持っているから、もしそれだけを取り除けたら、失くせなくとも遠く深い箱の中にしまわせてあげられたら、そう思ってしたことはある。


 ・・・動機はどうあれ、結果としてそれは部分的に成功した。

 だが同時に問題もわかったんだ。

 少なくとも記憶への干渉は当人の意思で「受容」を認めない限り成立しないらしい。

 わたしのことを忘れてくれたらノルは罪人に食糧を渡したりしないで済むのにと思ったのだが、ダメだった。


 ノルはわたしに関する一切の記憶の消去に応じてはくれなかったんだ。

 ・・・情けない話だ。ノルを守れないわたしばかりがこんなにも温もりをもらえるなんて。

 ・・・ふふ、それからだな。ノルのためにわずかでも長く生きていようと、生きていたいと思ったのは。」


 どうやらカロの〔魔力〕は頭の中を覗き見たり、無理やり記憶を奪い去るといった悪趣味な暴力ではないらしい。

 とはいえ一人目の黄昏の部屋での出来事のように、やりかた如何では相手の「受容を認めさせて」葬る、またはどこかへ押し込められる点は憶えておかねばならない。


「なるほどの。今の話、すべて信じよう。・・・だがのカロ。ワシに言いたいのは別の事ではないかの?」


 いやもうねーだろ、イイ話つきで今しゃべったじゃねーか、とタウロがカロを見遣るも、その顔には迷いと不安がない交ぜになった表情だけが浮かんでいる。


「きみの傷を治した時、触れて知ったことがある。

 他の者とも接触したからその違いに気付いたのかもしれないが、わたしのこの膨れ上がる黒い「わたしならざる獣」を容れる器に・・・きみはとても向いているようなんだ。気を失った時に背負ってくれたスナロアやタウロのことは憶えていないのだが。


 黄昏の部屋に引き込まなければはっきりと言えないものの、「カゲ」と呼んでいるこの「わたしならざる黒き獣」を、誰かに受け入れさせたくなってしまうんだ。


 ・・・理解しづらいかな。


 溢れそうになるんだ。黒い水のようなものが湧いて、溢れそうになる。

 しかしそれはわたし一人では抑えきれず、今にもこぼれ出しそうなんだよ。


 それを受け入れてくれそうな容器、そう、わたしには見えるんだ。きみが。


 ・・・ふぅ。

 きみが古来種だからなのか他に理由があるのか、また他に「容器」と感じる者がいるのかは全くわからない。

 ただ、「力」を使うたび膨張するカゲを制御する方法が、今のわたしには誰かに分担してもらって「希釈」するしか思い当たらないんだ。」


 苦しそうに、でも、話さなければならない責任として重たい言葉を連ねる。


「よぉカロ、あんたまさかそんなワカんねーコト言ってモジャをどーにかしよーってんじゃねぇだろーな! おれぁ情を踏みにじって裏切るヤツぁ許さねーからなっ!」


 よく分からないなりに何かを、危険を感じるタウロは詰め寄るように語調を荒らげる。

 一方のモクはというと訝りながらも落ち着いた様子でカロを見上げたまま口を開いた。


「案ずるなタウロ、カロとしてもいま何かワシにやらかそうとは考えていまい。

 とはいえ気になることを言うの。その「黒き獣」とやらを諫めるため、まるで既に誰かを「獣の容器」として用い、そして「希釈」したかのような・・・の。

 ・・・己の口で、己の言葉で頼みたいものだの、カロよ。」


 張り詰める場面に何もできないノルは、ただうつむいて火をイジるだけだった。

 自分が口を挟めないオトナのハナシだとわかっても、カロが何かの理由で責められていること、でも責めているのは自分たちを助けてくれたタウロとモクであることに困惑が隠せないのだ。


 今となっては両者共に信頼できるが故に、その間隙に横たわる笑いや冗談では拭えない痛みのない痛みが、どうすることもできない幼い自分を責め立ててしまう。


「なんでもお見通しのようだな、モジャ。・・・ふぅ。


 先の話で云えばこの「いれぐら」という体は物質的な渇望だけでなく、魂にまでおかしな作用をもたらしてしまうらしい。

 常人には不可能な身体機能の向上や組織の変形、物理的な限界制御の度外視から生み出される〔魔法〕の力も、所詮この身に巣くう魔物よりの桎梏から「解かれて」成り立つものではないのかもしれない。


 ・・・黄昏の部屋でノルの記憶に干渉した時、気を抜いてしまった。

 その瞬間、わたしは感じていたのだ。


 カゲがわたしから抜け出し、猛り狂ってノルの中へ潜り込んでいくのを。

 ノルが拒まなかったことも一つにはあるが、わたしには「それ」を止めることができなかった。そして、軽くなったこの体に薄情なほど安堵していた。


 今のところノルにわたしの中にいるカゲの断片は見られない。


 しかしその後しばらく経ってから「罪」が見える、と言い始めるようになってしまった。

 つまりは〈色の契約〉を交わした状態になったんだよ。


 ・・・だからかな、怖くて、ノルをわたしのようにしたくなくて改めて〈色の契約〉は取り交わさせたよ。近くに「精霊」がいたのは知っていたからね。それにノルも《オールド・ハート》保持者だったから。」


「他者への干渉」が不気味な音を立てて獣の形を闇の中に現していく。

 闇の中に、黒い獣が確かに見える形で描かれていく。


「なんだそりゃ。つーとアレか? ノルは今はどうあれそもそもはあんたの力で〈契約者〉になったってことか? 

 ってかよ、〈契約〉ってのは血でできるモンなんじゃねーのか?」


 とりあえず今カロがモクを襲わないこと、ノルに何かしたらしいがノル自体にこれといって迷惑が掛かっていないことが把握できたタウロは、鉄打ちの見習い、また真正承認の儀式で第八人種と取り交わす〈契約〉抜きでノルが〔魔力〕の一部を手にしたことに疑問を感じたらしい。


「ノル、そうなのかの?・・・そうか。ワシもあまり詳しくはないのだが〈契約〉とは異なる経路で〔魔力〕を呼び覚ました、ということかの。

〈契約〉なら見えざる者たちが生き残りを賭けて共生を求める目的で目覚めさせ・・・  

 休眠子を・・・

「目覚め」、させ、る・・・?


 くぉっ!


 なぜ気付かなかったのかの、見えざる者たちが何故わざわざ「覚醒を促す」ように働くのか、何故わざわざ部分的とはいえ「覚醒させる」手段を選んだのか考えるべきだったのっ!」


 一人合点なのか、モクの頭の上にヘンな丸っこい玉っこいものがピカンと光る。お、なんだこれ食いモンか、とか、あれー「トーシバ」って書いてあるー、とか、おやソケットはどこだろう、とか言っているがもうそのあたりは気にしなくていい。


 がらがらがらん。


「ふひゃー寒かったぁーっ! お、やっと火が熾せたみたいだねぇ・・・ってノルちゃん、だからもうボクは何もしないってば。」


 小雨も手伝って駆け足で用事を終えてきたのだろう。あまり濡れずにスナロアも戻って全員集合となる。


「・・・モク、どうかしたか? あぁタウロ、斜向かいというには少々歩く家の娘からのことづてがある。



「もう湯浴みの時に覗きはしないで」



 だそうだ。

 ・・・・・・・・・・・・こればかりは他人の私からもお願いしたいな、タウロ。」


 そして

 しーんとなる。


 しーんとなって、ふーん、となる。


 タウロならありえるよねー、みたいになる。


 ただその一方のタウロは最近めっきり口をきいてくれない理由がそれだったということに並々ならぬ衝撃を受けていた。バレていた、ということも含めるとあの子の前でやたらカッコつけてた自分がもう恥ずかしくて恥ずかしくて早く布団に入りたかったほどだったとか。


「タウロ。・・・いや、さておきスナロア、ワシ、すごいことに思い至ったんだの。

 ええとの、あ、ま、ちと伏せるトコがあるがの、いれぐらというものは特定の条件下で〈契約〉とは無関係に〔魔力〕を他者に与えるというのか、呼び起こせるらしいんだの。


 で、見えざる者、あるいは第八人種と呼ばれる者たちが〈契約〉によって〔魔力〕を与えることは知っているの? 

 そこで疑問が出るのだ。


 なぜ、「すべてがこの〔魔力〕に収束してゆく」のか。」


 モクとしては伏せたつもりだったカロの他者干渉能力はそこで瞬く間にスナロアにもエレゼにもバレてしまうも、その問いかけはスナロアの心に火を点けていた。


「つまりそれは、まるで意志や意図である、と言いたいのかモク?


 休眠子から一足飛びに〔魔力〕を手にするいれぐらや、遺伝の中で浮き沈みしては〈契約〉の資格を保つ《オールド・ハート》、血聖子も、いわば、と?


 ・・・確かにカロのような顕著な発現ひとつ取っても〔魔力〕を持たねばならない理由もないか。

 それに第八人種の感染による相互の共生にしても、別に宿主に〔魔力〕を与えねばできぬわけでもない。王斑の部族やエレゼの部族とて、過剰代謝や〔魔力〕の遺伝を望まねばならない道理もない。


 それにも拘わらず〔魔力〕にすべてが収束されるのはなるほど、元々が「その意志」に則っているからと考えれば腑に落ちるか。


 いれぐらの不思議な力、〈契約〉による器官の発達、過剰代謝という負担を背負いながらもこの能力を効率よく発揮できるための下部構造・・・

 それら足し引きをひとつの〔魔力〕と考えれば全てはまったく同じ方角を向いていることになる。まるでどの梢をなぞっても一本の幹へ辿り着くように。


 ・・・ということはつまり、


 、ということか。」


 てんでバラバラだった奇病やおかしな力を、「いれぐら」を軸に〔魔力〕という形で嵌め込んでいくと答えはおのずと出てきてしまう。


 その説が正しいかは明瞭でなくとも、いれぐらの力と〈契約〉の力、閉ざされた村で引き継がれてきた力には「新しく獲得した能力」というには似つかわしくない共通項・〔魔力〕がある。


 そうなればこの〔魔力〕なるものが「与えられた力」と考えるより「元来持ち合わせていた力」であり、機会機会で「目覚めさせられている」と筋道を立てる方が素直だった。


 しかしそれはつまり、かつてヒトが〔魔力〕を保有していたという過去と、それを文明や文化によって捨て去りながらもまだ、その復活を目指している現在と未来をよぎらせる。


「ふーん、なるほど。なんだか大ごとになってきたねぇ。・・・ねぇ、もう干し練り茹でていいかな、お腹空いたよぉ。」


 分けてもらった野菜も煮え、保存用に取っておいた干し練りをちぎって入れるには頃合だ。話に夢中になっていたスナロアとモクとてそのお腹はカロと同じくらいぐーぐー鳴っている。


「そだな、まずはメシにしよーぜぃ。」


 そうしてあまり興味のないエレゼともうやめて欲しいタウロは椀を並べて信者たちを上がりかまちへと誘う。


「あぁ、そうだねタウロ。・・・ご馳走になってばかりで、なんとお礼を言ったらいいか。」


 視覚を用いずにどうしてこうも滑らかに動けるのだろう、そう疑問を抱かせるカロでも、椀の汁に指を突っ込んで「あちっ」とやれば愛嬌がある。


 怪しさたっぷり謎こんもりの男だが、この日巡り一つ二つの小さな大冒険を経たタウロにしてみれば仲間のようなものなのだ。


 ありふれた、器や像を打ち続けて静かに一人食事を摂っていた毎日に、それは刺激的すぎる刺激だった。突然届いたワンダーランドの招待状に一宿一飯の恩だの礼だのは無用の長物なのだから。


「気にすんなってカロ。蓄えならあるんだからよ、ツノゼが。」


 あーなるほど、とエレゼを見る。

 そりゃそーだよね、とみんなで見る。

 エレゼの笑顔が氷の世界に閉ざされる。


「スナロア、「いれぐら」の話で思い出したのだけど「忘れな村」は実在するのだろうか。

 あの、なんというか、暴力的で高圧的で邪悪な感じではない方の信者とそんな事をちらと話したのだが。」


 カロとしてはインパクトの強すぎるダジュボイに完全に印象を持っていかれたジニのことを言っていたのだろう。

 ただその気持ちがよくわかるので皆はぽわりとジニの顔を浮かべてやる。あーそんなヤツいたよねー、みたいに。


「骨野ヶ原か。ジニのように詳しくないがそこにも疎まれた者たちがいるとは噂程度に聞いたことがある。〈ムスト〉という〔魔法〕のような術を使う者もいるとか。

 順路から外れているのもあり私たちもまだなのでなんとも言えないな。

 ・・・カロ・・・行くつもりか。」


 言うまでもなく最も早急に考えなければならないのはカロたちの身の振り方だ。


 その姿から町や村で働くのは不可能だろうし、コネ族に見つからずとも下奴婢楼から狙われれば断るにしても揉め事になる。

 とすれば未だ見ぬ安寧の地を求めるよりなかった。


「うん、そう考えてはいるんだ・・・。それからエレゼ、きみも一緒に来てほしい。

 たぶんきみにとってもこの「賭け」は乗って損をするものじゃないと思うんだ。」


 にぇー、とすこぶるイヤな顔をするノル。


 しかしカロの言うとおり、ノルと二人だけでは明日の食事もままならない。

 他方ここまでついてきたエレゼが仲間や心許せる場所を求めているのは筒抜けだ。

 あとは存在するか疑わしいその村への旅に賭けられるかだけだった。


「いいねぇ。・・・だけどねカロ。もし村がなかったらその時はボクに従ってもらうよ?

 ボクらが生きるには・・・そうやって稼ぐしかないんだからね。」


 ヒトを殺めて金を受け取る。

 それを信者の前でことさらに宣言するのはその現実を知ってもらうためでもある。

 そして同時に、そうしないで済む世界をエレゼも望んでいるのだと示したかったのだ。


「のう、スナロア。」


 普段はあまり食べずとも腹の膨れるモクが三度目のおかわりをしてぼそりと言う。


「順路をもう少し進んでからにしよう。このご時世だからなるべく新鮮な情報を一度仕入れておきたい。

 ・・・行ってみたいのだろう、モク。ふくく、私も同感だ。」


 順路を外れたい、そんなワガママでこんな事件と仲間に出会った。

 モクやスナロア、その他多くの信者が目指す神徒への階段からまた遠ざるのに、二人の信者は味をしめてしまったようだ。道草のその、未知の味に。


「かっはっはっは。おんもしれーなあんたら。おれぁ〈契約〉だの〔魔法〕だのユニローグだのってのにはとんと興味ねぇがよ、んなワケのわかんねぇ話ばっかってのもおれが世間を知らねーからなのかもな。

 ま、おれはココで仕事してんからよ、何かあったら駆け込んでくりゃいーさ。ただの鉄打ち職人だがあんたらの冒険譚に混ぜといてくれよな? ふふ、んじゃ寝るか。」


 そう言って暖の取れそうな上っ張りをあるだけ引き出してそれぞれに渡す。


「だの。ワシ、へとへとだのん。」


 通常より急がされた治癒のおかげで体じゅうが沈黙を求めていた。

 そしてそんな夜の魔法にいち早く取り込まれたモクから順に、背負うものから解き放たれる世界へ一同は静かに静かに落ちていった。


 新たな旅立ちの朝へ向けて。


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