⑱ ノルとタウロ
とんとん、とんとん。
てけてけと早歩きすること数刻、泣き疲れることのない雨雲は木陰を選んで歩いたモクをすっかり濡れネズミに仕上げていた。
「あいよー、っと。おーなんだあんたズブ濡れじゃねーかよ、入りなコノヤローっ!」
モクと同じかちょっと上くらいの歳の男が作業の手を休めて奥の工房から出てくる。
木工細工を並べた店先に売り子もいないところを見れば、治安はいいが人手不足ということは伺えた。
「ぬお、すまんの主。ワシ、この通りイモーハ教の信者で行脚の途中なんだがの、ちと手伝ってほしいことがあって訪ねたのだ。というわけで来てくれんかの。」
おーこっち来な、とやる職人の手を取り強引に連れ出そうとする。
強引な上に怪しさは抜群だ。
「おちょ、待ちなってっ! なんでぇ突拍子もなく。まずあんた誰だ。なんでそんなモジャモジャなんだ。ま、それはいいが何がしたいんだ?」
世話好きなのだろう、主は不審極まりないモクに出ていけとは言わなかった。
「うーむ、急ぐのだがの。ワシはモク。事情があってヒト助けをすることになったのだが、なるべく内密にしたいのだ。
ここの[打鉄]屋なら神殿とも縁があるので頼りになるだろう、とこういうわけで来たのだの。連れ手が今そのひーひー言ってる者をここへ運んでいると思うのだがの、おまえさんのような色男の力持ちが来てくれると助かるのだがのぅ。」
二人ないし三人一組の「連れ手」を伴い行脚するのが信者の慣例だったため一人で訪ねたモクに多少訝ってはいたものの、わりと軽い感じのその職人はそうか、それなら、と言ってモクの背中をばしんと叩いた。
たぶん、うれしかったのだろう。褒められたのが。
「うし、事情はわかった。わかってないがヒト助けってんなら手伝うとしよう。
おれはタウロ。・・・あー。いーんだよ店なんかよっ。どーせ誰も来やしねぇんだからな。かっはっはっはっは。どれ、いくべ。」
うわー豪快でやりやすい男だな、と感心しながらも、やはりこんな男が詐欺にも遭わずにのうのう暮らしていられるのだからさぞかしこの村は平和なんだろな、とつくづくモクは思うのだった。
「・・・タウロよ、なんかおまえさん、いずれ心やさしいおじいさん・・・まぁいいかの。
しかし急な申し出で悪かったの。見たところ一人で暮らしているようだが?」
傘といった高価なモノのないタウロは油笠をモクに括りつけると、自分は萱の蓑をかぶってジャクジャクとぬかるむ道をせっせと歩く。
さらしで巻いただけの上半身ながらその筋肉質な体つきがそう思わせるのか、冷えているようには見えない。
「親は早くに逝っちまったのよ。んでも技術は叩っ込まれてっからな、ウデは信用していいぜぇ? ついでにおれ自身も信じていい。
んでイモーハってのじゃねーが、その源泉のカラカラの教えの方には信仰もある。コレも叩っ込まれたモンなんだがやっぱその方が性に合ってんだ。
・・・あ、いや、あんたらイモーハ教信者がどうってんじゃねーよ。悪ぃな。」
ざっくりした性格らしいが信は厚いようだ。
「うははは、構わんぞい。実はワシらもどっちかと言えばカラカラ寄りなんだからの。原理主義に舵を取りながら神徒を目指しておるのだわい。うっはっはっはっは。」
そんな性格だからだろう、反目する改浄主義優位のご時世でこんなにしっかりと口に出したのはスナロアとその弟の他にはいなかった。
そして布教を常とする行脚修行で、類型上イモーハ教とは異なる「カラカラ」寄りだと一般の者に漏らしたのはこれが初めてになる。
人懐っこさからモクを慕う者は多かったものの、がつん、と魅かれる何かがあるといよいよ包み隠さず話してしまうのはモクの長所であり短所かもしれない。
「いいねぇ、あんた。信者ってーと杓子定規のカタブツばっかだと思ってたからな。はは。
・・・なぁ、話してくんねぇかい。その事情ってのをよ。」
出会ったばかりのモクの人となりは大変気に入ったものの、生活のあるタウロに危ない橋は渡れない。
在るように在れ、と「カラカラの教え」「イモーハ原理」共通の一言は気安く口にできても行動に移すには「生活」という観点からしがらみが多すぎるのだ。
「・・・だの。ふぅ。
・・・おまえさん「ハルト」って知ってるかの。・・・うん、おお、よく知ってるの。ま、そんなトコだの。
まぁ簡単にいえば体や心に不具合のある連中といったところなのだがの、おまえさんも知ってる通り、稀にものすごく奇体な者が産まれたりするのだ。
そして身体的特徴があまりに酷い時は――まぁ醜い時だろうの、多くは産まれたその時に村や町の長などが「生葬」と呼ばれる儀式を行って、まぁ、その、・・・殺すのだ。
親には死んでしまったとか言うらしいがの、正直、ワシにはそれが正しいのかどうかわからん。それらに関する議論は教会内でも二分するほど拮抗しながら続いてはいる。
だがの、結論は未だ出ておらぬし、たぶん出すつもりもないのだろう。それぞれの村の裁量に一任する形で黙認しておるようだ。
・・・大体わかるかの。
育ってしまった、というとちょっとアレだがの、異形のまま育った者がそんな中でも当然おるのだが、そのほとんどは蔑まれ続けるわけだ。
ヒトの中には「ただ異形」というだけで罪と断ずる者たちさえおる。
彼らには彼らなりの価値観があってのことと頭ではわかるのだがの、それもヒトの生きる道なのだと納得しようと思うのだがの、どうも、解せなくての。
・・・・・・助けてしもた。」
てへ、とやるモク。
ごつん、と殴るタウロ。
二人はもう、仲良しだ。
「すまん、なんかつい・・・まーさておき、やってくれたなぁモジャだっけか?
要は罪人になったハルトを救っちまって、自分らでどうしようもねーからおれンとこに来たってんだろ?」
こいつ面白いの、とモクは笑う。
他の村とはいえそこで「罪人と決定された者」を逃がしていると説明したにも拘わらず、タウロはその歩を緩めなかったのだ。
「その通りだの。・・・引き返してワシらのことを密告するのも自由だがの、やらないでほしいのが本音だの。」
カッコはつけない。
それがだから、タウロを惹きつけてしまう。
「しゃーねぇだろ、ったくよぉ。んでアレだろ、あんたの言ってる連れ手と罪人ってのは・・・ん? あのちっこいのも罪人か?」
ん?とやるタウロに、ん?とやるモク。
目を凝らせばノルがスナロアの後をよちよち追いかけていた。
「あぁ、モク。・・・そちらは[打鉄]屋の主人か? いやぁ、疲れた。」
激しさを忘れた空模様に体温を奪われる心配はなくなったものの、弱っている罪人にも背負ってきたスナロアにも暗く冷えた林道はやさしくなかった。
「おーおー大丈夫かい信者さんよ。・・・うよっこら。おれはタウロってんだ。それよりそのちっこいのは?」
スナロアのマントでくるんだ罪人をタウロが背負い、また来た道を戻ることにする。
とにかく雨風の凌げる場所に行かなければ疲労に弱った体はどんな病気でも受けつけてしまうから。
「・・・すまないモク。私には、追い返せなかった。・・・ダメな大人だな。」
ぎゅっと拳を握るノルはびしゃびしゃの体を気に掛けることなく今度はタウロの後ろについて歩き出す。
「それを罪と呼ぶなら呼ばせてやればよい。神がその声で断じたのでなければ、もはや己で決めるしかなかろ。
所詮ヒトが裁くヒトの罪など神の前では茶番に過ぎん。ワシらはワシらで信じて歩もう。
そんで今は、裁く裁かんより救う救わんが先なんだの。スナロア、おまえさんは生真面目すぎだの。」
そんな生真面目さを少しでも分けてあげたいモク。
だがのらりくらりとしたこの男の言葉だからこそ慰められることもある。
「かも、しれないな。ふくく、確かに今は命が先だ。」
そう言ってぽんぽん、と背を叩くモクに疲れた微笑を返すスナロアはもうひと踏ん張りしてタウロの家へと歩いていった。
がらがらがらーん。
「とりあえず中に入んな。お嬢ちゃんも。」
すっかり暗くなった村は雨も手伝いヒトの陰も声も失われた廃村のようになっている。
とはいえこれからずっと世話になるわけにもいかないだろう。そう思うと取れたような疲れもぶり返してきてしまうものだ。
「へっぶしっ!・・・おぉスナロアすまん、ちょっと鼻水が・・・
しかしさすがだの。この雨の中ちゃんと火燈りを濡らさずに持っていたとは。」
タウロが部屋に火を燈すより先に、提げていた火燈りを掲げるスナロアは「オメなんてことしてくれてんだ」という顔でモクを見つめる。
たぶん怒ってはいないのだろうが、怒っていないと言い切れる自信はない。
「あの、あの、このヒト・・・だいじょぶ?」
その灯りを借りて部屋の吊るし灯りへ火を燈すタウロに、そして二人の信者に、おろおろしながらノルは尋ねる。
しかし横たえられた男に生気を見るのは難しかった。
「鉄打ちタウロ、勝手ばかりですまないが何か食べものを分けてくれないか。私たちは保存食がまだ少しあるから要らないが、この男とノルに、温かいものを少し恵んでほしい。」
余ったらワシもほしい、みたいな顔でモクも頼む。
そんなふうに奇人の男を救おうとはしてみるものの、心のどこかで「ここで息絶えてくれたら」と思わなかったわけではない。
これからのことを考えれば「悲しい運命に翻弄されて死んでしまった」の方がこぎれいに片付くから。
そんな不謹慎な想いが心を去来するのとしかし同程度に、それ以上に、やはり助かってほしいと思う気持ちもあった。
それも率直に言えば、助けてみたい、救ってみせたい、といった歪んだ欲求の昇華が見せる偽善にすぎない。
しかしヒト助けの前に思い上がりも建前もありはしない。
「かっはっは、いいねぇそーゆー人情モン。
ウチの村じゃトンと見られねぇからなー、おれも仲間に入れてもらうか。一生にいっぺんくらい死に際まで語れる武勇伝を持ちてーってのは誰でも憧れるこったろ?
ま、おれぁ華がねーから主役ってワケにゃいかねぇがな、名脇役にはなれるだろさ。
・・・あんまし栄養のある食いモンが出せない類の。」
というわけで、あんまり栄養のある食いモンが出せない類の名脇役により食事の支度がなされる。しかし冷えた体を温める汁とその温度が漂わせる匂いにつられたのだろう、びしばしと顔をはたかれた罪人はゆっくりと再び目を覚ました。
そしてびしばしやっていたモクを向こうにぶん投げた。
「えぐ、なんだ、わりと元気だの・・・って、いただきますくらいは言って食べんかっ!」
向こうの方に転がるモクはぶつぶつとそう言いながらも目を細め、火炉の前に座る一団の元へ戻ってくる。
金属細工の鋳造に使う炉であっても、それは温かな野菜や穀物の汁をたくさん作るかまどの代わりにはもってこいだった。
遥かな昔には火を扱う作業所が神聖な場として職人以外の出入りを禁じていた時代もあったが、合理化の中でそういった伝統は失われていった。だが美味くもない汁をほお張る男と、それをうれしそうに眺める子ども、そしてその二人を見守る信者を前にすると、タウロにはそんな伝統などちっぽけなものに思えてくる。
金属細工を生み出す火炉の前で暖を取り汁を炊く。
そんな光景の方がずっとずっと尊く、そして美しく見えた。
「そうそう、自己紹介が遅れてしまったな。私はキミシ族のスナロア。モクとは連れ手で布教行脚の名の下、さまざまな村や集落を訪ね、見聞して回っている。
ただ私たちはどうもはぐれ者なのだろうな、慣例の「行脚順路」を外れて歩いているため他の者より出遅れているところだ。ふくく。
そしてこの娘はこの男の囚われていた洞窟へ案内してからの付き合いなので多くは知らないが・・・察しはつくと思う。名はノル。」
泥汚れは雨に落とされたものの、顔と手足に残るアザや傷までは隠しきれないでいた。
「ふーん、そっか。それよりあんたらこれからどーすんだい? 一晩二晩なら面倒みても構わねーがこんなトコだ。すぐに村じゅうに漏れちまって匿うなんてできねーぜ?」
せいぜい旅の者が立ち寄るくらいの静かな村だからこそ、いつもと異なる出来事に嗅覚は冴えてしまう。
次第によっては罪人を逃がした、子どもを連れ去ったなどと云われかねないし、そうなれば話がこじれるだけでは済まなくなるだろう。
「医法を学んでいる者がおると助かるの。ワシらでは救えんし、医法師が手を貸したくないと断ればそれでこの男も終わりだの。できることとできぬことがある以上、そこはわきまえておる。
ただ、できることはやっておきたいのだ。
ノルに関してはそのあと考えるとするわい。いっぺんに二つも三つも考えられるほど余裕はないのでの。」
よほど腹が空いていたのだろう、横の罪人はこうして話している間も掻き込むように椀を空けてはよそい直して流し込んでいた。ただならぬ形相で。
「医法なら森の奥の先生んトコ行きゃー騒がずに診てくれるだろ。案内すんのも遠かねぇからいいんだが、必要か? なんかやっこさん、エライ病気に罹ってるようにゃ見えねーんだがなぁ。」
おー確かにそーだのー、などと感心するモクをよそに鍋を空にして火炉のまん前に座る男のマントを、そっとスナロアはめくってみせる。
「っ!・・・ちょ、おい――――」
「たぶん大丈夫だタウロ。ノルは私たちより長くこの者と接してきたようだが異常は見られない。」
ぬおう、とタウロとモクが仰け反るのも無理はなかった。
男の体にはアザとは違う、無数の黒い斑があったのだ。
「なるほどの。・・・謎の虹目に謎の斑。「悪疫をもたらす者」と見なされるのも道理だの。
虹目はどうあれ斑は病気の兆候になぞらえるにはおあつらえ向きだからの、とするなら発症は後天的であろうし、感染するものならとうにこの男の村はみんな斑だらけだの。」
自分にスナロアたちが奇異の目をくれていてもなお、男は火炉の前でみじろぎもしなかった。
「ねー、あつくない? んー。こんなかろのまえでねつはかってもあついまんまだよ。」
そこへちょこちょこ、っと寄っていって男の額に手を充てるノル。
ただ火に近かったため熱があるのか解らなかったようだ。
「しかしやっこさん、しゃべんないなー。ってか虹目って何よ?・・・うほっ!」
すると湯で戻したそっけない干し練りをつまむタウロに、ぶん、っと振り返りその目を開いて男は見せてやる。
そんな七色に光る眼球が火炉のシルエットに覗くとちょっと気味が悪かった。
「さっきはちょっとしゃべったからの。たぶんワシらの話は聞いているだろうの。
ま、話したくなったら話すだろうし、聞かねばならんことがあればそれは答えてもらうつもりだの。ん? なんだノル。」
スナロアやモク、タウロをしげしげと眺めることのなかったノルも、落ち着きを取り戻し改めて見るとやはり気になるのだろう。
ユクジモ人、というだけでも珍しいのに、古来種でもあるモジャモジャのモクが。
「あのさ、おじちゃん、なんでおじーちゃんみたいなしゃべりかたなの?」
うほ、そーいやそーだ、とタウロも食らいつく。
実はずーっと気になっていたスナロアも気のない素振りで耳を傾けていた。
「・・・ほら、いろいろあるからの。いくら歳が二十余円といってものぅ・・・あ、それでも、おヌシって言わんようにしてるしの。
だってそんなこと言ったらタウロ、おまえさんなぞ・・・いや、なんでもない。」
なんでもないことにする。でもあまり空気の読めないスナロアが続けちゃう。
「あぁ、確かに。なんだかきみは孫想いのやさしいおじいさんになるような・・・」
せっかくだからノルも乗る。
「さいしゅーてきに「キペ、~なんだよ」とかしゃべりかたまでかわるきがする。」
火に当たっている男もまた振り返って深く深く頷く。どうでもいい。
「おーおーなんだよあんたら揃いも揃って・・・な、なんか転機になることでもあったんじゃねーの? 知らねーけどよ。
・・・まぁいいや、とりあえずもう寝るべ。明日には先生んトコに連れてってやっからさ。虹目の、あんたも休みな。火は好きに使っていいからよ。」
言われずとも手近にある薪をくべて虹目の男は火炉の前で横たわっていた。
そんな男の傍で眠りたかったノルも椀を空けるより先に目が閉じている。
田舎の夜は早い。
部屋が夜空と同じ色に染まればもう寝息と寝言が並ぶだけだ。
ぱちぱちと爆ぜては揺らめく炉の火が心なし罪人の体に引き寄せられていたとしても、それに気付く者はいなかった。
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