⑮ ダジュボイとルマ





 そうして一同がとりあえず丘を下りひと心地つける所まで避難すると、ようやくハイミンの全体像が視界に収まる。


 振り返ればハイミンの火ももう燻ぶる程度に収まっていた。



 そこへ。



「あーあ。随分なことをしてくれたねぇ。」


 ぱからん、と丘を上ってきたイカ馬から寝ぼけたような声が落ちてくる。


「誰がやったんだか判らねぇんだがよ・・・って息子さん。あ、パシェも・・・そういやニポはどうなっ・・・」


 死んだような、目を虚空に漂わせるキペとその腕に抱かれてぐったりしているパシェに目がいき、毛も逆立つ怖気がタチバミに走る。


「てめ、ボロウ、テンプっ! パシェと息子さんを救――――」

「よしなさいってタチバミくん。・・・錘絃がなくても、ね。ボクの過去は知ってるでしょ?」


 片手に手綱を持ちながら、もう片方には鋭く光る物で子どもの首根を狙っていた。


「エレゼあんた・・・いったいナニ考えて・・・」


 ご、ごごご


 そこで地鳴りのような音が鳴る。


 ぐご、ごごご





「みゃんっ、なんだっ!・・・っててて。」


 同じ頃、唯一看護されていなかったアヒオも飛び起きる。


「ふん、永久に寝てればいいものを。そうだ、目を覚まさせてあげようかねぇ。えいっ。」


 アヒオの腰提げ袋から拝借した赤沙を少量つまんで投げつける。


「ほがっ・・・てめ・・・ほ、ほがっ、根暗ダンパ・・・目はもう覚めてるってんだよっ!」


 加減は心得ているため減らした量も、訊きたいことがなければごっそり一掴み投げつけてやりたいところだ。


「ほう、不幸にも起きてしまったようだ。・・・あ、すみませんねぇ、こちらのちっこい子も頼みます。


 まったく、そこのミズネの娘さんは起きないしこの子は起きても話せないから仕方なく世話してやってるんだ。ふん、感謝しろ脱走兵。


 それより何が起きたんだ? 『ヲメデ党』のキペ君だったか? 彼とクソ小娘が錘絃弾きと一緒にいなくなってるんだが?」


 呼んできた医法兵にリドミコを譲る。

 アヒオはその兵にありがとうを言い、ハクは「ボクにもだ」とまた赤沙を投げつける。


「ほがっ・・・よくは憶えてないが、エレゼが〈音〉を操ってこのザマだ。

 キペには効かなかったようだがな、いつだったかその小娘に用があるとか言ってたから連れて行ったんじゃないか。

 それよりこっちも訊きたいことがある。この地響きみたいなのはなんだ?」


 手足を伸ばしたりあっちこっち触ってみて、「痛いところヘンなところはある?」の問いにぶんぶんとかぶりを振るリドミコ。

 アヒオにしてもリドミコにしてもエレゼの〈音〉の後遺症のようなものは伺い知れなかったが、主だった障害はないようだ。

 他方、未だに目を開けないニポは〔こあ〕操縦の負担に体が休息を求めているのだろう。


「さあねぇ。だが丘の上が煙が上がるほど騒がしかったからねえ、見てくるつもりだ。ウチの総長も心配だからな。

 ・・・動けるんなら助けてもらった恩くらい返せるだろ? 相手の数も実力もわからないトコじゃボクのウデでも支障が出る。役に立てよ、役立たず。」


 リドミコの中の第八人種の件もあって行くつもりではいた。

 だが、できれば穏やかになってからにしたかった。


「ちっ。素直に言えよ三流。アナタがいないと負けちゃいます、ってよ。」


 それでも正規の医法兵にリドミコを診てもらえたこと、それから多少なりとも情の涌いたシクロロンへの心配もあったためハクの跨るタコ馬にアヒオも飛び乗ることにした。


「じゃ、リドを頼む・・・ってリドっ?」


 ふにゃふにゃと歩き出し、そしてタコ馬の足をよじ登ろうとする。

 アヒオとは、もう絶対に別れたくなくて。

 危険があっても何があっても、一緒にいたくて、よじ登ろうとする。


「おいムシマこの子どもをどかせろっ! 危ないだ・・・・・・手布を貸してやる。・・・いやいい、くれてやる。だからしゃっきりしてくれ、ムシマ。」


 そんないじらしいリドミコを見れば当然ぐしゃぐしゃになるのがアヒオなのだ。

 遥か昔に耳にした「暗足部の次期部頭」がこうもふなふなになるとさすがのハクでも当惑するらしい。


「うん。やっぱリドはおれと一緒がいいか。そうか。大丈夫だ。完璧に護ってやるからな。このネクラを盾にしてでもちゃんと守り抜いてやるからな。うん。だいしゅき。」


 だのであはんっ!と絶句するハクと医法兵。

 とはいえあまり構ってもいられないから何かの聞き間違いだということにして視線だけは力ずくで反らしてやった。


「待て、連れていく気かムシマっ? ちっ、もういい、時間がないんだ。医法兵さん、ニポさんとかいったか、そのミズネの娘を頼みましたよ。」


 それだけを残し、止まない地鳴りの震源地へハクは馬を走らせた。



 時を同じくして浮島全体に、それは鳴り渡る。



 ++・・・んだなあ。しか・こ・・めが・めた++



 大きな流れのような、うねりのような声が大気を鳴らして深く伝う。男とも女とも、子どもとも老人ともつかない声の主はだからこそ、それがハイミンであると確信させる。



 ++・・いみん。めざめたのですね++



 続いて響いたその声には数人の者が振り向いた。


「タチバミ、これは・・・? ウィヨカが来ているのか?」


 ウィヨカが〈音の民〉であることは知っていたものの、こんな芸当ができるとはボロウもタチバミも知らなかったようだ。


「まさかな。・・・それよりもよーエレゼ、話っくらいはしてもらえるよな?」


 変わらずパシェにナイフを突き付けるエレゼへ目を移す。

 気掛かりなのはハイミンよりもパシェだから。


「予想外だよ。お師匠さまが死んでからハイミンは周期を乱していたし、昔ボクが無理やり〈音〉で叩き起こそうとしてからはボクの鼓動か何かを聞きつけて覚醒を嫌がっていたからね。「パシェちゃんの中のお師匠さま」がそういうのを相殺してくれてるのかもしれないけど・・・


 まさか、語り部の候補が来ているのかな。」


 エレゼのいう「お師匠さま」が大白狼サイウンであることは聞いている。

 ただ語り部について、あるいはそれとメタローグの関係については知る由もなかった。


「・・くほんっ・・・はぁ、・・ククク、察しのいい楽器弾きだな。

 そうだっ!

 ここにはハイミンの気に召すよう三人ものフロラオールド・ハートが揃っている。精鋭すべてとはいかなかったがな、これだけいれば充分だ。ククク。」


 背中から下ろされたルマが喉を押さえながら怺え切れずに笑い出す。


「くっ、どこまでバカなんだルマっ! オマエ語り部になれる割合がどんなモンなのか知ってるのかっ! なれなかった者の末路を知ってるのかっ!」


 尻をついたままのルマにダジュボイは掴みかかり、その襟首を締め上げて声を荒らす。


「フン、知るものか。だがなダジュボイ、語り部となればハイミンと語れる事実はかつてこの組織にいた〈契約者〉により掌握済みだっ!

 はっはっは、そして対話をもって統治を認めさせたのなら我ら『フロラ木の契約団』はこの地を、このハイミンを崇拝する者たちを統べることができるっ! これこそ我らユクジモ人が団結し独立する最速の正道なのだっ! かっはっはっは。」 


 結束のためだからこそ、ハイミンを切り裂く暴挙も兵の犠牲も度外視できたのだろう。

 神木といえどルマの前では小道具に過ぎないのだ。


「おやダジュボイくん、そこのルマくんにはまだ大事なことを伝えてないんだねぇ。

 ふふふ、メタローグを何かの象徴やユニローグの足掛かり程度にしか理解してないようだよ?」


 すべきことのあるエレゼもルマの見せる態度がおもしろくなかったのだろう、馬上から見下すようにして笑いかける。


「貴様、楽器弾きっ! ルマ様になんたる暴言かっ! 者ども、この無礼千万なファウナを八つ裂きにしろっ!」


 まるでこれ以上知られぬようにとキビジが脇差を構えて走り出すも


「「ちょっと待って。」」


 それを制するテンプはカクシ号でキビジ他五名を確保する。

 未だ『フロラ』軍本隊が辿り着かないこの状況下では、『ファウナ』側のダジュボイと元・『今日会』の圧倒的優勢は揺るぎなかったものの、やはり流血は避けたかった。


「よぉエレゼ、オマエが何を企んでるのかは知らん。だがな、オレたちの邪魔はしてくれるな。


 それからチビジ、オマエもいい加減にしろ。


 カセインは強硬なオマエら相手にできる限りの譲歩はしていたはずだぞ。スナロアから指示を受けているのは、未来を託されているのはなにもオレ一人ってんじゃねぇ。


 いいか、穏健保守の姿勢をカセインが緩めてるから今の『フロラ』がこれほど成長したんだ。

 ルマ、オマエはバカだから知らんだろうがな、ユクジモの中にもファウナ系社会に迎合しようとする革新派はいるんだぞ。


 戦や争いに疲れた民衆は自らの犠牲を疎みながらも希望的観測を棄てはしない。

 ファウナ系社会に入り存在価値を提示し、公に認められ貢献していけば惨たらしい虐殺や差別と訣別できる、そう革新派に諭されれば頷く者も少なくない。


 だが現実は違う。ユクジモすべてがひと処へ流入すればあるいは見込めるかもしれんが、そんな浅薄な全体主義に踊らぬ者の方が多数だ。


 だからこそ、たとえ数割であっても少数人種のオレたちを分断させちゃならねぇ。カセインが信条を捻じ曲げて革新派への流出を留めたのはそれが理由だ。


 わかるか大バカ野郎っ! オマエに付き従って、オマエの資質ひとつで『フロラ』はデカくなったわけじゃねーんだよっ! 自惚れも大概にしておけっ!

 それと言っておくがな、メタローグは神様みたいなモンじゃない。ハイミンの「声」が聞こえたろう? 


 ヤツらは頭ん中に直接働きかけられる、言っちまえば魔法使いみてーなモンなんだ。

 仮構帯をいつでもこしらえる能力もあれば、・・・そん中に一生閉じ込めておくだけの方法だって知ってる。


 ・・・語り部に相応しくなければ必ず、その世界に置いてかれるだけなんだぞ。

 そして語り部は、四つのメタローグが各々たった一人しか選ばねーんだ。

 だから任じられた語り部が死ぬまでは、誰も選ばれたりはしない。」


 自分をまっすぐに見つめ怒鳴りつけるその目に偽りの影など微塵もなかった。

 ルマはただ、打ちひしがれていた。


 こうしてまともに相対して話されるまで知らなかったことが、知らされなかったことが次から次へと露呈されて、その先に、その足元に見えるものの一つ一つが自分の価値を、存在をどんどんと薄めていってしまうようで。


 いつも自分の味方をしてくれていたキビジまでもが口を噤んで目を反らすに至れば、それは瓦解の音に委ねて散りゆくものにしか思えなかった。


「ふふふ、上等なお説教だねぇダジュボイくん。オレの邪魔、ってトコがもしかすると・・・まぁいいや。ボクは忙しいのでこれで失礼するね。それじゃ。」


 ユクジモの内紛を耳にしても視線ひとつ動かさなかったキペを乗せたまま、エレゼは陽気に手綱を引く。


「おい待てエレゼっ! アンタ息子さんとパシェをどうする―――」


 もういい、とダジュボイはそれを止め、目下の仕事に焦点を絞る。


 錘絃を構えていないエレゼならカクシ号のパンチ一発でカタはつくが、両手で抱えた『フロラ』の精鋭とオマケを自由にさせるわけにもいかなかった。


「タチバミ、今はこっちが先だ。


 ・・・なぁチビジ、武器を置け。ルマがオマエの人形じゃなくなった今、もう思う通りにはいかねーぞ。


 んでそこのオマエら、どこで刷りこまれたのか知らねーが司令塔も見えねぇ「ユクジモ人国家」みたいなモンに対する虚ろな思想はさっさと棄てろ。


 大義に犠牲は付きモンだがな、犠牲がありゃモノが成るってワケじゃねーんだぞ。気概は買うが、正しく使え。」


 それでも、染み込んだものはそう簡単に抜けてくれない。

 カクシ号に捕らわれ自由と安全の保証を失った兵たちの手からは何も離れなかった。

 こうなることは想像がついたはずなのにダジュボイが説得するのはなぜだろう、そうシクロロンは思う。

 そして、思い出す。


「あ! あの、・・・あなたなのですかダジュボイさん。

 唯一、神徒の名を拒んだヒトがいたって。・・・シクボさんが言ってました。

 昔、神徒になることを断ったヒトに自分は推挙されたんだ、って。」


 会議をサボって近所の森を散策していた時シクボはそれに付き合ってくれた。

 忙しい身分だったがその重責ゆえに手を取り合う組織の代表ときちんと顔の見える付き合いがしたかったのだろう。


 当時のシクロロンはいいヒトだな、くらいにしか思ってはいなかったものの、その決して多くはない時間の中でシクボはシクロロンの人となりを肌で感じ、そしてまだ拙いながらも信頼に足る存在であることを確信したのだ。


 自分のいわば出世の道程を話すに至ったのもほどけた心が辿る当然の帰結だったのかもしれない。


「ち、やっぱアイツまだ気にしてたのか。・・・まぁンなこたどーでもいい。


 ルマ、オマエが担がれた塵積みの玉座であってもその価値は変わらねぇ。

 オマエを妄信する者もある。オマエの掛け声ひとつに己の意味を見い出す者もある。オマエは王の器じゃないが、といって今のオマエの声は一般民のそれとは違う。導くことができずとも示すことはでき・・・・・・ち、正念場だな。」


 見ればどどどど、と地を踏み鳴らして走り来る数百の『フロラ』兵がもう矢の届くところまで迫ってきていた。


 時間が、掛かり過ぎたのだ。


「その大鉄人と共に退けダジュボイ。ルマ様より手を離して立ち去れば今回ばかりは見逃してやる。諦めよ、スナロアのように。」


 ちびっこい体をよじってカクシ号の手から抜け出したキビジが刃を向ける。


 ダジュボイが言ったようにキビジの思惑通り『フロラ』が機能するかは絶望的だ。

 しかし今は立て直す策を練る時間が、猶予が欲しかった。横槍の入らぬ静かな場所で。


「諦めてなんかいるかってんだっ! オレも兄貴も何ひとつ諦めちゃいねーよっ!

 クク・・・それとタチバミをナメるなよ、まずオマエじゃ当てることもできねぇ。


 抑えろタチバミっ!」


 アヒオのように素早く、とはいかないタチバミはふらりと踏み出しそのまままっすぐ刃を向け直すキビジに向かう。


「貴様っ、来るなっ!」


 まるで手習いもしたことがないのだろう、大振りでひとつ、ふたつと払い、そして突く。

 しかしそのどれにも服の端、髪の先さえ触れさせぬまま、タチバミは短い脇差の短い柄を前から握って止める。

 それは師範が弟子の太刀筋を読んで避ける様にも似ていたが、タチバミに剣術の心得はなかった。


「もう動きなさんな。アンタは人質になってんだから。」


 脇差を払い落とすことなく握らせたまま、不動の有利を見せつけるタチバミは口惜しそうに睨みつけるキビジにそう告げる。


「よし。テンプ、すぴーかを大音量にして『フロラ』たちに呼びかけろ。ルマとキビジはこちらの掌中にある、武器を棄て兵を退け、と。従わなければためらわぬ、とな。」


 よしきた、とテンプはカクシ号を立ち上がらせダジュボイの言葉を取り囲む『フロラ』兵に伝える。

 あちらからも状況は確認できたのだろう、それ以上攻め込む気配は失せたようだ。


 とそこへ。


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