第5話 大戦艦 アース・シェイカー
海の結界の解除を試みていたルーシーだったが、術式の糸口さえ掴めないまま時は過ぎていった。そこに追い討ちをかけるように、アルカディアス軍の侵攻が始まった。
ルーシーはアリア姫の命により、やむなく王宮へと戻る。すると間もなく、第二王子カシムの部屋に呼び出された。
そこで彼女が耳にしたのは、意外にも朗報だった。
ヒルド艦隊が敵を撃退したという報せに、部屋の空気が一気に緩んだ。
「さすが、お兄様です! 」
アリアが満面の笑みで声を上げ、ルーシーも胸を撫で下ろす。
「厳しい戦いになると聞いていたが、倍以上の敵を倒すとは。エクセルも、なかなかやるじゃないか。これならば、私の出番もないようだな」
最後は、口に出さずつぶやいた。
周囲の侍従たちも安堵し、束の間の平穏が部屋を包んだ――そのとき、報告が飛び込んできた。
「南西より、巨大な帆船が一隻、接近中!」
誰もが予想し得なかった方向からの報せに、空気が一変する。
「南西側の航路は常に陸からの風が吹いているので、ラスタリア港から出港するのは都合がよいが、入って来るのは向かい風で侵入は難しい……はず」
カシムが信じられないと言った表情で考え込むが、皆が王宮の窓から遠望すると、沖からの向かい風で、本来は入港の困難な南西側から一隻の大型の帆船が近づいてくる。
向かい風でジグザク航行をするでもなく、帆をいっぱいに張って真っ直ぐ、ラスタリアに迫ってくる。
「なんだ、あの大きな帆船は。しかも南西は敵からは向かい風」
カシムは望遠鏡を構え、帆の紋章を確認する。
「海竜の紋章。オーデルの旗艦、アース・シェイカーだ! 」
次の瞬間、船から煙が立ちのぼると
ヒュルルーーーー
風切り音の直後、見下ろす港湾の船に爆発が見えた
次の瞬間、港に停泊していた軍船の一隻が爆ぜ、黒煙と火柱が立ち上る。
「あれは……魔導弾か」
カシムは眉間に皺を寄せ
「ヒルドは囮だったのかもしれない。エクセルが交戦している間に、オーデル自らが動いた……」
さらに拳を握り、声を震わせ
「オーデルは神だ、自身で風を起こして向かってきたのだろう。自分の船一隻だけなら、向かい風でも他の艦隊と同じ速度で迫ることができる。しかし、まさか王自ら親征してくるとは……気がつかなかった。私の失策だ」
城下のあちこちで火の手が上がり、民家が燃え上がる。アリアが声を上げた。
「相手は船や軍事施設だけを攻撃してるけど、市民はまだ大勢残っています。それに、これ以上近づくと、敵の砲弾が王宮にも届くのでは」
カシムも頷いて呟いた。
「アース・シェイカーは巨大な戦列艦。普通の軍船数十隻分の砲台があり、高性能の大砲も装備している。あの一隻で一艦隊分の戦力がある。まだ沖合だが、あと一キロほど近づけば王宮にも砲弾は届くだろう」
艦隊の出払ったラスタリアに対応できる船はなく、近くの船は一撃で沈められている。こうして巨大な帆船は、なんの障壁もなくラスタリア港へ迫っていた。
城の窓から海を見るカシムは宙を仰ぎ、万策尽きた力無い表情で
「このままでは王宮毎と破壊される。撤退したヒルド艦隊も戻ってくれば、成す術がない」と言いながらも、何か期待するような瞳でルーシーを見つめ。
「ヒルドはこれを見越して、味方の損害が少ないうちに、負けを認めたのかもしれません。私にはもう何もできません、これ以上は神頼みです」
目の合ったルーシーは慌てて
(ええ! なんだその目は、まるで私に……)
そこに、海を見ているアリアが
「お兄様の船が戻ってきます! 」
北西の群島の間から、青い帆のブルー・ホライズンが現れた。だが、その姿は痛々しかった。帆の半分は裂け、船体も酷く傷んでいる。
ブルー・ホライズンはそのまま、オーデルの大戦艦とラスタリアの港の間に割って入り、町を守ろうとしているようだが、帆の半分は折れ船体も傷だらけだ
アリアは悲痛な声で
「お兄様の船、ボロボロではないですか。あれでは、大戦艦に殺られてしまいます。カシム兄様、私達も何か出来ませんか」
とは言うが、港に味方の船はない。
カシムは少し考えたあと、心配な表情で沖を見ているルーシーを一瞥し
「そうですね、港に行って、民衆を山手に退避させる指揮をとってくれませんか」
「……避難の指示だけですか?」
アリアは戸惑う。戦うのではない、自分の手で何かを変えるわけでもない。それが歯痒かった。
しかし、その言葉にルーシーが反応した。目を輝かせ、拳を握る。
「私が行こう。アリア姫はここに残って……!」
だが、アリアは真っ直ぐに返す。
「いえ、私も行きます!」
「それは……危険すぎる」
止めようとするルーシーに、アリアはさらに強く言い返す。
「市民は、王家の姿を見て落ち着くのです。誰かが、見せねばなりません」
ルーシーはしばし黙し――そして、苦笑して頷いた。
「……わかった。行こう」
二人は視線を交わし、決意のもとに部屋を後にした。
カシムはそれを見送りながら、ルーシーに頭を下げ静かに囁く。
「――頼みます」
ルーシーは力強く頷いた。
◇
その頃、エクセルはラスタリアに戻る船上で
「ヒルドは陽動だったのか………」歯噛みして焦っている。さらに懸念がある。
「魔船が出てこない」
それは、セナも気にしていた。
「オーデルは、どこかに魔船を温存しているのだろうか。ここで魔船まで出てきたらまさしくお手上げだ」
ラスタリアの港が見えてくると、巨大な帆船が沖合で砲撃を行っている。街には、あちこちで黒煙があがっていた。
「エクセル、あれはオーデルの旗艦アース・シェイカーだ! まさか、オーデル自ら出てくるとは」
「ルシファーを警戒しているのだろうか。いずれにしても、ここでラスタリアの息の根を止めるつもりだろう。急げ! 」
舵手に命じ、エクセルの艦は砲火の海へと突き進む。だが、どう見ても無謀な突撃だった。艦の攻撃力は通常の半分にも満たず、仲間の船も損傷している。
エクセルは街に砲撃しているオーデルの大帆船アース・シェイカーの間に割って入り、一撃離脱を試みるが、なんとか敵の砲撃をかわすのが精一杯だった。
「エクセル! アース・シェイカーの側面に行けば、百門の大砲で一瞬にして終わりだ」
「わかっている。だが、何もしなければ、いずれ全滅だ」
エクセルはアース・シェイカーの砲撃の死角になる、船首や船尾に回り込み、近づいて白兵戦を挑もうとするが、アース・シェイカーも船を回頭して砲撃しようとするため安易に近づけない。
「相手は海の要塞……勝てる見込みはない」
それでも諦めずに攻撃を仕掛けるが、突撃した仲間の一隻が側面の一斉射で粉砕され、海に沈んだ。
「……これ以上は、王宮が……!」
エクセルの口から漏れたのは、いつになく弱気な声だった。
エクセル達の戦力は徐々に削がれ、勝つための反撃の糸口は絶たれ、今はラスタリアの滅亡の時間を数分でも伸ばすだけの、虚しい延命にすぎなかった。
◇
一方その頃、アース・シェイカーの艦橋に立つ老王、オーデルは、炎上する港を睨みつけていた。
「これが、かつて海の覇者と謳われたラスタリアか……。娘を嫁がせ、和平を願ったあの頃が笑止だ。病に伏した王は娘を見捨てた。今こそ報いを受ける時だ」
オーデルは顔を歪め、怒りに満ちた声で叫ぶ。
「しかも、第一王子が逃げ出したとは。どこまで腑抜けだ。だが、我の前に突貫してきた帆船があるとは、多少は国を守ろうとする気概ある者もいるようだが」
とは言うものの、歯牙にもかけない表情であざ笑い、マントを翻すと
「無駄な抵抗だ! 」余裕の表情で立ち上がると、鬼神と化したオーデルは容赦なく厳命した。
「蹂躙せよ! 」
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