花火と横顔

「そのミサンガにはどんな願いが込められているの」


 観覧エリアへと到着した僕たちはすでに人で埋め尽くされているなかから二人分の空きスペースを探し腰を下ろした。有料席であれば周りを気にすることなく手足を伸ばして寛げくつろたかもしれないが、花火大会に行くことが決まったのがつい先日のことであり有料席のチケットは完売していた。一時間ほど歩き回っていたこともあり三角座りで座ると太腿のあたりを手で揉みほぐしていると左足に巻かれたミサンガが東山さんの目についたようだ。なんと答えようかと迷いつつも、たいした願いが込められているわけでもなかったので忘れてしまったと戯けるように返した。

 時刻は午後七時を迎えヒュルルルと花火玉が空へとのぼる音が夜の空に響くと観客の期待を一気に煽り誰もが真っ黒なキャンパスを見つめると本日一発目の花火が盛大に弾けた。打ち上げ花火でしか味わえな心臓にまで響くドーンと豪快な音と次から次へと絶え間なく打ち上がっては一瞬の輝きとともに儚く消えていく様は夏の到来を実感させてくれる。花火の打ち上げが始まるまで屋台で買った食べ物を分け合いながら雑談まじりに食べていたが、夜空を彩る無数の花が咲き誇るのを前にしては食事も会話も忘れ二人して頭上に釘付けになってしまっていた。有料席ではなく無料の観覧エリアから見ているので真正面のベストポジションとは言えないがそれでも充分すぎるほどに心奪われてしまう眺めだ。

 花火は確かに綺麗で目が離せないのだがこんなときでもどうしても一つだけ気になってしまうことがあり花火師には悪いが空から視線を外した。この場において花火以上のものとは何かと聞かれたらそれは隣に座る東山葵の存在だ。たとえ言葉を交わさずとも表情からだけでも伝わってくるものはある。今このときこの瞬間の思い出を共有していると東山さんの顔を見て実感したかった。東山さんが花火に夢中になっている今だからこそ隙だらけの横顔をまじまじと拝めるチャンスなのだ。普段なら恥ずかしくてすぐに目線を逸らしてしまうところだが今だけは恥も外聞も捨てられる。

 花火から幼子のように無邪気な笑みを浮かべているであろう東山さんへと視線を移し目にしたのは想像とは正反対の表情であり胸が締め付けられた。どうして僕は欲に負け花火弾ける夢の世界から目を逸らしてしまったんだとひどく後悔した。見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を苛まれながらもどうしてか目を離すことができない。花火を見ているとはとても思えない横顔から窺える悲しみに暮れた目は一体何を映し出しているのだろうか。空を見上げれば今も息をつく暇もないほどに花火は咲き誇るが東山さんの目にはきっと写っていないだろう。推察するなら過去の情景か、より正確にいうのであれば去年の花火大会で妹と見た情景を想起しているのではないだろうか。

 屋台を巡っているときもご飯を食べているときも東山さんは常に相好を崩し僕も一緒になって楽しんでいた。だが花火が打ち上がると誰もが空へと思いを馳せ自分だけの世界へと連れ去られる。隔絶された一人の世界は東山さんの心の隙をつけ込むように在りし日の薫ちゃんと来た花火大会の思い出を呼び起こしたのだ。

 東山さんの感情を共有することもできなければかける言葉を持ち合わせているはずもなく、取り繕ったような言葉を口にしても花火の前では全て掻き消えてしまうだろう。だからといってこのまま見て見ぬ振りをして花火を見ようなどと簡単に気持ちを切り替えられるはずもない。何か出来ることはあるはずだと知恵を絞り出した結果、芝生に置かれた東山さんの右手の上に自分の左手を重ねた。いきなりの接触に拒絶され嫌われたりしたらどうしようという恐怖がなかったわけではない。それでも東山さんの目に綺麗な花火を写したくて少しでも寂しさを払拭するため妹の代わりにはなれなくても今は僕が隣にいると恐れずに主張する。

 これでもう大丈夫と東山さんの表情を確認するようなことはせず僕は左手だけを残して夜空を見上げた。花火大会はフィナーレを迎え空一面を覆い尽くさんばかりの終幕にふさわしい輝きと少しの切なさを残し消えていくところを目に焼き付けた。心配や不安を抱かず終幕を見届けることができたのは僕の左手の中で今も東山さんの体温を感じられていたからにほかならない。

 全ての花火が夜空に舞い上がりしばらく鳴り響いていた拍手も静まり辺りに座っていた観客は立ち上がると移動を開始する。屋台に戻ったりそのまま帰宅したりと人が散り散りになっていく様子を眺めていると徐々に二人きりというシュチュエーションが生まれそうになっていた。手を重ねたまま二人いつまでもという空気感であるにも関わらず、今になって急に気恥ずかしさが込み上げてきて顔が沸騰しそうなほどに熱を帯びる。意識してしまったが最後このまま座り続けることなど不可能だった。心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと心配になるほどに胸中は乱舞している。だが自分から手を重ねたからには最後まで堂々としていたいと平静を装いながらゆっくりと手を離し立ち上がった。


「僕たちもそろそろ行こっか。花火が終わって屋台も閉まり始めてるかも」


  心中を悟られないように震えそうになる声を気合いで張り、これまた今にも震えそう手を東山さんに差し伸べ彼女をゆっくりと起こす。東山さんが立ち上がるまで手を握っているだけでも心臓が高鳴り、お腹の中で太鼓を叩かれているようだった。

 

「去年に負けないくらい今年の花火もすごく綺麗だったね。写真を撮ることを忘れちゃったことだけが少し残念」


 僕が見た悲しい目をした横顔が嘘だったかのように普段と変わらぬ明るい笑みを浮かべる東山さんは満足そうに心残りを嘆いた。僕個人としては花火よりも深く印象に残った横顔をすぐには忘れられそうにないが、今こうして目の前で満面の笑みがもう一度見られて終わることが出来たのなら他には何も望まない。

 これで今日もおしまいかと振り返れば濃い時間でありあっという間の時間だったようにも感じられる花火大会だった。終わりが近づいているからこその最後の足掻きとして少しでも長く一緒にいたいと帰り道はわざと歩調を遅くした。それでも歩み続ける限り終わりは嫌でも訪れ悪あがきも虚しく僕たちは屋台通りを抜け待ち合わせ場所に指定していた橋の上まで戻ってきてしまった。

 

「もっと早く言ってよって思うかもしれないんだけどさ私、綿飴が食べたくなっちゃった。ダメかな滝野瀬くん」


 橋の上でなんとか時間を稼ごうと橋に寄りかかり名残惜しそうに屋台を見つめるという帰りたくないアピールが成功したのか願ってもないお願いが舞い込んできた。お安い御用だともう一度一緒に屋台を見に行こうと前のめりな姿勢で東山さんに迫る。しかし歩き疲れたから買ってきてほしいと付け足され一緒にという条件は叶わなくなってしまったがおねだりされたからには拒否権などあるはずもなかった。

 東山さんを一人にすることに不安はあるが人通りがそれほど多くない橋の上であれば一人にしてしまっても大丈夫だと思い込むことにした。なんでもお申し付けくださいと今日だけはあなたの執事ですとまだまだ余裕のある財布を手にし東山さんの笑顔に見送られ急ぎ足で綿飴を買いに走る。

 メインイベントである花火の打ち上げが終わり人が少しだけ減ったこともあり待ち時間をそれほど要することなくお遣いを果たすと急いで来た道を引き返した。投げられたボールを拾い咥えて飼い主の元まで届けるため走る犬のように東山さんが待つ橋の上まで嬉々として駆けていた足は屋台通りを抜けたところで急停止した。目前には向こう岸まで伸びる橋がはっきりと見えている。立ち止まっている時間などあるはずもなく、一秒でも惜しい状況だというのにそれでも足を止めてしまったのは東山さんの姿が橋の上に見当たらなかったからだ。

 まだ少し距離があり辺りが暗いこともあって見落としているだけだと穏やかでない心中を宥めつつ橋の上へと続く階段を一段さらには二段飛ばしで駆け上がり東山さんが待っている場所まで走った。見間違いがあったわけでもなんでもなく東山さんの姿は確かに橋の上から消えていた。真っ先に頭をよぎったことはナンパや誘拐の類である。事態は急を要するかもしれないと携帯電話を慌てて取り出し東山さんとの連絡を試みた。携帯を耳に当てるも聞こえてくるのは呼び出し中の機械音だけで通話が繋がることはなかった。

 これは本当にまずいことになっているのではないかと最悪の未来が現実化しようとしていることが恐ろしく携帯を持つ手が力なく垂れ下がる。焦燥感に支配されそうになりながらも、まずは警察に連絡かと携帯を握る手に力を入れようとしたとき振動が掌を伝う。東山さんからだという確信とともに画面を確認してみると折り返しの電話ではなく一通のメッセージが届いてた。連絡が取れたことに一安心しながらも、もしかしたら誘拐犯からの身代金などの交渉かもしれないと内容を確認するまでは白い歯をこぼしてはいけないと再び緊張感を持ってメッセージアプリを開いた。結論を先に言っておくと東山さんから送られてきたメッセージは誘拐犯からの物騒な要求ではなかった。だというのに内容を読み終わったとき、そうであってくれたらよかったと不謹慎にも思ってしまうほどに目を背けたくなる文面が記されていた。


『滝野瀬くんのおかげで最後に忘れられない夏の思い出が出来たよ。私たち今日で別れることにしよう。さようなら』


 前後の脈略がまるでない文章にしばしの間、頭の中が真っ白になるも暗号のようにも思える文面から意図を導き出すよりも本人の口から直接聞いた方が早いと携帯を耳に当てる。東山さんの連絡先に電話をかけたはずの携帯はいつまでたっても呼び出し音を鳴らすことはなかった。動揺のあまり操作ミスがあったかと携帯を確認してみると画面も真っ暗になっておりいくら触っても反応がない。今日、目が覚めたときにもあったような事態にそのときそうしたように電源ボタンを長押しすると人生で二度目となる充電切れのマークが浮かび上がった。

 現実を受け止めきれず理解が追いつかず脳が全てを拒絶する。これではまるで春休みのときと同じではないか。つい先程まで隣で祭りを楽しんでいた恋人である東山葵という存在は一体なんだったんだろう。東山さんがどんな気持ちで祭りを終え、何が別れを決断させるきっかけになったというのか僕には何一つとしてわからない。使い物にならなくなった携帯は手からこぼれ落ち僕は静かに膝から崩れ落ちた。











 

 

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